色んな黒い出来事があって


記憶喪失になっているので


この頃の記憶が曖昧で雑だと思います。



ご了承ください。








とある暑い日

小屋にあったタイヤの上に

無造作に置いてあった通帳を見て

旦那の3回目の借金を知りました。







私が持っていた通帳は

2回目の借金を返済したあとに

『預かっていてほしい』

と言われて渡されたものです。







でもタイヤの上にあった物は

同じ銀行だけど

違う口座でした。







その通帳には

色々なやりとりが書いてあって

最後の行は

マイナス30万円

って書いてありました。







その他にも

・ネット銀行

・農協

に借金がある事が分かり

全部合わせると

200万円を越えていました。








2回目の借金が発覚したあと

給料が入る通帳とはんこを私に預け

泣きながら

『もう借金はしません』

って宣言したのに





口座を隠して持っていた事



『借金はもう無い』って宣言した時

本当はまだ全部を返済してなかった事



要は借金を返す気なんてさらさらなかった事



他の所でも借金をしていた事



前回よりも金額を増やしていた事



事実が1つ1つ分かっていくたび

色んな気持ちが混ざりあって

悲しくて悔しくて苦しくて仕方なかった。








でも借金を確認したって言えないし

言った所で

私の知的障がいを利用されて

いつもみたいにまた丸め込まれて

『はい、終わり』

ってされてしまうのが目に見えていたから


こうじさんや精神科の先生や

『本来の利用方法とは違うんですが…』って

とーっても渋い顔をしたカウンセラーさん

みんなを巻き込んで

旦那が借金を認め

ちゃんと返済するようにするためにはどうしたらいいのかを

4年ほどの間

結構な頻度で話し合っていました。









みんなに聞きまくった結果


〖よぞら&せなは話し合いだと騙されてしまうから、文字にして伝えよう〗


という事になりました。








だから

手紙を書いて旦那の部屋(←最後の余談コーナーに書きます)に置いたり

ホワイトボードに書いたりしてました。







『借金があるんだろ?白状しろよ!』

みたいな煽りの言葉は一切使わずに

『お金が苦しいなら話し合おうよ』とか

『ここを節約したらいいんじゃない?』とか。







旦那が逆上しないような文面

そして納得して

ちゃんと話し合ってくれるような文面を探して。








イメージだけでは伝わらないんじゃない?

リアリティーが欲しいよね?

という事で時々

家計簿や未来のお金の流れを書いた

具体的な表も添えて。








みんなに沢山相談して。








何回も、何回も、手紙を書いて

部屋に置いたよ。








手紙を置いたあとはいつも

『隠していた借金があったけど一緒に返していきたい』

『お金のやりくりが苦しいから一緒に考えていきたい』

って、優しい声で

私の手を握りながら言ってくれるんじゃないかなぁ?

って思ってたけど、違ってた。







給料を管理している通帳を返せとか、

俺はこれだけやってるのになんで文句を言うんだとか、

デタラメ書いて!とか。






そんな感じの内容と罵倒が書いてある手紙が



最初の頃はパソコンの上にそっと。


だんだんひどくなっていって

別居に動き出すあたりになったら


とある時はお風呂に入ろうって扉を開けたらフタの上に。

手紙の周りには個別包装の入浴剤がバラバラと投げつけられてて。


とある時は病院へ行こうと

車のドアを開けたら

運転席に見せつけるように何枚も広げてあって。







辛すぎて記憶喪失になってるから

うまく思い出せないんだけど

こんな感じで

色んな所に

『俺は怒っているんだ』

というのが分かるように置いてありました。








それを見るたび

パニック発作でけいれんを起こしました。







けいれん止めの頓服が効かなくて

深夜の救急に行った事も一度や二度じゃないよ。







旦那との会話は

通帳を見つけた頃は

挨拶も会話もちゃんとしてたと思います。






お金の話をし始めた頃から

挨拶や報・連・相?くらいの頻度になって

ある日から旦那だけ別な場所でご飯を食べるようになり

別居を本格的に検討をはじめたくらいからは

食べたらすぐに自分の部屋に行って出てこないが

たまに出てきて私を罵る。


そんな感じになっていったよ。







最終的には

ホワイトボードに

罵る言葉が書いてあった。







みんな見るのになんで書いてるのかな?

