先日、「マネー・ロンダリング?!」に出た八咫烏のおみくじ。

今日は、これを頂けるお宮の消えた狛犬さんのお話。

 

広島市のお隣安芸郡府中町(町村の中で全国一人口の多い町)に

鎮座する多家(たけ)神社(埃宮:えのみや、とも呼ぶ)です。

 

多家神社(=埃宮)  安芸郡府中町宮の町3丁目

由緒書 安芸の国の総社として記紀に記載された長い歴史を持つ神社です。

祭神は神武天皇。

神武天皇が日向から東征し大和に向かう際に、阿岐(あき=安芸)の国多祁理宮

(たけりのみや)で7年を過ごしたと古事記や日本書紀に書かれており、ここが

宮の地とされ、神社も延喜式にある安芸の古社三社の一社です。

 

(ただ、中世の戦乱に神社は亡失し、近世に近在2神社が我こそ多祁理宮(=埃宮)

と争い、明治になり元殿様浅野さんの裁定で両社を廃し、一社に纏められてここの

多家神社となりました。)

 

鳥居脇の標柱には古事記の序文から章句が取られています。(明治43年奉納)

右:列儛攘賊聞歌伏仇 儛(まい)を列(つら)ねて賊(あだ)を攘(はら)ひ、

           歌を聞きて仇(あだ)を伏(したがわ)しき

左:即覚夢而敬神祇矣 すなわち夢に覚(さと)りて神祇を敬(うやまひ)たまひき

 

神武天皇の熊野から大和入りの後の「忍坂(おさか)の戦」を表現すると云います。

(訳は、角川ソフィア文庫:新訂古事記 武田祐吉訳注 P18)

 

鳥居の扁額は「多家神社」(埃宮:エノミヤとも呼ばれる)

書いた方の名は裏に、維新の有名人「二品(有栖川)熾仁親王」。

神社全体の配置図です。今日は階段下のエリアを紹介します。

狛犬さんはどこにも書かれていません。注目の対象じゃないのかな?

目につく鳥居の近くにあり由緒もある、姿もいい狛犬さんなのに。

 

狛犬さん 阿形 少し口を開いている。 珍しい円座に乗ってます。

反対から 円座の彫物はやはり牡丹。

台座には文政8年

 

吽形は

銅の銘板が台に。

狛犬を作ったのは

見掛けない狛犬さんだと思ったら、出雲狛犬さんでした。

 

銅板で読めるのは、流転する狛犬さんのこと。

①文政8年、最初の狛犬が初代前田屋貞八によって松崎神社に奉納される。

②明治7年、松崎神社が多家神社(埃宮)に合祀され、狛犬もこちらへ移る。

③明治38年、出雲の石(来待石か?)の劣化で狛犬の補修を行う。

④昭和49年、多家神社(埃宮)の百年祭にあたり2代目の狛犬を前田屋貞八

      縁者が奉納。(これが現在の狛犬さん)

      劣化の著しい初代の狛犬は拝殿左右に移された。

 

今回、多家神社への参拝は、新しい狛犬さんと古い狛犬さんの両方を見る為

でした。

ところが拝殿の横に行くと…。台座しか残っていない、びっくり

(拝殿右側)

(拝殿左側)ショボーン

 

私の狛犬さん巡りの指南書でもあるブログ「狛犬さん あっ うん」さんの

多家神社三の狛犬には、崩れかけた出雲砂岩で造られていた初代狛犬さんが

写真に残されているのに…。えーん(写真:あっ うん さんのブログからお借

りしてます)

 

拝殿右側に移されていた初代の阿形。

(明治38年の補修で台座は御影石に交換されたようです

3497_enomiya_3a

拝殿左に置かれていた初代吽形

(こちらはオリジナルのようです。阿吽どちらも傷みが進んでいますね。)

3529_enomiya_3un

 

(2008年6月のブログに掲載されています。)

拝殿を中に、狛犬さんは背を向け合っている形に置かれていました。

崩れかけていて厳しい状態ですが、勝手に今もあるだろうと思っていたのが

行ってみると、上のように台座だけになっていて残念残念。えーん

 

神社の方にお聞きすると、「もう何年も前に傷みが激しいと除かれた。」との

話でした。

 

写真を見ると、今の一の鳥居脇の狛犬さんは、出雲の工房で初代の狛犬さんを

再現する意図で作られたようで、面影が偲ばれて良かったと思いました。

 

