ゴールデンウィークもあっという間に過ぎて、日常が戻ってきましたね。

狛犬さん巡りも、G.W.前に回っていた三次の狛犬さん巡りの続きです。

 

ふきも昨日残ったので、味噌漬けにして日持ちするようにしました。

今日はもう食べられます。日本酒を買いに行かないと。(^^♪

写真で見映えがするように、山椒の葉をちょんとのせて。

昨日のふきご飯にのせると良かったのに。( ´艸`)

 

熊野神社は予定に入れてなくて、行ったり来たりで走り回っていると

国道184号線脇に鳥居を見掛けて、狛犬さんは見えなかったけれど

車を少し先の、やや広いところに停めて、様子を見に。

 

熊野神社  三次市吉舎町海田原  狛犬さんいました!

鳥居をくぐり、建物の左に見えたのが

「戦捷(勝利)記念」の砲弾ですが、昭和12年の奉納となっていて

その昔の日清・日露の戦争でなく、支那事変におけるどこかの戦い

の勝利を記念したものでしょうか?

 

社殿前の狛犬さん阿形

吽形

奉納年は昭和8年4月、広島の典型といえる、玉乗り型ですね。

 

かたわらに昔のお宮の瓦(改装前?)が置かれている。

木瓜(もっこう)紋ですが、熊野神社に関係するのかな。

小さな地区の氏神様で、由緒書などは見当たりません。

 

三次市には畠敷(はたじき)町に大きな熊野神社があります。

中世この地の国人領主であった、三吉氏が熊野神社を勧請し、

領域全体に分霊を祀る神社を建立したと伝わりますので、

ここの熊野神社もその中に含まれる一社と考えてもいいのでは

ないでしょうか。

  広島県神社庁三次支部の「神社ご紹介」

   畠敷町 熊野神社 

元の神社から勧請した後に、その神社から別に分霊することが
可能なんですかね。(勧請元の神社に承認は受けるのでしょうが)
 
今日も長々と、ありがとうございました。
 

 

今日はゴールデンウィークの最終日。

美味しい飛び入りが入って狛犬さんが一日延びましたが、その間に

あったことも含めて、先日の本通りフェスで出会った三次の狛犬さん

をもう一つご紹介します。

 

そういえば、昨日のふきご飯はどうなったのかな?

ふきと油揚げだけにして薄味で美味しく頂きました。(^^♪

(でも、これは日本酒だったなぁ…)

 

先日、太歳(ださい)神社を参拝し、狛犬さんを宮司さんのご配慮で

拝殿の奥まで入って写し、ご紹介しました。

お手数を掛けて写真を撮影させて頂いたお礼とブログに載せた報告を

神社のアドレスへ入れたところ、丁寧な返信を頂きました。

当日、神社拝殿の開放日に対応いただいたのは

太歳神社 禰宜(宮司さん)小原 祥朗(おばら よしあき)様でした。

 

ブログ終わりに書いた、歴史のはてな? 神社の勧請元や経緯は?に

こう返信(抜粋・要約です)頂きました。

「勧請元については、私どもでも特定できていない部分です。出雲にも

出向いたりしましたが、周辺に社名神名が重なるものはなく、ただ古い

時代の記録で現在に伝わっていない情報というのは、珍しいものではな

いので、そのあたりも推察を楽しんでいるところです。」

 

お手数をおかけしたうえに返信まで、ありがとうございました<(_ _)>

 

当日の狛犬さんもう一つ

本通りを太歳神社へ向かう途中、県道434号と交わるT字路の正面に

小さなお社、胡子神社がありました。

 

胡子神社  三次市三次町

両側を家屋に挟まれて窮屈そうですね。

本通り商店街の皆さんが商売繁盛を祈った地区の氏神さんのようです。

社殿にかかる大きな提灯に胡子神社の名前、標柱脇に彫られているのは

胡子神社ではお馴染みの蔓三つ柏紋です。

標柱

至誠 通神  至誠(まこと)は神に通じ

禎祥 是見  禎祥(目出度いしるし)を見る

 