って思ってた。







あやぽんぽんも、はなぽんぽんも

ホワイトボードの汚い言葉を見るようになって

自分の父はこういう人なんだ、って

知ったんだよ。







改心したら『よいお父さん』に戻れるように

子どもたちに

悪口を一切聞かせていなかったのにね。








自分でチャンスを消してしまったんだもの

フォローなんてできる訳ないじゃん。

(ちなみに義母(この頃義父は亡くなってました)はこの暴言を見ていたはずなのに無視してました。何も感じなかったのかなぁ??)







最後の方は

罵りがひどくて体調を崩したのと

子どもたちに精神的苦痛を与えて

(ちなみに直接攻撃されるではなく目撃だけだったとしも虐待に当たるそうだよ)

子どもたちまで体調崩していったのとで

ほんの少しだけ残っていた

いつか改心するんじゃないかな、っていう期待は

消えていたよ。





ここまで来るのがだいぶ遅かったけど・・・









こうじさんは

直接話し合えば解決できるって信じていたから

何度も

『正面から戦いなさい』

みたいに言ってきました。






そのたびに

『会話ができない』

『そもそも自分の部屋にいるから話せない』

って言ってたのに

分かってもらえなかったのがものすごく辛かった。







こうじさんは

自分の子どもたちが小さな頃に離婚して

そのまま会わない、という関係性で生きてきたけれど

東日本大震災の時に再会して

それからずっと

ものすごくかわいがってて(大人になった今でもダダ甘だよ(笑) )

うちの旦那のこういった対応が

本気で分からなかったみたい。








いつも心のどこかに

『お父さんは子どもたちに優しい。甘々である』

みたいに思ってた所があった(というか今でも本気で思っている)よ。








DVが悪化していったあたりから

こうじさんは

あやぽんぽん、はなぽんぽんに接する機会を増やしていってて

(たまたまなのか、意図的なのかは分からないけどね)

遊びに連れて行ったり

ご飯食べさせてくれたりしていました。








子どもたちと接するこうじさんは

ものすごく優しくて温かくて

お父さんよりも愛情かけてもらってるなぁ

って思ってたよ。







他人の子どもなのに

こんなに愛情をかけられる人と

一緒に生きていられる事が本当に嬉しかった。







でも。







DVがエスカレートしていく旦那


ちゃんと話し合えば伝わるから

資料作ったり手紙書いたり何か行動しなさい!

って怒るこうじさん。


うちの孫ちゃん(旦那)と仲良くしてや、っていう義理のおばあちゃん。(悪気は全く無い)


『あなたは働けないんだから旦那を大切にしなさい』って私に言い聞かせてた母。






みんなの言っている事は分かるし

みんなの気持ち通りに生きるのは

当たり前だと思ってたし

むしろ『ちゃんと出来てて偉い』って思ってたけど

色んな方向から挟まれているのはやっぱり辛かった。





旦那と

死ぬまでずっと

一緒に生活していかなきゃないのなら

闘いとかしたくなかった。

心なんていらなかった。

このまま石像になりたかった。








手紙書いて、暴言聞いて、けいれん起こして。







いつまで続くんだろ・・・って絶望してた。







今なら

誰かの意見を生かすのではなく

私自身を生かすべきだったんだね、

って強く思うよ。






自分の事、というか

自分の痛がっていた心、って

自分でしか守れないからさ。






そしておそらく。







私の大切な子どもを守れるのは

私しかいなかった。


だからこそ

ここからちゃんと逃げるべきだった。






目に入れても痛くないくらい

かわいがってる子どもたちなんだもの

これは虐待…?って気付いた時から

逃げる準備をしなきゃならなかったんだよね。







我慢は美徳じゃないみたいだね。







ちなみに今は

経済的に弱い立場で

いつか崩れちゃうのかなぁ怖いなぁ、って時々思うけど

生きているって楽しいんだなぁ~、って事も思うよ。






心をマヒさせて痛みを感じさせなくするのは

案外簡単なんだけど

やっぱり心は

*〃むきゅむきゅっ*〃って

動いていた方がいいみたいだね。


《続く》








余談:『旦那の部屋』についての話。


娘たちの部屋は無いのに

旦那には自分の部屋があったんだよ。

手紙を置くのにはちょうど良かったけどね。

そうじゃないじゃん?

なんで義父母はこの状態を知っていたのに

『おかしいよ、子どもたちのものじゃない?』

って言わないのかな?って

最後まで思ってました。

ちなみにもっと言うと

他県に嫁いだ実の娘の部屋も残ってて

その部屋は

彼女が帰省した時のみ使っていたよ。

私たち3人って

あの家族に必要とされていたのかな?

今でもそんな思いに

ねと~ってとらわれる時があります。


そんなダークなのは

やめやめ。