文政8年は西暦1825年、砂岩だと作られて200年は厳しいんですね。

昭和49年(1974)奉納の2代目も、200年後には、三代目出雲狛犬さ

んが必要になるってことかな、まあ先の話だけど。

 

いつもの長話の癖が出てしまった。だらだらとすみません。

今日は狛犬さんで終わります。

長い話にお付き合いさせてしまいました。

最後まで読んでいただき、有難うございました。<(_ _)>

 

次回も多家神社が続きます。

今日、狛犬さんはお休みです。ふとん1

 

今年は降雨量に大きな地域差が出てるのを感じます。

今までにない水の被害で苦労されるニュースに心が痛む一方で、

広島の住まいの辺りは8月に殆ど雨が降らず街路樹は枯れかけて

葉を落とし始めてるし。ショボーン

 

それでも広島は一昨日から降り始めて一日中小降りの雨でした。

本当に言葉通りの「干天に慈雨」。

エアコン無しの涼しい朝で、その気分を「夏の雨」で漢詩にと

思い立ちました。

 

漢詩で作りやすいのは七言絶句だと云われます。

起承転結の各句を二言・二言・三言の七文字一句の組み合わせです。

 

題「夏雨」の詩語のページから文字を選びます。

(太刀掛呂山先生:「だれにもできる漢詩の作り方」より P64) 

この中から自分の気持ちに合う語を選んで、詩を作り上げるわけです。

 

漢詩の言葉選びは、最後「結句」の締めの三文字から始めます。

最後を決めず、「起句」の語から作ると、初心者は最初に力が入って

竜頭蛇尾の詩になりがちだと云われるからです。
漢詩作りは後ろから順番に詩語をあてはめていく作業です。

 

雨が降らず周りが埃っぽいと感じていたので、下段の三言から「洗浮埃」

(ふたいをあらう:埃っぽさを洗い流す)を最後の三文字にしました。

初心者も詩の構成が分かれば、つまり文字の組み合わせが出来れば漢詩に

なるのです。

問題は言葉の組み合わせに詩情が漂うか?なのです…アセアセ

 

唐の詩を数多く読んで、自分で漢詩を作っていれば少しづつ分かるように

なってくるんだそうです。拙い詩を書きますが、ご容赦ください<(_ _)>

 

  夏雨(夏の雨)

   炎蒸流汗 聴遥雷 エンジョウ リュウカン ヨウライヲキク

   白雨民心 生気回 ハクウ ミンシン セイキメグル

   草木相慶 人笑語 ソウモク アイヨロコブ ヒトショウゴス

   跳珠閃々 洗浮埃 タマヲトバス センセン フタイヲアラウ

 

  蒸す暑さに汗は流れる 遠くに雷の音が

  夕立だ 皆の心に生気がよみがえる

  草木も喜び 良かったと言葉を交わす人々

  雨粒が跳ねてきらきら 埃を洗い流す

 

韻「灰」:起句「雷」、承句「回」、結句「埃」が韻をふむ。

平起式(初句の2文字目が平声の漢字)漢詩です。

(「炎蒸」は別の本から採りました)

 

「五風十雨」といった穏やかな天候は何処に行ったのでしょう…。

今日もありがとうございました<(_ _)>

 

次回は狛犬さんが出ます。

 

 

図録「あきたかたの狛犬」が、早速役に立ちました。音譜

ちょっと4月に書いたブログを出しますね。

 

ここ山崎神社で写真を撮った狛犬さんが図録に出てくるんです。

「地元の少し腕のある氏子さんが、見よう見まねで彫りあげて神社の

鳥居脇に置いたものだろう、そんなに古いものでもなさそう。」

「小さくてかわいいから、人気があるのもわかる!