阿形の狛犬さん

吽形は

鬣(たてがみ)、尾を含めて、毛並みの彫が深くて丁寧です。

狭い場所にいろいろ並んでいて、奉納年月が見づらくて…。

神社の改築記念碑は大正6年。燈籠が昭和5年の奉納。

狛犬さんもこのどちらかの奉納時期だろうと思います。

 

もう一社ご近所に住吉さんがあるのですが、時間切れで…。

また、機会もあるでしょうから。

 

今日はこれまで、ありがとうございました。

連休中には出かける人も多く、昨日の夕方にふきが届いた。

採れたばかりの新鮮なふきだったので、早速あく抜きだけは

済ませておく。

いつも狛犬さん以外は、取り掛かってから「アッ、ブログだ!」

と気が付くので頂いたばかりの新鮮なふきの様子は写真無し。

 

新鮮野菜が手に入ると、内田さんの参考書の出番。

春夏・秋冬の2冊です。料理というより新鮮野菜の食べ方

アドバイス本です。新鮮な野菜が手に入ると活用します。

さて、どんな料理にすればいいかな。

よし、左下にあるふきの葉の佃煮だね。

ふきの葉を3・4回茹でてアク抜きし、水にさらす。

(といわれても面倒くさがり屋は2回です)

よしよし。次はフライパンでごま油を熱し、細かく刻んだふきの

葉を炒める。

調味料は、酒、みりん、醬油、ダシ(あるもの液体)、チューブ

からショウガをちょこっと。

出来上がりの時に、かつをのパックから適当に入れて、いりごま

をぱらぱらっとかければ出来上がり。

葉が沢山だったので、3回に分けて作りました。

日本酒に良さそう。

 

で、茎の方は、茹でて皮をむいて水に入れて保存。

新鮮で細身のふきは塩ずり(板ずりでした(-_-))などの必要は

ありません。

夜はふきご飯にでもしましょうか。

そう、忘れずに頂いた方へのお礼、お届け分を。

 

狛犬さんは明日に出番が延びました<(_ _)>

ゴールデンウイークのお天気は不安定。今日は雨模様。

広島は3日からフラワー・フェスティバルで賑わうけれど、平和大通り

パレードに出演の人達は雨だから大変だ。

 

今日は、4月29日(祝)三次本通りのフェスに合わせ拝殿開放日が

設定された太歳(ださい)神社へのお参りと狛犬さんのご報告。

三次市三次町の本通りは、江戸時代浅野家三次藩の城下町として繁栄した

三次の中心地。最近街路を石畳に、電線は地中化、うだつの付いた商店街

の整備事業などが終了し、美しい街並みになっています。

全国的には「三次もののけミュージアム」が知られているかもしれませんが

一本隣の通りにあり、歩いてすぐです。

 

なんと、今回が第一回のフェス開催で、地元の方々で賑わっていました。

(実は、知らずに別の行事で三次に行き、出くわしました~(*^-^*))

 

三次太鼓のグループがフェスを盛り上げて、拍手喝さいを受けてます。

この通りを行くと、途中に城下町の名残りかぎの手があり、道しるべを

見て、とことこ歩けば太歳(ださい)神社に到着します。

 

道しるべ

出雲大社への道しるべです。位置は少し動かされたようです。

広島、高野など当地の地名と、出雲大社で雰囲気は合ってますが

フェス会場の通りからかぎの手を曲がって太歳神社を通過する道

は大森銀山街道でもあります。

 

太歳(ださい)神社  三次市三次町

    漫画「朝霧の巫女」のモデルになった神社です。

    私はそちら方面が不案内で知りませんでした((+_+))

県道39号を渡ります。

鬱蒼たる樹々に囲まれた歴史を感じさせる神社。

神主さんが、参詣者へ一日拝殿の見学に対応されることになってます。

(これも現地で知りました(^^♪)

