★ 奈良 正倉院 ★
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奈良です
正倉院展にサイモン達と行きました
奈良国立博物館です http://www.narahaku.go.jp/
正倉院宝物は通常時、非公開です。1875年~1880年、毎年開催された奈良博覧会の一環として、東大寺大仏殿回廊で、一部が一般に公開されたのが始まり
。
戦後の1946年に近隣の奈良公園内にある奈良国立博物館で正倉院展(第1回)が行われ、翌年以降、秋の2ヶ月の曝涼にあわせて開催されるようになりました。今回は正倉院展の第62回です。
管理する宮内庁が整理済みの宝物だけで9000点に上る中、毎年70点だけが公開展示されます。今回の展示の目玉は螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)。なんだか琵琶づいてますね
→ ★ ショパン生誕200年記念

インドが起源とされる五絃琵琶で、世界唯一の現存品。全長108.1cm。ラクダに乗り琵琶を演奏する人や熱帯の食物、唐花文と含綬鳥などを螺鈿や玳瑁(たいまい)で表現した豪華な品。「国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)」にも記載されている。19年ぶりの出陳。
それとこちら、繍線鞋(ぬいのせんがい)【女性用の履物】
麻布と紙を芯とし、表面を錦と平絹で包んだ女性用の履物。中国から、遣唐使などを通じてもたらされたと考えられる。女性用の履き物であることから、光明皇后が着用した可能性もある。華やかな奈良朝の宮廷風俗を想像できる一品。今回が初出陳。
そして、実際に見てびっくり
したのが、こちらです。
漆胡樽(しっこそん) 巨大な水入れ
読売新聞より
全長92センチ
先端に注ぎ口がある黒漆塗りの木製容器で、本来は「水入れ」
。現在の中国・新疆(しんきょう)ウイグル自治区など「西域」では動物の皮で作り、ラクダの背の両側に振り分けて載せました。宝物はその形を模したとされるが、ラクダに載せるには大き過ぎ、博物館担当者は「異国情緒を楽しむインテリアだったのではないでしょうか」と話しています。
作家・井上靖も以前の正倉院展で心を奪われ、「漆胡樽」と題する散文詩の一節を残しています。
「とある日、いかなる事情と理由によってか、一個の漆胡樽は駱駝の背をはなれ、民族の意志の黯い流れより逸脱し、孤独流離の道を歩みはじめた。ある時は速く、ある時はおそく、運命の法則に支配されながら、東亜千年の時空をひたすらまっすぐに落下しつづけた。そして、ふと気がついた時、彼は東方の一小島国の王室のやわらかい掌の上に受けとめられていた。」
遣唐使時代に思いをはせらせるものでした。
素晴らしく、そして歴史に思いを馳せながら、リアル正倉院へ
見えてきました~
小学生のとき以来かも?
教科書などでよく見るのは、こんな感じのお写真ですね
なぜかこじんまりした印象を持っていました。
正倉院
こんなに大きい建物でしたかしら
こんなに床下高いのでしたかしら
2.5メートルです
思わず、ポカーン
としたぐらい、大きさに圧倒されてしまいました。
建築物としての細部がすごすぎです。あんな昔にこんな素晴らしい技術で造っていたとは
↓

校倉造、屋根は寄棟造、瓦葺。規模は正面約33.1メートル、奥行約9.3メートル、床下の柱の高さ約2.5メートルである。
建立時期は不明だが、光明皇后が夫聖武天皇の遺愛の品を大仏に奉献した756年(天平勝宝8)前後とみるのが通説。
柱は礎石(そせき)の上に立て、床(ゆか)はひじょうに高く、土壁 (つちかべ)がなく檜材(ひのきざい)だけで組み立て、屋根は瓦葺(かわらぶき)で造られています。内部は三つの部屋があり、それぞれ二階建(にかい だ)てになっています。
正倉院の宝物には日本製品、中国(唐)や西域、遠くは ペルシャなどからの輸入品を含めた絵画・書跡・金工・漆工・木工・刀剣・陶器・ガラス器・楽器・仮面など、古代の美術工芸の粋を集めた作品が多く残るほか、奈良時代の日本を知るうえで貴重な史料である正倉院文書(もんじょ)、東大寺大仏開眼法要に関わる歴史的な品や古代の薬品なども所蔵され、文化財の一大宝庫である。シルクロードの東の終点ともいわれる。
2010年は平城遷都1300年祭でした~
奈良県職員として再就職したせんとくん
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正倉院宝物は通常時、非公開です。1875年~1880年、毎年開催された奈良博覧会の一環として、東大寺大仏殿回廊で、一部が一般に公開されたのが始まり

