体神と用神について(前回の補足です) | 欽天四化紫微斗数と陳老師の八字と進化占星学

欽天四化紫微斗数と陳老師の八字と進化占星学

台湾の易学の大家である陳永瑜老師直伝の欽天四化派の紫微斗数と八字(四柱推命)、
そして今世の魂の進化の課題をみる進化占星学(西洋占星術の一つの流派)について
お伝えします。
占風鐸・オンラインスクール
主宰 田中宏明

●体神と用神について(前回の補足です)


芦屋占い処・占風鐸 代表の田中風州です。

前回のブログで、「体神と用神について -人生の生き様を知るために-」というタイトルで、わたくしの四柱命式の天干を例題として説明させて頂きました。

早速、かなり四柱推命の勉強をされている方から、次のようなご質問を頂きました。

皆様にも参考になると思いますので、本ブログでご説明させて頂きたいと思います。


さて、そのご質問の内容ですが、


『よくわからなかったのは、風州様の天干で体神と用神のとりかたの例をあげておられましたが、そのことについてです。 風州様の天干の並びは・・・時日月年 己→辛←庚←丙
 ※この命式は、体神が辛、用神が庚。ということなのですが。 「辛」が体神であることはわかるのですが、用神が「庚」になるのが、よくわからないのです。本で調べたところ、「辛」への君側からの作用は「己」と「庚」は「強」で同じレベルの強さ?であり、「辛」の「正位」については「庚」は上注(右側)、「己」が下固(左側)となっており、どちらも正位をとっているのかなあと思いました。そうした時に、「庚」は「丙」に剋されて弱くなっているとみるなら、「己」が用神となるのではないのかなあと思ったのです。もしよろしければ、「庚」を用神にとられる解釈について、ご示唆をいただければありがたいのですが・・・。』



因みに、この方のおっしゃっている本というのは、佐藤六龍先生の「四柱推命術密儀」という香草社発行の書籍です。

かなり良い本と思います。

このようなご質問は、わたくしとしては有り難いことです。

実は、密かにこのような質問をされる方が出て来ることを期待していました・・・。

しっかりわたくしのブログをお読み頂いていないと、なかなかこの手の質問はできないですからね。


では、わたくしの見解を述べさせて頂きます。

1.まず、おっしゃるようにこの場合(己丙)、体神は日干の辛に間違いありませんが、用神は庚でも己でもどちらとも取れそうです。


2.庚を用神に採用した理由は、

①わたくしの命式の地支をみると「庚」は通根しているが「己」は通根していない。「丙」も通根なしで、庚を剋す力は弱い。これが最大の理由です。


②紫微斗数ではわたくしの命宮は天梁。官禄宮には火星のみ。「己」の象意である「理屈より感情優先」、「愛されたい」という気持ちは希薄である。


③西洋占星術でも火星が牡羊座にあり、闘争心がかなり強い。ホロスコープ全体が火のエレメントが強い。


以上の理由で、「庚」の劫財が用神にもっともふさわしいと判断した次第です。

命術も四柱推命だけではなく、紫微斗数や西洋占星術(これはわたくしはほとんど素人です)も併用するメリットはこうしたところにあると思います。


庚を一応、用神に採用しましたが、もちろん己の偏印も効いています。

庚の劫財に匹敵するくらいこの象意(発想は豊かで多趣味だが永続性がない等)ももちろん発揮(反省しています)していると思います。

また年上の丙の正官の象意もあります。

用神はひとつだけしか決められませんが、その他の干も全部大切な星です。

どの星も有効に使わなければもったいないと思います。


余談ですが、この体神と用神というのは、透派ではかなり浸透していると思いますが、泰山流ではあまり耳にしたことはありません。

その替わりと言えば語弊があるかも知れませんが、泰山流はあくまで「日干」と「用神」(ここでいう用神は命式になくてはならない干の扶抑用神や調候用神のこと)を重視するように思います。

ある著名な泰山流の先生のご著書にも、「用神は徹底して使いなさい」と書いてあります。

でも、そのような使える用神が命式にあればよいのですが、命式にどうしても用神がない人はどうしたらよいのでしょうか?

お叱りを覚悟の上でいいますと、泰山流は良い命式の人には「好命式」とか「上格」とか言って褒め称えますが、そのような命式はほんの一部です。

大多数は普通の命式か、用神も取れないような命式です。

用神を取れない命式などには「最下格」とか「どうにもならない命式」とか、とても厳しい言葉が出てきます。

このような占いの本で長く勉強していると、頭の中にネガティブな言葉が都度インプットされて、潜在意識にとても大きなマイナス意識が刷り込まれます。

精神衛生上よくないですし、引いては自分の運気の低下を招くと思います。

こうした方に鑑定して頂くのも好ましくありません。

わたくしはようやくこのことに気付きました。

著名な大先生の本だから何度も熟読しなければ・・・、という強い想いがありましたが、いまは、参考程度にしか読まないのが得策ではないかと思っています。