★最後のオスマン帝国人 | RuBisふわふわ王国 by 高木美香

★最後のオスマン帝国人

右矢印[イスタンブール 26日 ロイター] トルコのイスタンブールで26日、1922年までオスマン帝国の王家だったオスマン家の家長、エルトゥールル・オスマン氏の葬儀が営まれた。

 オスマン氏は23日にイスタンブールの病院で腎不全のため死去。97歳だった。祖父はオスマン帝国最後の皇帝、アブデュルメジト2世で、国内メディアは同氏を「最後のオスマン帝国人」と称していた。


 同氏は1920年代に国外退去命令を受けて1992年に恩赦を受けるまで米国などで亡命生活をしていたが、葬儀にはトルコ政府閣僚も参加した。 


 葬儀が営まれたブルーモスクの中庭には同氏の死を悼む数百人が集まり、トルコ国旗が掛けられた棺の前に列を作った。左矢印


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トルコ国旗97歳で死去ということは、1912年生まれ。オスマン帝国がなくなり、国外退去したのは、大体10歳~12歳。恩赦をうけて、国に戻ったのが、1992年80歳のときということになります。

10歳ちょっとで国を失ったこの方の精神への影響はいかほどであったことでしょう。

わたくしの周りに、彼のように、帰るべき国を失った方、追い出された方、多くいらっしゃいます。
中には王家の復興・王政の復興を目指しておられる方も少なからずいらっしゃいます。
どんなに贅沢な暮らしをしていても、なんとなく寂しそうです。
あるいは、不安定。イラン王家、ルーマニア王家。。。。そして、国の政治体制が不安定だったために亡命せざるを得なかった方達。途中で政権が変わり、昨日は「白」であったものが、突然に今日は「黒」になり、体制側だったのが、非体制側の旗手となってしまい。。。。裕福だったのが一転して貧困層になり。。。

精神のよりどころを失くしてしまった人は、大きな心に大きな影響を受けているはずです。そういう方々の例を多く見てきました。社交界に身を置いていても、どこか寂しげな憂いが。。。。

第一次大戦で、オスマン帝国、ロシア帝国、ハプスブルク帝国(オーストリア=ハンガリー二重帝国)など大きな帝国がなくなりましたが、かかわりのあった方々は、どんな人生を送られたのでしょうか。


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