ありがとうございます<(_ _)>

お参りの際には、玉串拝礼をきちんと学ばせて頂きました(*^^)v

 

最初に一の鳥居、二の鳥居に置かれた狛犬さんにご挨拶。

一の狛犬さん 大正11年奉納

阿形 いつもの前・横・後

吽形

広島の玉乗りタイプです。尾も大きくバランスがいいです。

 

続いて大きな背の高い燈籠の先、二の狛犬さん

阿形 前・横・後

吽形は

がっしりとした玉乗り。阿吽が同じ形で、尾が頭に付きます。

奉納は昭和16年。奉納者美濃岩吉さんですが、同 舵子(かじこ)

と書かれていて、瀬戸内海や江の川の舟での運輸をされたGr.か

会社の方達から納められたものでしょうね。

 

ここから拝殿までの石段はコノハナ参道の名が付けられていて

紙製の花びらに願いを書けば、糸でつないで石段の上に渡し掲

げられて飾られます。

神社の主祭神として祀られている木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノ

ミコト)は記紀に出る、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)との間に海幸彦・山幸

彦などを産れた美しい女神様ですが、花びらの絵馬はいいアイデアで、

上って行く際に見ると、風にそよいできれいでした。

 

拝殿です

左におられるのがお若い神主さん。説明や狛犬さんの写真に

便宜をはかって下さいました。

 

拝殿内の狛犬さん

阿形

吽形

神主さんも狛犬さんに関しては、多分陶器でしょうというくらいの

お話で、奉納年月日等も不明とのこと。

 

拝殿から一段上の御本殿前にもう一対狛犬さんがいたので、お願い

したところご本殿の中を撮るのでなければとお許しを得て、昇段さ

せて頂いて大急ぎで狛犬さんを撮影。

 

阿形

吽形

これも焼き物のようですが、叩いてみるわけにもいきませんしね。

阿形の狛犬さんは手前側の耳が欠けているようです。

参詣の方が続いて来られるなかをご本殿前を長くうろうろもできない

ので、写真は一枚づつ。本当に、ありがとうございました。<(_ _)>

 

中世にこの地を治めた三吉氏から毛利氏、福島氏、浅野氏と歴代の

藩主から崇敬された歴史のある神社でした。

 

歴史のはてな?

戻って調べて気になるのが、どの神社案内にも御祭神を出雲国神門

郡青柳郷吹上島より勧請したと書かれています。

出雲地方にコノハナサクヤヒメを祀る神社に大きな神社は無く、勧

請するほどの理由は何だったのでしょう。相殿神も出雲と強い関係

は無さそうなのです…。

 

広島県神社庁三次支部データ

主祭神:コノハナサクヤヒメノミコト

相殿神:瓊瓊杵尊(ニニギノミコト:コノハナサクヤヒメと婚姻

         関係にあり海幸彦や山幸彦をもうけた神)

    大山祇神:コノハナサクヤヒメの父

 

長い長いブログにお付き合いいただきありがとうございました。

 

5月4日:ご本殿の写真を追加。(お天気の加減で暗くてゴメンなさい)

立派なご本殿です。

思いがけなく有原天満神社に参拝し、狛犬さんを堪能。

さあ次に計画していた吉舎(きさ)の艮(うしとら)神社へ。

 

三次市吉舎町は興味深い土地で、町内によく知られている艮神社が

4か所あります。

普通は、都城を鎮護するために北東に置かれる神社に名付けられま

すが、この地域では疾病、地震、豪雨災害、火災などの天変地異を

起こす悪鬼がやってくる方角にその地区地区の災いを避けるために

祀った神社に、名を付けたように思います。(特定のモノからの方角

ではなく、疫神社や塞神社の性格を併せ持つ氏神社・鎮守社で、

後に武家の神・八幡神も祀った神社のようです。)

 

ただ、戦国時代和知町からここ吉舎に移った和智氏の本拠南天山城

が、この艮神社の西になるので、城の東にはなりますが…。

 