などと思ってましたニヤリ 

 

ところが、ところが笑い泣き

上段の写真です。奉納時期は不明とされていますが…。

中世、応仁の乱(1467)の頃、京都から持ち帰ったとも伝わる、とはびっくり

 

山崎神社の狛犬さんは、参道狛犬とは別系統の神殿内に置かれる狛犬の様です。

図録中に5対の同様な狛犬さんが掲載されていますが、どれも神殿内に置かれて

いて、室町から安土桃山時代と考えられているそうです。

 

驚きますね、そんなに古いものだったとは。

小さいし神殿内に置かれる狛犬さんなら、今まで他で見掛けないのも納得。

 

知らなければ何とも思いませんが、安土桃山時代とか言われるとねェ凝視

「あのままあそこに置いといて大丈夫?」とか、思ってしまいます。

 

今日もありがとうございました。読んでいただいて。<(_ _)>

 

また次回。

 

最近ブログに書いている国道54号線の周辺。市域としては安芸高田市が

中心になります。

 

行きあたりばったりの旅で、見えた鳥居や社叢、地図検索で近所の神社

と探して出た所など、事前の調査が不十分。

何かヒントでもと、安芸高田市の吉田歴史民俗博物館のホームぺージを

見てたら「おや?」と目についたのがこれでした。

今から20年前の平成18年は戌年。戌年には犬で何かをと考えられた

のか、春2か月間狛犬で企画展が開催されたのです。(すごい拍手拍手

 

普段は見ることが出来ない、神殿内に置かれた狛犬さんを地域の神社に声

かけして市内から47、市外からも8、の合計55対もの(一部一体のみ)

狛犬さんが資料館(現在は博物館)に並んだのです。(見たかったな凝視

 

少し、図録をご紹介してみます。(89ページもあってすごい)

地元の「あきたかた」がメインですが、狛犬に関して大きな流れも掴むことが

出来る構成になっています。

 

神殿内の木彫狛犬さんの第一番は、佐々井の厳島神社の狛犬さん!

先日ブログで書いた神社ですが、普段は拝殿に入れず見ることはできません。

市内最古のようです。

 

神社参道の石の狛犬さんは、重いし持って行って展示するのも…。

ということで、図録の後半に写真で紹介されています。

全部で65対も写真で紹介されています。

広島なので玉乗り型が多いですね、安芸高田市の参道狛犬の約60%

が玉乗りだそうです。

 

学芸員さんの努力に脱帽です。

どこの神社に置かれていてサイズや年代、わかるものは作られた場所や

石工まで詳しく書かれていて、20年前にこれだけの調査・企画・展示を

されたのはすごいですね。

こちらも勉強しながら活用させて頂きます。

 

博物館は古い企画展(2007年以前)の図録で在庫のあるものを

価格を下げて販売していると云うことです。

狛犬さんもその対象図録です。送料を含めて千円しません。

地域の方なら参考書にいいと思いますが…ニコニコ

 

今日もありがとうございました。<(_ _)>

 

また次回。

54号線に沿った神社3社を巡りましたが、狛犬さんを考えて

みると、大正期から昭和の初期に奉納された玉乗り型で兄弟の

ように似ていましたニコニコ

 

少し54号線を遠方へ(と云っても距離は知れてますが)三次

まで行くと、以前のシリーズで書いたように個性的な狛犬さん

が見られるのでちょっと走って、まだ寄れていない神社に。

 

十日市若宮八幡宮  広島県三次市十日市南4丁目

路に看板は見えなくて、ナビを頼りに小高い丘に上って駐車場に

着き、左に小さな看板の矢印で下に参道とあり、下るとここへ出

ます。

扁額はシンプルに「八幡宮」。

大正12年の奉納。(歩きの参拝ならもっと下に一の鳥居。ここは二の

鳥居なんです。)

 

参道の石段を上がると拝殿。  狛犬さんもいる音譜

立派なお社ですね。屋根の赤瓦は島根県石見地方から来た石州瓦かな?

三次を流れる江の川は日本海へつながっていますから。

標柱には、左:天壌無窮(てんじょうむきゅう:天地と共にいつまでも繁栄が

続きますように) 

右、木の陰で見えない…何だったかなアセアセ

 

構え型の狛犬さんです。久しぶりに玉乗りさんじゃないので写真パチパチニヤリ

阿形 立派な尾だねえ、足先まで彫が丁寧。

後ろ

裏側もいい形だね。

(参道通らず左の小道で駐車場と直接行き来ができます)

 

吽形は。  引き締まったいい顔ニコニコ 左前足が台の縁にあり像に動きがある

(台に絵が描かれた石が置かれていますが、アマビコやいろんな魔除け?を

描いてあちこちに置かれています。)

 

胴体と同じくらい尾が大きくて立派だ。支える尾もデザイン良しOK

向い合って

(奉納年確認してないショボーン

 

