さて「最後の忠臣蔵」 です。ウサギ的にはこの手のテロリストを誉めそやす作品はいい加減、打ち止めにしたほうがいいのではないかと、素直に思いました。
まず・・赤穂浪士の討ち入りって・・これって逆恨みの果てのテロですから!たとえば世間で言われる、吉良上野介が賄賂をケチる浅野内匠頭をいびった・・という話もかなり変な話です。吉良家は高家として4000石の石高でしたが、家柄がめっぽう高く、その役目がら朝廷の公家衆との付き合いや、大身の大名家との付き合いも深かった、ようは交際費がやたらとと掛かる家柄でした。当然吉良家の石高ではまかないきれず、外様大名が儀式典礼を教わる代わりに相応の礼物を高家に支払うのは当時の常識でした。その常識を破ったのなら非難されるのは浅野内匠頭の方でしょう。吉良家は慈善事業で儀式礼典を教えているわけではないのです。そもそも浅野が勅使供応でへましたら、自分の監督ミスとして自分に降りかかってきます、吉良としては逆恨みもいいとこです。
さて、世間の言われない忠臣蔵賛美と吉良家への誹謗中傷がつづいて幾百年が経ちましたが・・「最後の忠臣蔵」にウサギなりに突っ込んで見ました。
討ち入り前日に出奔した瀬尾孫左衛門、しかしそれには訳が有った、瀬尾孫左衛門(役所広司)は討ち入り前日、大内蔵之助の幼い娘を託され、公儀の目を忍んでひっそりと育ててくれるよう託されていたのだ。こうして瀬尾孫左衛門は大内蔵之助の忘れ形見の可音を大切に育てていた。自らは骨董屋に身を替えながら。ある日、瀬尾孫左衛門はやはり赤穂浪士の生き残りである寺坂吉右門衛にその姿を見られてしまう何故「討ち入りの前日に出奔したのか」問い詰める寺坂吉右門衛に瀬尾孫左衛門は刃を持って応えるのだった・・・。

まあ、こんな感じの映画なんですが50絡みの汚いオッサンにしか見えない瀬尾孫左衛門(役所広司)に16歳の可憐な少女、可音(桜場ななみ)が一方的に恋心を抱き、おかげで可音(桜場ななみ)に一目ぼれしてしまう大店の息子との婚儀が遅れてしまうという下りには幾らなんでも気持ち悪いです。まさかの主従の関係を乗り越えて石田純一も吃驚の歳の差カップルの誕生か!とも思いましたが、そこは忠臣蔵、無体な真似はできません。まあとりあえず・・思わぬ恋の行方にすでにおじいちゃんの年齢の瀬尾孫左衛門もどうしたら良いのか吃驚です。

ウサギが正直いってこの価値観には付いて行けないと思ったのは可音(桜場ななみ)と豪商茶屋四郎二郎の跡取り息子との結婚が決まり祝言が始まると、自分は早々に引き上げ自分の役目は終ったとばかりに切腹して自害して果てるに至る事。ようは主君の命が完遂されたからには自分も四七士の一員として後を追うという、いかにも忠臣蔵らしい最後なのですが・・・ウサギ的には「今更、あなたが死んで、誰か喜ぶ人が一人でもいるのか?今更の貴方の死は・・とどのつまり貴方の意地でしかない・・。」といいますか・・・なんだかウサギ的には「あてつけがましい」ものを感じてしまい・・。
それに、赤穂浪士の討ち入りがとどのつまりはただの押し込み強盗、テロ、老人殺害でしかないという事実と照らし合わせてみれば・・なんだかな~という感想しか残りませんでした。 ウサギでした。