昼食で近くのうどん屋に入った。

セルフサービスの店で、流れ作業のように食
品を選び、最後にお会計と・・
よくあるお店だ。

ここで若い男女のカップルが居たのだが、女
性は男性にお気に入りの食品を伝えるとその
まま席に向かった。

男性は女性が言った食品と、自分のものと二
人分運ぶのだが、お盆が二つになり、見てい
ても危なっかしい。

たまたま隣りの席に座った私たちに、遅れて
若い男が二人分の食事を席に並べた。
その食品を見て女性が、眉をひそめ、男に言
った。

「私お茶飲まないの知ってるでしょ。お水持
 ってきてよ」

言われた若者は、嫌な顔もせずに、慌ててお
水を取りに行く。

そんな男性の背中すら見ようとしない女性は、先
にうどんをすする・・・

時代は変わったものだ。
昔はこの逆だったものだが・・・

まあ若い者のすること。価値感が変わったのだ
からどうでもいいのだが・・



その晩、今度は近くの焼肉屋に夕食に入った。

今度は、若い子連れのカップルと隣り合わせに
なった。

亭主であろう男性は、漫画の本を読んでいた。
そのねきでは、3・4歳の男の子がぐずってい
る。若い女性が、そんな子供をあやしながら、
メニューと格闘していた。

「何にする」
「いつもの」
「ビールは」
「飲む」

突然子供が泣き始める。

母親は子どもをあやしながら、オーダーの注
文をする。
旦那は何をするでもなく、あいかわらず、漫
画本を読んでいる。

そこでフト思ったのだ。

釣った魚に餌はいらない・・・

この漫画に没頭してる男も、実は子供が出来
る前は、昼間のうどん屋の男のように、かい
がいしく動いていたのではないかと。

今に始まった事ではない。
昔だって勿論、男の態度は変わった。
しかし、ここまで急変はしなかったと思う。

言っちゃあ悪いが、偏屈でも筋が通っていた。

第一、独身時代、あそこまで女性にへりくだ
ってはなかった。
すくなくとも、私や、私のまわりの男は。

セルフサービスの店で、自分だけ先に席につ
き相方にすべてを任すなんて、これは「愛」
以前の問題だ。

愛とは言葉を変えれば、労わる事だ。相手に
関心を持つことともいえる。

自分が(こう)行動すれば相手は(ああ)なり
その結果(こんな)困った事になるであろう
と想像する。

その(困ったこと)を助けるべき為に今度は、
自分が行動する。この一連の行動の積み重ね
こそ(愛)の行動本質なのだが、それを無視す
る行為は(愛)そのものが無いと思われても
しかたがない。

愛の反語は、憎ではなく、無関心だ。

無関心こそ、人を奈落の底に落とし込む強烈な
(行動)といっていい。

名ばかりの(恋人関係)は、日頃の行動をみれ
ばおのずとわかってくる。

愛があれば、自然に(労わり)が生まれる。

労わりの無い関係は、見ていても(醜い)

愛はどこに消えうせたとのだろうか。

愛のない女に、報いは必ずくる。