参拝です。扁額は八幡宮 拍手パンパン

ご本殿は

立派な造り。

周辺にはこの神社に集約された地区のお宮が摂社・末社として祀られて

います。

天神社 (天神様菅原道真を祀ります)

粟屋(三吉)神社

元は怨霊を鎮める荒神社だったが、現在は八幡宮の守り神として祀る。

(領主粟屋(三吉)隆信がその厳格さで誅され、怨霊を鎮める社だった)

相殿神として兄の三吉隆亮も祀られている。

 

淡島神社  中で一番立派な摂社

安芸に浅野さんが来る前は、和歌山でした。加太の淡島神社への

信仰も厚く、三次藩主の浅野長治の娘阿久里姫の願いで勧請にな

ったいわれがあります。

荒神社

神與倉

三つの神輿があり、祭礼の時には渡御が行われるそうです。

帰る前にもう一度狛犬さん。いい顔だ。

お宮にも、ありがとうございましたニコニコ

 

今日もありがとうございました。<(_ _)>

 

また次回。

 

余談:ここは周りが公園になっていて、駐車場の近くにあるトイレが

   出来たばかりか、手入れもキレイにされていて感心しました。

   大切なことだと思います。公共の場がキレイに保たれるのは。

 

安芸吉田市を広島に向かって54号線を走ると同市八千代町。

ここの佐々井地区を通過中に、新しい燈籠が並んだ参道が

見えて、その参道奥に神社がチラリ。

燈籠を見て新しい神社だろうと一旦、通り過ぎたものの気になってUターン。

毛利氏に縁の深い佐々井の厳島神社でした。(知らなかったアセアセ

 

佐々井厳島神社  安芸高田市八千代町佐々井

入口左に昔のご神木に帽子が付けられ保存されている。

現在、安芸高田市の文化財指定は外されています。

 

神社由緒  毛利家とのご縁も深い神社ですね。

ただ、鳥居脇に見える黒い社票の裏にはもっと古いと書かれています。

こちらに彫られた正治元年(1199)を創建年として、1999年(平成11年)に

創建800年大祭が行われており、参道に並んだ燈籠はその時に氏子さん達に

よって寄進されました。

 

さて、拝殿両脇に一対の狛犬さん

 

阿形

横から

吽形

奉納年は昭和6年

前回の清神社狛犬さんによく似ているのは、年代も近く清神社の

石工・業者と一緒かも知れないですね。

ここもバランスの良い広島玉乗り型です。

 

お参りします。ぱんぱん拍手

拝殿は閉まっているのですが、神社内に置かれた玉殿は重要文化財なので

見られるかと、ガラス窓の外からトライするも、残念、見えませんでした。

現在、広島県の重要文化財として本殿内の玉殿と、保存されている古い

木製の「大明神」の社額、毛利輝元の名の記載がある棟札が合わせて指

定されています。

それらは見えなくて、ガラス戸を通して社殿内部を写すと。

 

左方向:昭和天皇が軍服・乗馬姿で宮城前広場にて閲兵をされる絵馬。

右方向:新しい燈籠が奉納された創建800年大祭に村芝居が上演され

出演者全員によって寄進された宮島を描いた絵馬。

 

拝殿の後ろに御本殿。

後ろの山の地盤がよくないので嵩上げされたようです。

 

帰る時目についたのが拝殿の入口左の額。

宮島の管弦祭と同じ日に舟を前の川(簸川:ひかわ)に浮かべて御祭りを

夜遅くまで行っていたと書かれていました。

知らなかったのですが、昔の船が神社の床下に今も置かれていると云う

事です。(事前の勉強があればよかった…ショボーン

水が出ていない手水鉢を帰りにチェック。

古く見えたのですが昭和4年でした。

いいお宮さんに巡り合えたと振り返って一枚、パチリ。

夕方が近づいて影が伸びてきました。

今日も最後までお付き合い下さってありがとうございました。感謝<(_ _)>

 

また次回。

 

国道54号は広島と出雲を結ぶ道。中国地方を瀬戸内海から山陰へ走り

昔は出雲街道と呼ばれました。

この中程に安芸高田市があります。毛利元就が郡山城を構え山陰の尼子

や広島の安芸武田家と戦って滅ぼし、中国路の覇者となる原点となった

地です。

 

