★ ああ、クリムト
ゆったりとバスにつかっていたときに、たまたまテレビをつけたら大好きなクリムトに出くわしました。
クリムト・黄金にきらめくエロス
日曜美術館
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2009/0628
クリムトは、大学の卒論でも扱ったくらい大好き
そのときのタイトルは「クリムトとその金色」でした。
さすがに卒論なので、日曜美術館のようなタイトルはつけられず。。。。
(いや、もしかしたらそれもOKだったのかもしれませんが)
たまたま日本にいたときに、たまたまつけたテレビでクリムトをやっているなんて、運命だわ
アートディレクターの結城昌子さんの案内による番組の内容はこちら。
世紀末のウイーンで活躍した画家、グスタフ・クリムト(1862~1918)。女のエロティシズムを金色で覆うその豪華けんらんな絵は高い人気を誇り、代表作「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像」は3年前、史上最高額155億円の値がついた。
クリムトの最大の特徴は、黄金の装飾美。ルネサンス以降の西洋絵画にあまり使われていない黄金を、クリムトはなぜ使うようになったのか?黄金をちりばめたビザンチン美術の影響か、あるいは世紀末ウイーンで流行したジャポニスムの影響か、黄金の由来を探る。
クリムトが黄金で包み込むのは、女性である。あられもないヌードで、目を閉じてこうこつの表情を見せる女の姿は、当時世間のひんしゅくを買い、時に展覧会から撤去された。特に妊婦のヌードをあからさまに描いた「希望I」は長く公開を禁止された。世間から恥知らずとひぼうされてまで、クリムトは、なぜ、女性美にこだわり続けたのか?
番組では、黄金を駆使したクリムトの絵の由来をドキュメントするとともに、タブーを無視して挑発的でエロティックな女性美にこだわり続けたクリムトの反骨ぶりを描く。
大学時代、卒論のためと称し、大学を休んでウィーンとイタリアのラヴェンナにモザイクを見に行った私にとっても、とても興味深い内容でした。
もともとクリムトを好きになったのはあの有名な代表作「接吻」から。
この女性の恍惚とした表情に感動し、そういう気持ちに私もなりたい、と思ったのがきっかけ。
たぶん高校生ぐらいのときだったと思います。
絵画そのものよりも、工芸的なものが昔から好きだったので、研究すればするほどのめりこむことに。
第一次ドルチェ・ヴィータ期まっしぐらだったので、ぴったりのテーマでした。
今回の番組で新たにしたのは、
このクリムトの背景などによく描かれる模様は、日本伝統の模様「花紋ちらし」の影響が強いこと。
渦巻きも、同様。着物の柄などによく使われているものであること。
それは当時パリに伝わったのが浮世絵がメインであったのに対し、
ウィーンには着物の「型」が多く伝わったためであること。
↑この違いがどうして生じたのかは番組で触れられていませんでしたが、パリに伝わった浮世絵が当時の印象派の絵画に与えた影響は周知のものですよね。
浮世絵が全く伝わらなかったわけではありませんし、日本画が全く伝わらなかったわけではありません。
現に琳派の代表作 尾形光琳の「紅梅図」
を反転させると
ダナエの構図のカーブがそっくりになります。(左の方)
その中にも日本伝統の文様の影響が見られます。
そんなクリムトですが、晩年は黄金をほとんどつかわなくなってしまいました。
私生活にどのような変化があったのでしょう?
アッター湖畔ウンターラッハの山腹の森
フリーデリケ・マリア・ベーアの肖像
アダムとエヴァ
それから、ラヴェンナのビザンティンモザイクの影響を語る上でおもしろいのが、アデーレの顔とテオドラの顔の類似性。
ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂の内陣に描かれている黄金のモザイクのテオドラ皇妃と、アデーレ・ブロッホバウアーの顔がとても似ています。
画家は異性の顔って、ほんの少しのタイプしか描けないといいます。結局は似通ってしまうとも。
クリムトにとって、このタイプの顔は彼のタイプだったのか、それともラヴェンナのモザイクの衝撃がそれほどまでに大きかったのか、とにかくこの系統の顔多しです。
そしてこの偉大なクリムトを日本で見られるのはココ!
愛知県美術館 http://search-art.aac.pref.aichi.jp/p/sakuhin.ph
世界に誇る日本のクリムトは 「人生は戦いなり(黄金の騎士)」
確か、同級生が学芸員だった気がします。
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クリムト・黄金にきらめくエロス
日曜美術館
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クリムトは、大学の卒論でも扱ったくらい大好き