艮神社  三次市吉舎町吉舎

車は鳥居の先、左のスペースに停めました。

参道鳥居を過ぎると社殿が迫ってきます。

 

由緒に、後鳥羽上皇が承久の変後、隠岐島に配流された際にここ艮神社に宿泊されて

風光やもてなしに対して、吉(よ)き舎(や)どりであったと、嘉(よみ)されたことが地

名の由来として記されている。(後鳥羽上皇の隠岐への行路にここを通られたとする

この土地の伝説)

 

当地の国人領主であった和智氏は毛利氏の家臣として萩に移りましたが、

ここ吉舎は中世から江戸期浅野時代を通し長く出雲(石見銀山など山陰)と

瀬戸内(福山・尾道)を結ぶ街道筋の宿場として栄え続け、艮神社も規模は

小さいものの立派な造りに、往時の繁栄を偲ぶことができます。

 

本殿は小ぶりです。

しかし拝殿は、廂、向拝部分から始まって彫刻が見事なのに驚きます。

 

拝殿正面の欄間の彫刻は、魔よけの吉祥果ザクロの実を中央に、龍を

左に。

拝殿四方の欄間を巡ると

獅子が

鶴も(色彩が残っています。創建当初は華やかだったでしょう。)

鳳凰も

神鹿も

白鷺も

 

 

天井を見上げると家紋尽くしの格子絵です

どちらもピントが甘くて…、すみません。

束にも動物が

懸魚まわりの意匠や彫も素晴らしい。

社寺建築が好きな方なら、色々な見方が出来て面白いでしょうね。

中身の濃いお社です。

 

狛犬さんは拝殿前に。 お待たせしました。

ここは子連れの玉乗り狛犬さんです。   明治10年奉納

阿形

玉に登ろうとする子狛犬君に大きく口を開く親狛犬さん。

牡丹の花も枝葉が彫られて置き台も立派です。

 

吽形は

前からでは、子狛犬君が見づらい

子狛犬君を少しアップで

子狛犬君は尻尾も立てて全体が下の台から飛び出ています。

阿形の母さん?が大きく口を開いているのは、吽形の父さんに

「注意して!子供が落ちそうよ!」と叫んでいるのかも。

石工さんの工夫を感じます。

親狛犬さんも阿・吽で尾の形が全く異なっています。

 

最後に一枚

少し見にくいのですが、拝殿の向拝部鬼板部分の紋が三つ巴紋になっています。

社殿の大棟の部分の紋は、二重亀甲に三つ柏のようです。

艮神社ですが、江戸時代までは武神・八幡神を一緒に祀っていたのでしょう。

「三つ柏」紋がよく分かりません。毛利や浅野の紋ではないので、和智氏の家紋

か、何か経緯があるものなのか?またうろうろするうちに分かるといいのですが。

 

*艮は、十二支で方角を示す北東。

時計で言えば12時・北を子に、Ⅰ時が丑で北北東、2時が寅で東北東、3時が卯で東。

丑と寅の中間=艮は、北と東の中間となり方角は東北になります。

陰陽道などで、鬼門(鬼神のやってくる方角)に当たるとされました。

平成の市町村大合併で、広島県も市町村の数は少なくなったけれど

広域化して地理不案内な人間が同じ市内だからと、あのお宮、この

神社と行く先を選んでいたら、西へ東へ行ったり来たり走り回る。

「あれ、さっきも走った道だ」の、行き当たりばっ旅( ´艸`)

 

国道375号を吉舎町に向かって走ると右手に「おや鳥居だ。」

見えたらご縁ですから 即、参拝!(^^)/

 

有原天満神社  三次市有原町

車は国道の広くなった場所に。

鳥居をくぐり右に坂道を歩いて上がる。

 

社殿に狛犬さんが見えた。

ご本殿 ちょっと暗いかな。

 

