★ALEXANDER McQUEEN アレキサンダー・マックィーン
アレキサンダー・マックィーン ALEXANDER McQUEEN がたったの40歳で亡くなってしまいました。
つい先日、シャネルのカール・ラガーフェルドの伝記的な映画を観たばかりでしたので、色々考えさせられました。。。
彼の略歴。
1969年タクシーダライバーの子供としてロンドンに生まれる。
中学卒業後、パブで仕事をしていたが長くは続かず、仕立屋職人が人手不足というニュースをたまたま見たことがきっかけで、サヴィル・ロウの仕立職人の見習いをはじめる。ここからファッションのキャリアがスタート。
おもしろいですね、サヴィル・ロウの仕立職人だったとは!
サヴィル・ロウに興味のある方はきっと楽しんで読めます。「王様の仕立て屋」↓
その後イタリアに渡り、ロメオ・ジリ等の下でキャリアを積む。
ロメオ・ジリ大好きでした。
ロンドンに戻り、セントマーチンズにパターンカッティングの講師として雇われる。このとき若干21歳。また、その間セントマーチンズの大学院課程を卒業する。
ジョン・ガリアーノが、首席で卒業した数年後ですね。
91年、卒業コレクションの時に、「ヴォーグ」のエディターの目に留まったことがきっかけでデビューが決定。
92年、自身のブランド「アレキサンダー・マックイーン」を立ち上げる。
93年、ロンドン・コレクションにてデビュー。
96年、ジバンシーのデザイナーに大抜擢される。
これも、ガリアーノの後任。
ジバンシーの創始者、ユベール・ド・ジバンシー氏は、フランスアンティーク家具の素晴らしいコレクションを持っていますので、何度かお目にかかったことがあります。そのときは、まだ全然ファッションの世界に足を突っ込んでいませんでしたので、もちろんアンティークがらみで。
彼は、古い由緒ある貴族家系出身で父親は公爵の称号を持つ、とてもエレガントな方です。そういう方を創始者とするブランドが、マックィーンのような労働者階級出身のデザイナーを雇うのがおもしろいですね。なので、当初はそのコレクションを酷評されたのでしょうね。けれども、結局売上げも、マックィーンになってから伸びたので、徐々に認められることになりました。
マックイーンの本質は形式的なものからの反発。以前、ある批評家が
「マックイーンはダミアン・ハースト (ガラスのケースにサメを入れて刃物を突き刺したり、ダイヤモンドの骸骨を作ったりした人。)に近い」と語っています。
同じようにセントマーチンズを出て、ロンドンコレクションデビューをし、そして、ジバンシーというビッグメゾンでデザインをし、そのデザインはアヴァンギャルドで、反逆精神に満ちているところが似ているのに、ガリアーノとは途中からどんどん違っていってしまいましたね。。。。お母様が亡くなってしまったり、とても近しい友人・アドバイザーも数年前に自殺してしまっていたりなど、「死」が身近にありすぎたのでしょうか。。。
カール・ラガーフェルド氏の追悼の言葉 にもそんなことがみられます。
彼自身について知っていることはごくわずかしかないが、多大なる成功をもたらした作品のことは知っている。彼の作品はとても興味深く、決してありふれた陳腐なものでは無かった。
死とは常に、多少なりとも魅力的なものであるし、彼のデザインには時々非人間的な面があった。何とも言えないが、あまりにも頻繁に死と戯れると、死に魅了されてしまうのかもしれない。
なんだか最近、こういう若手の方がどんどん自殺している気がするですけど。。。。。
ふわふわで癒してあげたかった
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つい先日、シャネルのカール・ラガーフェルドの伝記的な映画を観たばかりでしたので、色々考えさせられました。。。
彼の略歴。
1969年タクシーダライバーの子供としてロンドンに生まれる。
中学卒業後、パブで仕事をしていたが長くは続かず、仕立屋職人が人手不足というニュースをたまたま見たことがきっかけで、サヴィル・ロウの仕立職人の見習いをはじめる。ここからファッションのキャリアがスタート。
おもしろいですね、サヴィル・ロウの仕立職人だったとは!
サヴィル・ロウに興味のある方はきっと楽しんで読めます。「王様の仕立て屋」↓
その後イタリアに渡り、ロメオ・ジリ等の下でキャリアを積む。
ロメオ・ジリ大好きでした。
ロンドンに戻り、セントマーチンズにパターンカッティングの講師として雇われる。このとき若干21歳。また、その間セントマーチンズの大学院課程を卒業する。
ジョン・ガリアーノが、首席で卒業した数年後ですね。
91年、卒業コレクションの時に、「ヴォーグ」のエディターの目に留まったことがきっかけでデビューが決定。
92年、自身のブランド「アレキサンダー・マックイーン」を立ち上げる。
93年、ロンドン・コレクションにてデビュー。
96年、ジバンシーのデザイナーに大抜擢される。
これも、ガリアーノの後任。
ジバンシーの創始者、ユベール・ド・ジバンシー氏は、フランスアンティーク家具の素晴らしいコレクションを持っていますので、何度かお目にかかったことがあります。そのときは、まだ全然ファッションの世界に足を突っ込んでいませんでしたので、もちろんアンティークがらみで。

彼は、古い由緒ある貴族家系出身で父親は公爵の称号を持つ、とてもエレガントな方です。そういう方を創始者とするブランドが、マックィーンのような労働者階級出身のデザイナーを雇うのがおもしろいですね。なので、当初はそのコレクションを酷評されたのでしょうね。けれども、結局売上げも、マックィーンになってから伸びたので、徐々に認められることになりました。
マックイーンの本質は形式的なものからの反発。以前、ある批評家が
「マックイーンはダミアン・ハースト (ガラスのケースにサメを入れて刃物を突き刺したり、ダイヤモンドの骸骨を作ったりした人。)に近い」と語っています。


同じようにセントマーチンズを出て、ロンドンコレクションデビューをし、そして、ジバンシーというビッグメゾンでデザインをし、そのデザインはアヴァンギャルドで、反逆精神に満ちているところが似ているのに、ガリアーノとは途中からどんどん違っていってしまいましたね。。。。お母様が亡くなってしまったり、とても近しい友人・アドバイザーも数年前に自殺してしまっていたりなど、「死」が身近にありすぎたのでしょうか。。。
カール・ラガーフェルド氏の追悼の言葉 にもそんなことがみられます。

死とは常に、多少なりとも魅力的なものであるし、彼のデザインには時々非人間的な面があった。何とも言えないが、あまりにも頻繁に死と戯れると、死に魅了されてしまうのかもしれない。

なんだか最近、こういう若手の方がどんどん自殺している気がするですけど。。。。。