毛利と一統のゆかりのある神社がこの国道沿いに数多く残されており

前回、寺の本堂に見えると書いた男山神社も、元就の娘が嫁入りした

宍戸家によって建立されたものです。

 

今回は毛利家ゆかりの清(すが)神社に参拝します。

郡山城の麓に鎮座しています。

 

清神社 安芸高田市吉田町

神社について

一の鳥居

コンクリート製の両部鳥居で島木、笠木は木製。

 

扁額は木製。

扁額を書いたのは最後の長州藩主毛利元徳の子、公爵毛利元昭。

参道石段の上に、ご神木の大杉が控える

石段を上ると境内に狛犬さんがいました。

阿形  大杉と並んでパチリ

奉納年は大正三年です。大正天皇の御即位記念でしょうか。

吽形 広島らしく形の良い玉乗り型

ご神木の大杉を中に向かい合ってパチリ。向こうは神楽殿。

元々6本あったご神木平成の台風で最大の一本が幹の途中で折れて倒れましたが

社殿他の建物に全く被害なし。

その倒壊した切株が、被害から周りを守った身代わりのご神木と祀られました。

令和7年には残った5本の内、倒壊の恐れがあると2本が切られ

残る3本も上部を詰められています。

 

社殿前にもう一対の狛犬さん。これは昭和40年代のもの。

 

さあご本殿へ参拝します。パンパン拍手

本殿が拝殿と一体化した造りです。元禄7年(1694)造立のお社。

 

本殿まわりの装飾などを見ると屋根に木瓜紋、蟇股には鯉。

清神社の元の神社名、祇園社に由来する木瓜(もっこう)紋です。

祭神の須佐之男命は鯉に縁のある神様のようです。

京都の祇園祭の鉾に鯉山があり須佐之男命を祀った鉾だとか。

 

本殿右に並ぶ二社  

伊勢神社   お伊勢さんを祀っています。

椙若社(すぎわかしゃ)

椙若社は、毛利元就を育てた養母杉大方(すぎのおおかた)

を祀っています。NHK大河ドラマ毛利元就で松坂慶子さんが演じ

好評でした。そのお陰で修復なって今の姿になりました。OK

この大河ドラマを知ってる人はかなりのご年配?アセアセ

 

本殿前でご神木を両側にいれてパチリ。ありがとうございましたニコニコ

 

今回も最後までありがとうございました<(_ _)>

次回も国道54号線が続きます。

今日もちょっと横道にそれた話。

狛犬さんは出ませんので、狛犬ファンはパス頂いて大丈夫です。

 

住む地域で神社情報を発信され、いつも参考にさせて頂く総氏神様

「岡崎神社」さん。

(住まいは旧大塚村なので「宮ケ瀬神社」が氏神様です。地区には

氏子総代さん始め役員さんはおられますが、神職不在で祭祀は岡崎

さんだし、地域情報もそちらが多いのです。)

 

昨25日に発信されたブログが、最近地方の衰退の中で起きている神社

の問題点を書かれていたので、神社巡りされているお仲間にも情報と

して参考になればと思いましたのでコピーを載せます。

 

(岡崎さんのブログから)

文化庁から、「宗教法人格の不正利用」についてのアンケート調査用紙が

送られてきました。身近でそのような例を見聞きしたことはないか、と尋

ねられる内容です。

 

宗教法人には税制上の優遇があり、団体としての年収がおよそ8000万円ま

での規模でしたら、初穂料や非営利事業の事業収入が非課税の扱いになり

ます。この優遇を目的に、第三者が脱税やマネー・ロンダリングを狙って

宗教法人格を手に入れようとするケースが増えています。

 

宗教法人そのものは、たとえば株式会社のような「所有権」はありません

ので転売できる団体ではないのですが、宮司などの代表役員の地位を金銭

取引で手に入れ、団体としての収入を非課税にしようとする「売買に類似

した行為」が社会問題になっています。

 

私(=宮司)も含めて、自分の奉職する神社を手放すのが良いことだと思

っている神職はひとりも居ません。しかし、地域にある小さな神社は、も

ともと金銭的には余裕がありませんし、氏子さんも減少しており、ご寄付

を頼ることもできません。宮司の持ち出しでどうにか維持している神社が

多くあります。宮司負担金を納めることができない状況になって神社本庁

を離脱し、それでも年々、神社の維持のために宮司の私財が減少する一方

となれば、金銭取引で宮司を交代しましょうと持ちかけてくる第三者に頼

るかたちになるのも、やむをえない場合があるのです。

 