昔、拝殿に付けられていた屋根の鬼板部分には梅の天神様の紋。

この赤瓦に替わる前は、黒瓦だったんだ。

雰囲気が一変したって感じだろうね。昔を知ってる人が見れば。

 

さあ、拝殿前の狛犬さん 昭和6年奉納

台が高く造られていて見上げる感じ。

阿形は 立派な大きな狛犬さんだけど 随分、小顔。

横から

立派な鬣でがっしりした体形で貫禄十分

 

吽形は 遠くを見つめるような姿

大きな胸に乗る小顔

横は

 

少し離れてみると、狛犬さんが載せられた台の細さがわかる。

三次方面は、地震大丈夫なのかな? 

 

後ろはどんなのかな、少し暗いかな。

この後ろ姿に前には小顔。面白い。

 

 

思わぬ神社を参拝出来て、狛犬さんも素晴らしいものが見られて

良かった(*^-^*) 次回へ続く。

 

(余談)

狛犬さん初心者のガイドは広島市内なら各区作成の散策ガイド。

市外に出る時は、狛犬さんファンのブログを参考に巡る。

中で一番参考にしているのが、「狛犬さん あっ うん」のブログ。

狛犬さん あっ うん

広島県を地域ごとに分けて、神社と狛犬さんを写真で紹介されている。

奉納年月や石工さんが分かれば、その名前も書かれている。(こうありたいね。)

その中から、気になる神社・狛犬さんを選んで巡っている。

ただ、残念なのは2017年5月で途絶えていること。

 

 

可愛いのやびっくりの狛犬さんを見たらお昼時になって、お腹に

入れるのに街道筋に見えた手打自家製麺のうどん屋さん「すぎの」

へ行ってみました。

美味しかったです。朝8時からお昼時の営業をされています。

 

店から次の神社へ行くのに、Uターン気味に狭い路地を走ると、おやっ?

神社だ、狛犬さんもいる。寄り道。

酒屋の八幡神社  三次市東酒屋町

社殿

ご本殿

脇に打ち付けられた社殿・参道整備の奉納リストを見ると、

「東西両酒屋八幡神社」と書かれています。東西二つの八幡様?

 

広島県神社庁の三次支部の神社案内を見ると、「明治4年に村内の小社

をまとめて東西両酒屋町の総氏神となる。」の記載。そういうことなのか。

備後当地の国人領主三吉氏が建立した神社で兵火で焼失後、慶安4年

(1651)再建され、以降、宝永2年(1705)など数回再建。歴史は古い。

 

狛犬さん阿形

吽形

昭和10年に谷本(?)さんご夫妻が(阿はご主人、吽は奥さんの名)

奉納されてます。お二人でこの玉乗り型がいいと選ばれたんでしょうね。

広島の典型的な狛犬さんです。

 

続いて、和知八幡神社へ向かいます。

和知八幡神社   三次市和知町

県道の脇に大きな鳥居があって参道が伸びています。

途中に見える警報機で分かるように上って行く途中の横の緑の線

を芸備線が横切ります。

それを越えて、とことこ歩いて村道の向こうに神社。

 

左右に狛犬さん、左の建物が神楽殿?(大きな舞台)で、祭礼の時に

芝居や神楽など氏子さんが大活躍するようです。

鳥居の先の境内広場は観客が大勢集まれるように広いスペースが、

ひろがります。

拝殿は前の酒屋八幡神社に似ていました。

 

最初に見える一の狛犬さんから

阿形 前・横

吽形 前・横

後ろはどうでしょう。阿形 足で上手に乗ってますね。ちょっと見は

お尻で乗ってるように見えますが。

由緒が書いてあります。

950年ほど前に遡るお宮ですが、合祀された神社も多く分かり

にくいですが、この辺りの中心になる総鎮守の八幡様です。

 

燈籠は合祀した白鳥神社からのもの

手水鉢はどこから?

