前回に引き続き孤独について考えてみた。

私が孤独だから?
確かに形而学的見地から考えれば私は孤独
かも知れないが、実存的見地からは孤独では
ない(笑)

孤独に興味を持ったのは、ここ最近、人の集
まるところ、集まるところに興味を抱くよう
になったからだ。

人嫌いの私が。
人を求めるようになったのには、何か根拠が
あるのではと・・・
例によって人間観察ならぬ、自分観察で。


感覚遮断という言葉がある。
感覚遮断とは、外からの刺激をできる限り少なく、
あるいはなくしてしまい、現実世界と切り離され
たような状態のことを言う。

感覚遮断の状態になると思考が乱れたり、身体的
な違和感を生じたりするようになります。

このことから、人が正常な心理状態を保つために
は外界から適度な刺激を受けたり、その刺激に対応
して自主的に行動を起こすなどして外界と関わって
いく必要があるということが分かっています。

人が感覚遮断の状態に陥るとどうなるのかを調査す
るために行われた有名な実験の1つとして、
ヘロン, W.が1957年に行った感覚遮断実験があります。

この実験の被験者は、目隠しをされ、耳栓をつけ、
手には筒をはめて物を触ることができないようにされます。
食事とトイレ以外は柔らかいベッドの上で寝ていることし
かできない状況に置かれ、視覚・聴覚・触覚刺激の入力を
極力制限されます。

被験者は何もすることがないので、はじめのうちは
よく眠りますが、目が覚めるとだんだん落ち着かな
くなり、何かを目にしたり耳にしたり、触ったりし
たいと感じるようになってきます。

こうした状態が2、3日続くと思考に乱れが生じて
まとまらなくなったり、物をきちんと考えることが
できなくなり、また身体的にも違和感などを訴える
ようになります。

次第に独り言を言う、口笛を吹く、インターフォン
を通じて実験者としきりに話したがるといった行動
が見られるようになりますが、これは刺激が少ない
状況下で、何とかして自ら刺激を作りだそうとして
いるのだと解釈されています。
さらに感覚遮断が続くと、人によっては幻覚が生じ
たり、妄想的な考えが浮かんでくることもあります。

食事を与えられ、快適な部屋に居られて、いつでも
眠ってよいという状態はストレスがない状態とも言
うことができます。

しかしストレスがほとんどない状態がずっと続くと、
それはそれで違うストレスとなってしまうと言える
のでしょう。

長距離の車の運転や、海や山で遭難した時にも
感覚遮断による異常体験が生じることが分かっ
ています。
長距離運転の最中にこうした意識変容が生じると、
ブレーキが遅れるなどして事故につながる可能性
もあります。

この実験から、人が正常な心理状態や認知機能を
維持し、心身共に健やかであるためにはストレス
がまったくないことも良くはなく、適度な刺激に
さらされること、そして外界からの刺激に反応し
て自ら現実世界に働きかけ、関わっていくことが
必要であることが分かりました。


人は完全な孤独下では精神に異常をきたします。
なぜそうなるのか、それは神のみぞ知る事なの
でしょうが、生きるってことは、結局関りであり
極論を言えば、関わり合わない生き物は、生きて
いる資格がないと・・

生物の究極の理論なんでしょうかね

 

 

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