戦後の1946年に近隣の奈良公園内にある奈良国立博物館で正倉院展(第1回)が行われ、翌年以降、秋の2ヶ月の曝涼にあわせて開催されるようになりました。今回は正倉院展の第62回です。

管理する宮内庁が整理済みの宝物だけで9000点に上る中、毎年70点だけが公開展示されます。今回の展示の目玉は螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)。なんだか琵琶づいてますね

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インドが起源とされる五絃琵琶で、世界唯一の現存品。全長108.1cm。ラクダに乗り琵琶を演奏する人や熱帯の食物、唐花文と含綬鳥などを螺鈿や玳瑁(たいまい)で表現した豪華な品。「国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)」にも記載されている。19年ぶりの出陳。
それとこちら、繍線鞋(ぬいのせんがい)【女性用の履物】


麻布と紙を芯とし、表面を錦と平絹で包んだ女性用の履物。中国から、遣唐使などを通じてもたらされたと考えられる。女性用の履き物であることから、光明皇后が着用した可能性もある。華やかな奈良朝の宮廷風俗を想像できる一品。今回が初出陳。
そして、実際に見てびっくり

漆胡樽(しっこそん) 巨大な水入れ


読売新聞より
全長92センチ

先端に注ぎ口がある黒漆塗りの木製容器で、本来は「水入れ」

作家・井上靖も以前の正倉院展で心を奪われ、「漆胡樽」と題する散文詩の一節を残しています。
「とある日、いかなる事情と理由によってか、一個の漆胡樽は駱駝の背をはなれ、民族の意志の黯い流れより逸脱し、孤独流離の道を歩みはじめた。ある時は速く、ある時はおそく、運命の法則に支配されながら、東亜千年の時空をひたすらまっすぐに落下しつづけた。そして、ふと気がついた時、彼は東方の一小島国の王室のやわらかい掌の上に受けとめられていた。」
遣唐使時代に思いをはせらせるものでした。

素晴らしく、そして歴史に思いを馳せながら、リアル正倉院へ


見えてきました~

小学生のとき以来かも?

教科書などでよく見るのは、こんな感じのお写真ですね


正倉院


こんなに大きい建物でしたかしら



思わず、ポカーン


建築物としての細部がすごすぎです。あんな昔にこんな素晴らしい技術で造っていたとは

↓


校倉造、屋根は寄棟造、瓦葺。規模は正面約33.1メートル、奥行約9.3メートル、床下の柱の高さ約2.5メートルである。
建立時期は不明だが、光明皇后が夫聖武天皇の遺愛の品を大仏に奉献した756年(天平勝宝8)前後とみるのが通説。
柱は礎石(そせき)の上に立て、床(ゆか)はひじょうに高く、土壁 (つちかべ)がなく檜材(ひのきざい)だけで組み立て、屋根は瓦葺(かわらぶき)で造られています。内部は三つの部屋があり、それぞれ二階建(にかい だ)てになっています。
正倉院の宝物には日本製品、中国(唐)や西域、遠くは ペルシャなどからの輸入品を含めた絵画・書跡・金工・漆工・木工・刀剣・陶器・ガラス器・楽器・仮面など、古代の美術工芸の粋を集めた作品が多く残るほか、奈良時代の日本を知るうえで貴重な史料である正倉院文書(もんじょ)、東大寺大仏開眼法要に関わる歴史的な品や古代の薬品なども所蔵され、文化財の一大宝庫である。シルクロードの東の終点ともいわれる。

2010年は平城遷都1300年祭でした~

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