不思議な、力士が持ち上げているデザイン。

地元出身で上位で活躍した人がいるのか?祭礼ごとに巡業が来たり

素人相撲、力自慢を楽しんだことが、あったのかも知れない。

 

二の狛犬さんはどんな?

阿形 前・横 大きく口を開いてます。

吽形 前・横

合祀した色々な神社の影響が、そこここに見られるのは面白いの

ですが、分かりにくい神社です。

神楽殿(舞殿)の屋根には「三盛亀甲紋の剣花菱」(厳島神社の社紋

広島県西部の八幡宮で多く使われる紋)が付けられていたり。

拝殿の屋根の大棟に大黒様らしき像が付けられていたり、合祀に

よる様々なものが一緒に残されています。

合祀された神社の氏子さんも、馴染みのものがそこにあれば参拝

するときにほっとするだろうし。

摂社・末社も大仙・八坂・松尾神社が祀られています。

 

今回は広島型玉乗りでも種類がいろいろあることが分かります。

 

本数の少ない芸備線なので、参拝の間に列車は通りませんでした。

鉄オタの方なら、時刻表で事前に予定してディーゼル1両が通るのを

撮るんでしょうね。

乗降客が減っていて、存続が問題になっています。

 

今日はこれまで。次の神社に向かいます。

 

4月29日:参拝時のメモが出てきたので追記。

 ①相撲の手水鉢は昭和3年2月の奉納。「出演記念」と刻まれている。

 ②一の狛犬は昭和5年の奉納

 ③二の狛犬は大正10年の奉納

 

 

広島にもバラエティに富む狛犬が数多く置かれていることを三次市の

神社を巡って実感しました。安佐南区の大塚周辺で見ていた広島型と

は異なる狛犬があちらこちらに置かれて、「へーッ、そうかぁ!」が

連続して口から出ました。 前の山崎神社に続いてです。

 

知波夜比古(ちはやひこ)神社 広島県三次市高杉町

延喜式にも載る古い歴史の神社で、神社と周辺の神社領を統治する城館が

(高杉城)が置かれていました。城は毛利元就によって滅びますが、後に

元就によって神社は再建されて、棟札は元就自筆のものが残っているとのこと。

案内板に「祝要害」と書かれていますが、城主兼神主が祝(はふり)氏だった

のでそう呼ぶそうです。(地域の国人領主江田氏の配下武将、祝甲斐守)

 

手前の高い石燈籠は、参道拡幅の際に古い鳥居を解体し再利用して

作ったもののようで、柱に鳥居の貫の痕が残っています。(寛政元年

の奉納年が彫られています。灯を点けるのが大変そう。)

昔は参道に置かれた、一の鳥居だったんでしょうか。

 

現在の一の鳥居は、平成21年新しい両部鳥居が据えられています。

高燈籠はこの時に改造・移設されたのでしょうか?(不明)

拝殿と本殿です

備後国の二の宮で歴史も古く、格式も高いお宮だとよく分かります。

本殿は毛利元就の再建時の原型を残すもので、大変立派な造りです。

蟇股など見事な彫り物が残ります。

本殿への昇段脇には明治の補修を行った当地大田幸村の大工棟梁や

相棟梁が墨で名を記した柱材が記念に残されています。

さあ、一の狛犬さんから

阿形 前・横・後ろ

吽形 前・横

大正6年に奉納されています。前側に御即位記念と彫られていますが

やや時期が遅いですね。

しかし、多少予習はして行ったのですが、よそでは見ないお姿と、お顔が

大きくて、最初は驚きました。しかし、よくこれを奉納されましたよね。

「どうだい、天皇陛下のご即位記念にはこれだよ!」

と、自慢する顔が目に浮かびます。

(しかし、しかし…、すごい。狛犬さんが届いた時、みんなビックリした

だろうねェ)

 

次に拝殿前の二の狛犬さん

阿形から 前・横

吽形 前・後

阿形は後ろ足で玉に乗り、吽形は後ろ足で鈴に乗り紐を咥えています。

載った台は新しく替えられています。正統派の立派な狛犬さんですが、

一の狛犬さんと比べられると、相当な狛犬さんでも勝負はつらい。

 

