気が付けばもう40代。

 

たっくさん失敗したし、たっくさん笑った。

そして泣いた。

 

一度振り返ってみたいと思ったので

私の人生の歩みを出生から

書いてみたいと思います。

 

前回の内容


 

小学生の頃の私は

食べられないもの、食べたくないものが多くて

何を食べて生きてるの?と言われていました。

 

 

 

 

だからって細身ではありませんでした。

体形は普通くらい。

 

 

 

 

何が食べられなかったかと言うと

卵。

卵アレルギーがありました。

 

 

 

 

しっかりと茹でたゆで卵は食べられましたが

卵感が強いものはダメでした。

半熟トロトロなんてもってのほか。

 

 

 

 

調味料ではマヨネーズが苦手でした。

食べると耳の中が痒くなります。

 

 

 

 

そして

当時スーパーなどで売っていたケーキ。

おそらく食品添加物がダメだったのだと思います。

 

 

 

 

市販のケーキが食べられなかったので

食べられるようになるまでは

母が手作りしてくれていました。

 

 

 

 

母が作るのは2種類のケーキ。

 

 

 

 

ヨーグルトケーキとチョコレートケーキ。

はじめて食べた時は美味しくて

もっともっと食べたいと思いました。

 

 

 

 

 

 

ですが、時が経つにつれて

味が落ちて来て、

美味しいと感じなくなりました。

 

 

 

 

 

料理が苦手な母だったので

かなり頑張ってくれてたんですよね。

 

 

 

 

 

 

そして

食べたくないものは野菜。

 

 

 

 

 

トマト、ピーマン、ナス。

これらが嫌で仕方ありませんでした。

 

 

 

 

匂いが強い食べ物も嫌だったし

何故か納豆には砂糖を入れて食べていました。

 

 

 

 

食事の時の父といえば

箸をうまく持てない母をバカにしていました。

 

 

 

父は箸の持ち方に厳しかったのです。

私は正しい持ち方を父から習い

割りばしで四角く切ったクッションの中身のようなものを

右から左へ移動する特訓をしました。

 

 

 

そのおかげで食事の時

豆をつまむのも楽勝です。

 

 

 

 

そして食事中も

食べている口の中の音が聞こえると

突然大声で怒鳴りました。

クチャクチャするなと。

 

 

 

油断してぼーっと食べていると

それを食らうので

気を付けるようになりました。

 

 

 

 

テレビを見ながらダラダラ食べていたので

そうして怒られたときなどは

テレビで気をそらしながら食べていました。

 

 

 

 

夕飯の時間は7時だったので

その時間帯にやっているアニメを見ていました。

 

 

 

 

夜の8時以降のテレビは無し。

ただ土曜日?日曜日?にやっていた

「かとちゃんけんちゃん」という番組は

例外で見ることが出来ました。

 

 

 

 

家族みんなで見ていて一緒に笑って

楽しんでいましたね。

 次へ続く