甲府城は、武田氏の館・武田神社 より南に2キロ、JA甲府駅の近くにある。
今は、山梨県指定の史跡になっている。
武田氏が滅びてから、織田信長、徳川家康の支配下になり、豊臣秀吉になって関東に移封された家康への押さえとして浅野長政、幸長親子が、甲府城を築城した。
関が原の戦い後、徳川の城となり、柳沢吉保が城主になったとき整備されたといわれている。
本丸跡に行くと、正面に富士がそびえ、甲府盆地が一望できる。
稲荷櫓が復元されており、松とヒノキの迫力ある柱の骨組みが見える。
桜の名所といわれているが、すでに散ってしまって、どの木が桜なのかさえわからなくなっていた。
北の山腹に、白い幟が見えた。
確認してみると、幟ではなく観音様が立っている。
帰ってから調べると、恵運院(けいうんじ)の平和観音だそうだ。
観音様は12メートル、15メートルの台座の上に御立ちになっている。
見えたのが観音様、幸運を独り占めにした気がした。
今は、山梨県指定の史跡になっている。
武田氏が滅びてから、織田信長、徳川家康の支配下になり、豊臣秀吉になって関東に移封された家康への押さえとして浅野長政、幸長親子が、甲府城を築城した。
関が原の戦い後、徳川の城となり、柳沢吉保が城主になったとき整備されたといわれている。
本丸跡に行くと、正面に富士がそびえ、甲府盆地が一望できる。
稲荷櫓が復元されており、松とヒノキの迫力ある柱の骨組みが見える。
桜の名所といわれているが、すでに散ってしまって、どの木が桜なのかさえわからなくなっていた。
北の山腹に、白い幟が見えた。
確認してみると、幟ではなく観音様が立っている。
帰ってから調べると、恵運院(けいうんじ)の平和観音だそうだ。
観音様は12メートル、15メートルの台座の上に御立ちになっている。
見えたのが観音様、幸運を独り占めにした気がした。