お参りのあと、一の狛犬さんをもう一度見て、次の神社へ向かいます。

今日はこれまで。ありがとうございました。

 

そうそう、幕末の長州藩で活躍する高杉晋作の高杉家は、この高杉城に

縁がある家系だそうです。

山口、岡山の狛犬さん達を3月から4月にかけて一巡りして思います。

(勿論、広島も含めてです)

地域ごとに馴染まれた姿かたち、石工さん毎の工夫された意匠。

江戸、明治、大正、昭和そして現在まで、こんなにバラエティ豊かに

そして数多く持ち続けてきた私たちのご先祖様達の、奉納された理由

は色々であっても、造った人奉納した人の祈り、感謝の喜びが込めら

れていることを。

 

間違いだとは思うけれど、社殿、参道はじめ神前へ奉納される鳥居や

燈籠は氏子さん達皆さんのお金が集まって、云わば公式に捧げられた

もの。狛犬さんは、ある意味個人的な趣味・趣向で選ばれ捧げられた

気がして「やあ、いたねェ。」と、狛犬さんに会ってこんな言葉が出て

頬が緩むのはそのせいじゃないのかと。

 

広島で最近頬の緩んだ狛犬さんは、三次方面におられます。

広島の狛犬ファン多くの方たちからブログに取り上げられている

必見の狛犬さんから、三次の狛犬さんシリーズをスタートします。

 

山崎神社 広島県三次市秋町

参道入口の鳥居脇に置かれている可愛い狛犬さんです。

 

元々八幡宮である神殿は立派な建築で、屋根がまた他にはない珍しい

造作で、石州瓦だと思いますが素晴らしいものです。

参道石段の上、境内には立派な狛犬さんもおられますが、またの

機会に出て頂くとして、今日は鳥居脇に置かれた一対の狛犬さん。

 

阿形 コンクリートブロック2個分の大さもありません。

口を開いて、鬣(たてがみ)から足・尾までちゃんと彫られていますよ。

吽形

 

日本海に向かって流れる江の川脇で、お米の産地なので美味しく食べて

ちょっと小太りな姿にも見えます。

 

地域を見守る役割をしっかり務めているようにも見えました。

奉納された年月などはわかりません。

地元の石工さんの作なんでしょうね。この場所にぴったり合ってます。

この神社は他にも狛犬さんがいるので再訪の予定。

今日はこれまで。ありがとうございました。

週末にバス旅行で牛窓ー倉敷美観地区を回り、美観地区に隣接

する倉敷の中心部の鎮守社である阿智神社にお参りしました。

美味しい食事とお土産付きの観光ツアーですが、こちらは第一

の目的は狛犬さんです。

 

広島駅集合、朝7時過ぎに出発し山陽道経由で一走り。

 

最初は牛窓のオリーブ園 四国や明石大橋も望める場所のよう

ですが、生憎の曇り空で視界も遠くまでききません。

お昼はちょっと内陸方向に向かい、湯郷でした。

 

3時頃に倉敷美観地区に到着しました。

瀬戸内の商業都市として栄えた家並が地域全体に残り、地区を

流れる川の両岸の景色や大原美術館(休館中でした)を目的に

外国の旅行者も多く、街路に人が溢れていました。

川から美観地区を眺める舟は、もう当日分は売り切れでした(';')