そのときのタイトルは「クリムトとその金色」でした。
さすがに卒論なので、日曜美術館のようなタイトルはつけられず。。。。
(いや、もしかしたらそれもOKだったのかもしれませんが)
たまたま日本にいたときに、たまたまつけたテレビでクリムトをやっているなんて、運命だわ

アートディレクターの結城昌子さんの案内による番組の内容はこちら。


クリムトの最大の特徴は、黄金の装飾美。ルネサンス以降の西洋絵画にあまり使われていない黄金を、クリムトはなぜ使うようになったのか?黄金をちりばめたビザンチン美術の影響か、あるいは世紀末ウイーンで流行したジャポニスムの影響か、黄金の由来を探る。
クリムトが黄金で包み込むのは、女性である。あられもないヌードで、目を閉じてこうこつの表情を見せる女の姿は、当時世間のひんしゅくを買い、時に展覧会から撤去された。特に妊婦のヌードをあからさまに描いた「希望I」は長く公開を禁止された。世間から恥知らずとひぼうされてまで、クリムトは、なぜ、女性美にこだわり続けたのか?

番組では、黄金を駆使したクリムトの絵の由来をドキュメントするとともに、タブーを無視して挑発的でエロティックな女性美にこだわり続けたクリムトの反骨ぶりを描く。

大学時代、卒論のためと称し、大学を休んでウィーンとイタリアのラヴェンナにモザイクを見に行った私にとっても、とても興味深い内容でした。
もともとクリムトを好きになったのはあの有名な代表作「接吻」から。

この女性の恍惚とした表情に感動し、そういう気持ちに私もなりたい、と思ったのがきっかけ。
たぶん高校生ぐらいのときだったと思います。
絵画そのものよりも、工芸的なものが昔から好きだったので、研究すればするほどのめりこむことに。
第一次ドルチェ・ヴィータ期まっしぐらだったので、ぴったりのテーマでした。
今回の番組で新たにしたのは、
このクリムトの背景などによく描かれる模様は、日本伝統の模様「花紋ちらし」の影響が強いこと。
渦巻きも、同様。着物の柄などによく使われているものであること。

それは当時パリに伝わったのが浮世絵がメインであったのに対し、
ウィーンには着物の「型」が多く伝わったためであること。
↑この違いがどうして生じたのかは番組で触れられていませんでしたが、パリに伝わった浮世絵が当時の印象派の絵画に与えた影響は周知のものですよね。
浮世絵が全く伝わらなかったわけではありませんし、日本画が全く伝わらなかったわけではありません。
現に琳派の代表作 尾形光琳の「紅梅図」

を反転させると

ダナエの構図のカーブがそっくりになります。(左の方)

その中にも日本伝統の文様の影響が見られます。
そんなクリムトですが、晩年は黄金をほとんどつかわなくなってしまいました。
私生活にどのような変化があったのでしょう?

アッター湖畔ウンターラッハの山腹の森

フリーデリケ・マリア・ベーアの肖像

アダムとエヴァ
それから、ラヴェンナのビザンティンモザイクの影響を語る上でおもしろいのが、アデーレの顔とテオドラの顔の類似性。



ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂の内陣に描かれている黄金のモザイクのテオドラ皇妃と、アデーレ・ブロッホバウアーの顔がとても似ています。
画家は異性の顔って、ほんの少しのタイプしか描けないといいます。結局は似通ってしまうとも。
クリムトにとって、このタイプの顔は彼のタイプだったのか、それともラヴェンナのモザイクの衝撃がそれほどまでに大きかったのか、とにかくこの系統の顔多しです。
そしてこの偉大なクリムトを日本で見られるのはココ!
愛知県美術館 http://search-art.aac.pref.aichi.jp/p/sakuhin.ph
世界に誇る日本のクリムトは 「人生は戦いなり(黄金の騎士)」
確か、同級生が学芸員だった気がします。
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