神社本庁に所属していれば、「宮司」以下職員は皆、神社本庁から神職資格

を与えられ、その職を拝命しますが、本庁を離脱すると上部組織がなくなっ

て単立の宗教団体となり、誰でも神職を名乗ることができるようになります。

たとえば靖国神社は全国に知られた、権威のある神社ですが、本庁に所属し

ていませんので、極論を言えば神職でなくても靖国神社の宮司になれます。

 

地元の小さな神社が単立になった場合、第三者が金銭取引を持ちかけて宮司

の地位を手に入れる、ということは容易に可能になるのです

 

幸い、上記のように金銭的に限界まで行った話は、安佐支部内では耳にした

ことがありません。ですが全国的にはそれなりにあるということは聞いてい

ます。宗教団体にも課税するべきだという意見がよくあり、理論的には妥当と

(私は)感じる面もあるのですが、実際にそうなりますと、転売や不正利用の

防止にはなるものの、身近の多くの神社が金銭的に限界を突破し、消滅するこ

とにもなると思います。なかなか難しい問題です。

 

(なお、以前も書きましたが税制上の優遇は宗教団体としての話であって、

宮司以下の職員個人はこれとは全く関係なく、収入に対して課税されます。

私自身、毎年、確定申告をしています。「宮司」の職に対して神社から受け

取るものは報酬であり、個人としては全く非課税にはなりません)。

 

こんな形で神社を悪用されるのは、街中の神社が対象なんだろうけれど…。

今、神社や氏神様が置かれている状況は理解しておきたいと思います。

お賽銭だけでなく、ご朱印、お守り、おみくじの購入も神社維持に大切な

ことなんだと教えられます。

日曜日に府中町の多家神社で頂いた八咫烏の「おみくじ」も少しは

役に立つといいけれど…。(お腹の中におみくじが入ってます)

 

次回は54号線に戻って、狛犬さんをご紹介します。

 

最後まで読んで下って、ありがとうございました。

 

 

 

 

サッカーで寄り道、狛犬さんが待ちぼうけ。

お盆に行った男山神社を続けます。

 

神社にあるのは簡単な石塚の由緒看板でした。神社神官の初代・二代の

人物来歴程度で、その他については知ることができません。

 

由緒終わりに書かれた大元神社の脇に小さく石で丸く積み上げた塚があり、

これが「石塚」と呼ばれているもののようで、第二代神官の墓らしい。

(写真忘れた(-_-))

 

 大元神社  

大元神社は国之常立神が祭神のことが多いが、長男山八幡宮が鶴岡八幡宮からの

勧請であり、由緒正しき鶴岡八幡神官直系が継続していることを示すため、第二

代の鶴岡八幡から下向し神職を務めた青山渡亀若丸義頼を大元として祀る社だと

も考えられそうだが…。

(看板には、昭和56年に下甲立の氏子、製材業・大工さん達が寄進と書いてある)

 

大元神社後ろには古い扁額が2枚、半分埋もれて残されていて泥を払うと。

一枚は「長男山正八幡宮」これは元々一か二の鳥居に架けられたものか?

勧請由緒の正しさで、「正八幡宮」とされ、地名長男山(ナガオトコヤマ)を

冠して昔は神社名「長男山正八幡宮」と呼ばれた。

 

もう一枚は「郷社 男山神社」(郷社は上段で横に右書き)

明治初年の神仏判然令で、八幡神が記紀に記載のない半島由来の

神とも指摘されたことで、全国で八幡宮の呼称を神社と変更した

ケースが多いが、ここの男山神社もそうだろう。

 

その後、昭和6年に郷社に昇格。その際、この扁額が使われたと考え

られる。コンクリート製か?一か二の鳥居に架けられていたものが

戦後、GHQの指令で社格(郷社)が廃止された時に撤去されたか。

 

前回見た一の鳥居の貫の石材が新しいのは、この扁額が取り替えられた

時に一緒に傷んでいた貫を取り換えたものだろう。

 

ただ、一の鳥居の長男山八幡宮の扁額が新しくなり、ここに残った同じ

名称の古い八幡宮の扁額が使われなかったのか不思議。

 

さて狛犬さんは? 