人通りがやや途絶えたときに一枚、パチリ。

手前の左側に阿智神社へ上がる参道があります。石段が全部で

200段ほど、参拝者も結構おられます。

随身門の前、ここ迄に160段くらい上がっています。

手水鉢に花が生けてありました。関東の方の神社・狛犬巡りには

よく出てきますが、広島ではあまり見る機会がなく初めて見ました。

ここでやっと最初の狛犬さんがいました。

阿形から

石が砂岩系なのか足元にひび割れや傷みが見られます。

奉納された年は文化14年丁丑(ひのとうし)8月(1817)です。

山口の楽会の「姿でわかる出身地」を参考に、大阪から来られた

狛犬さんだと思いました。京都の鹽津與兵衛という方の名が裏に

奉納者(多分)として彫られていますし。

横からは

石段が3段に分かれていて各段に名前が付いていて最後は33段で

「厄除坂」の名が。お宮さんも色々工夫をこらしてご苦労ですね。

後ろの尾は 大きな団扇のようなタイプ。

反対の吽形です。前から

横は

後ろは

やはり左右の尾のデザインは異なります。

好きな良いお顔なので、もう一度アップで撮りました。吽形には頭に角があります。

阿形の狛犬さんは口の中の玉を噛んで割れたのかな?舌ではないし。

さあ、どんどん行かないとバスの時間があるので急ぎましょう。

 

拝殿 横に幅広くあまり見ない形。古いお寺の本堂みたいですね。

ご本殿

檜皮が葺き替えられてまだ間がなく美しい。

広島なんかだと、本殿を高く大きく造られることが多いので、意外と

小さいなと感じます。(阿智神社の風格は勿論感じます)

 

境内の摂社、末社に3か所狛犬さんがおられます。

荒神社

阿形から前、横、後ろ

吽形です。

玉乗りというより「玉抱え型」に見えますね。

天保年間(1830~40前半)の年が良く見えません。尾道から来た

のでしょうか。

 

裏に参道が見えるので少し降りると、藤棚が見えてきました。

アケボノフジと呼ばれる藤で、花の色はピンクです。

この種類では全国屈指の大きさ、樹齢で、岡山県の天然記念物です。

樹勢が衰えたのを、樹医さんと市民の方々の努力で回復させて今の

美しい状態を保っていて、周辺のベンチで地元の方らしい人達が、

ゆっくり花見をされていました。

 

廻り込んで、本殿右の護国神社と菅原神社で狛犬さんに会います。

護国神社

阿形から 前、横。後ろです。

吽形 同じく

古いものに見えます。

弘化5年(1848)は年の半ばで嘉永に改元されています。

いずれにしても江戸時代の狛犬さんです。

 

変なのは護国神社に置かれていることです。護国神社は、明治

維新の戊辰戦争以降に国の為に戦い、命をなくされた方(基本

的には軍人)を祀る神社です。(広島のように原爆で亡くなった

建物疎開や公務を行っていた、動員学徒や女子挺身隊の方たちを

一緒に祀っているところもありますが…。)

狛犬さんも普通は明治以降に造られたものが置かれています。

 

従って、この狛犬さんは他の境内社や阿智神社の狛犬さんとして

置かれていたのが、移されたものでしょう。(どこから来られた

のでしょう?)

 

最後に菅原神社(菅原道真を祀る)

だるまさんが沢山おかれていました。学問の神様ですから受験合格

祈願でしょうね。合格したら目を入れにまた来るんでしょうか?

絵馬も両側にたくさん掛けられて、「願い」叶ったでしょうね。

狛犬阿形から

吽形は

天保9年(1838)のものです。

阿智神社の狛犬さんは比較的時代が近いのですが、使われた石の

違いで、随分状態に違いがでるものだなと思います。

玉乗り型が幾つか見られたので、広島のご近所だと再認識できました。

バスに遅れないように戻ります。結構急な石段を街並みを眺めながら。

一つ忘れていた、戻り道で随身門の裏側に木造の狛犬さんがいて

写真を撮ろうとしたけれど、金網に妨げられてうまく中の狛犬さん

が写らない。参考までに入れて置きます。

 

どの狛犬さんもそれぞれ創られた石工さんの個性が感じられて興趣が

尽きません。見る方がそう感じるのですから、奉納された方も満足さ

れたでしょうね。

次は地元広島の様々な狛犬さんを訪ねます。

長いブログを見て頂き、ありがとうございました。