はじめは野心に満ち溢れた若者だった。
強く、美しく、魅力的。
創造の共感、創作の共有をする仲間もいる。
全てが手に入る予感が充満していた。
その時は空さえも狭く見えた…………
井戸の中にいた事に気付いた頃には、既に水は澱みはじめていた。
仲間だとしていた者達との結束は脆く。
疑心が不信に変わり、嫌悪に発展するまでにそう時間はかからなかった。
井戸を出て大海を目の当たりにした時、興奮や好奇心よりも、恐怖の方が大きかった。
恐怖を和らげる仲間もいなかったからだろう。
はじめから大海にいれば、恐怖を感じることなく、泳ぎ始めてたのだろう。
泳ぎ方など分からなくても、そのうちに泳げるようになっていたのだろう。
同じ井戸の中にいた者達の中にも、大海に出ていった者は多い。
彼等も恐怖を感じたに違いない。
しかし、彼等は敢えて飛び込んでいった。
その先にしかないモノを求めて。
それを手にしたくて。
欲は時として、恐怖を凌駕する。
彼は……
大海を睨んだまま、大海を泳ぐ自分を想像しながら、大海に挑む同胞達を、ただ見ていた。
恐怖を口に出すことも出来ず、立ち尽くす。
観衆達の期待や声援が痛い。
しかし、飛び込んで溺れる可能性だってある。
溺れる恐怖よりも、その失敗を見られる恐怖の方がいつしか勝っていった。
大海での泳ぎ方さえ身につければ……
カラダが乾かない様に水を適度にかけながら、陸地で藻掻く。
それは一見、努力の様でいて、その実、体のいい言い訳だったのかもしれない。
自分の力量を過小評価しながらも、時に過大に顕示させ、自尊心を保っていた。
周囲の期待が薄らいでいく中で、自己期待は膨大に膨れ上がり、批評を気にするあまり、それ自体を非難する事を覚えた。
挑まない口実をつくり、期待に体裁を取り繕いながら、いつしか本音や弱音を吐露する事も出来ぬまま、無根拠な自信と、不完全な理論で武装を固めた夢想家に成り下がっていた。
やがて、彼への期待や声援は聞こえなくなり。
体裁を取り繕う相手も、口実もなくなっていた。
そのまま陸地での生活を送るチャンスや能力は充分あった。
しかし、彼は水の中以外に自己を肯定出来る事がなかった。
恐怖の先にある欲。
彼の欲は、恐怖に打ち勝てるだけの強さがないのだ。
欲の代わりになるチカラ…
彼にとっては、律と仁だった。
たてた誓を守る事と、恩義に報いる事。
しかしながら、その夢想家を維持する為に、大切な律を曲げ、仁を尽くす方向を見誤らせていた。
全てに気付いた時……
大海も、かつての井戸も見えない、陸地の森にいた。水掻きも退化し始めていた。
幸いな事は、
孤独ではなかった事だ。
近くにはいなくとも、その夢想家の居場所を気にかけてくれる者。水のある場所へ誘導してくれる者。君が夢想家であるべきではないと諭す者。
今、彼は大海に挑もうとしている。
その先に何があるかはどうでもいい。
挑む事が、彼のライフワークなのだ。
若者であった頃ならば、溺れても死にはしなかったろう。
しかし、今の彼はそうではない。
溺れれば、二度と浮かび上がってくることは無い。だからこそ、充分な知識と技術が必要だ。足りない部分を補ってくれる仲間も必要だ。彼等はもう沖にいる。先ずは、一人で仲間のいる沖まで。その挑戦を遠巻きに見ている輩はもういない。たとえしくじっても、誰も知るよしのない事だ。
「君はきっと泳ぎきれるさ」