阿形

横から

横に彫られたのは奉納年 昭和8年7月

(郷社昇格から2年後、社殿改修の完成に合わせた奉納だろう)

吽形は

 

横は

 

 

台に彫られているのは、奉納は郷社昇格を記念して。

 

広島玉乗り型のがっしりとした体格でバランスが良くとれた狛犬さん。

 

さあ参拝します。パンパン拍手

(何度見ても、注連縄はあるけれどお寺の本堂感たっぷり凝視

 

拝殿左にも摂社・末社が2社鎮座する。

 

前にあるのが宍戸神社

当地の五龍城で地域を治め、鶴岡八幡から宮を勧請した宍戸家を祀るお社

だろう。

 

後ろに 大武神社。

由来などわからない。

安芸高田市の歴史民俗資料館など、戦国期からの毛利家とその一統に

関する情報に詳しいところで聞けば話も分かるのでしょう。

狛犬の数を見て歩こうが今の状態なので、勉強不足…💦

 

神社の拝殿前の広い境内の様子、お寺の本堂を思わせる拝殿など、謎の多い

神社です。またいつか機会を作って調べたい神社です。

 

二回にわたる安芸高田市下甲立の男山神社でした。

ご覧いただきありがとうございました。

 

また次回も54号線の神社を巡ります。

 

 

西では暑い日が続き、関東では集中豪雨に震度5弱の地震。

子供の頃の夏は、ここまで過酷な日が続いたような覚えが無いのだけれど…。

 

暑い中頑張った中学生に元気をもらったので、今日は番外ブログですがご紹介。

 

週末、全国中学校体育大会のサッカー大会(第57回目だとか)が、広島で

開催されました。土曜日には当地の元サンフレッチェのホーム「ビッグ

アーチ」(94年アジア大会メインスタジアム)と第一球技場で準決勝が

2試合行われたので見学に。

 

スカパーのコマーシャルしか大会のポスターは無しで、義務教育なので簡素な

しつらえにしているのか知れないが、もう少し開催のPRがあれば地元の人達が、

全国から集まった中学生の応援やスポーツを楽しむいい機会だったのに。

 

義務教育のスポーツは「コーマシャリズムに染まらず、質実剛健に」が、いつま

でも続く不思議さ。

 

大会の組み合わせ表や、前日までの試合結果など、どこにも場内に掲示が無い。

2,000円のプログラムと2千数百円のTシャツは売られていたけど…。

翌日の日曜日、決勝戦は現サンフレのホームスタジアム「ピースウィング」。

中学生たちにとっても最高の会場で良かったね。

 

各地から応援の車が駐車場に一杯。

会場は、向こう銀色屋根のメインスタジアムとここ第一球技場。

前半はメインスタジアムで静岡学園(東海)と聖望学園(関東)の試合を応援。

試合開始(右:静岡、左:聖望)

応援は埼玉が優勢でした

前半の結果

静岡のボールに対する選手の集散とパス回しの速さが目立ちました。

(チームは昨年の覇者)

 

後半は、第一球技場へ移動します。ここはサンフレッチェ・ユースの

ホームスタジアムです。

正面から暑い日差しが照り付けるので、日向には人が見えない。

観客は上の方に陰を求めて声援しているのですが…。わかるかな?

こちらは、神村学園(九州)対 精華学園(関西)。前半が終了して0-0の接戦。

神村学園は一昨年の覇者。

応援は、声援は両者互角。京都の応援掲示は挑戦!

最後まで0-0。キック合戦で決まるのかと思った瞬間、抜けだした

神村学園の選手、ゴール❢ 1-0で神村学園決勝へ。

 

隣のビッグアーチの結果が場内に4-1で静岡学園の勝利と知らされ

日曜日は、昨年・一昨年の優勝校同士の決勝をピースウィングで開催。

 

(翌日の決勝)

準決勝同様に最後まで0-0の接戦で、延長戦突入かと云う時に、神村

学園がゴールネットを揺らし、1-0で優勝。2年ぶり4度目だそうです。

おめでとう。

 

暑い中、参加した全国の中学生、サポートを頑張った地元広島の中学校

サッカー部員の中学生(地元大塚中の子供達も朝からずっと協力)、いい

経験をしたね。

 

お付き合い頂き有難うございます。感謝❢

 

男山神社の続きは次回に。