先日、「マネー・ロンダリング?!」に出た八咫烏のおみくじ。
今日は、これを頂けるお宮の消えた狛犬さんのお話。
広島市のお隣安芸郡府中町(町村の中で全国一人口の多い町)に
鎮座する多家(たけ)神社(埃宮:えのみや、とも呼ぶ)です。
由緒書 安芸の国の総社として記紀に記載された長い歴史を持つ神社です。
祭神は神武天皇。
神武天皇が日向から東征し大和に向かう際に、阿岐(あき=安芸)の国多祁理宮
(たけりのみや)で7年を過ごしたと古事記や日本書紀に書かれており、ここが
宮の地とされ、神社も延喜式にある安芸の古社三社の一社です。
(ただ、中世の戦乱に神社は亡失し、近世に近在2神社が我こそ多祁理宮(=埃宮)
と争い、明治になり元殿様浅野さんの裁定で両社を廃し、一社に纏められてここの
多家神社となりました。)
鳥居脇の標柱には古事記の序文から章句が取られています。(明治43年奉納)
右:列儛攘賊聞歌伏仇 儛(まい)を列(つら)ねて賊(あだ)を攘(はら)ひ、
歌を聞きて仇(あだ)を伏(したがわ)しき
左:即覚夢而敬神祇矣 すなわち夢に覚(さと)りて神祇を敬(うやまひ)たまひき
神武天皇の熊野から大和入りの後の「忍坂(おさか)の戦」を表現すると云います。
(訳は、角川ソフィア文庫:新訂古事記 武田祐吉訳注 P18)
鳥居の扁額は「多家神社」(埃宮:エノミヤとも呼ばれる)
書いた方の名は裏に、維新の有名人「二品(有栖川)熾仁親王」。
神社全体の配置図です。今日は階段下のエリアを紹介します。
狛犬さんはどこにも書かれていません。注目の対象じゃないのかな?
目につく鳥居の近くにあり由緒もある、姿もいい狛犬さんなのに。
狛犬さん 阿形 少し口を開いている。 珍しい円座に乗ってます。
横
反対から 円座の彫物はやはり牡丹。
台座には文政8年
吽形は
銅の銘板が台に。
狛犬を作ったのは
見掛けない狛犬さんだと思ったら、出雲狛犬さんでした。
銅板で読めるのは、流転する狛犬さんのこと。
①文政8年、最初の狛犬が初代前田屋貞八によって松崎神社に奉納される。
②明治7年、松崎神社が多家神社(埃宮)に合祀され、狛犬もこちらへ移る。
③明治38年、出雲の石(来待石か?)の劣化で狛犬の補修を行う。
④昭和49年、多家神社(埃宮)の百年祭にあたり2代目の狛犬を前田屋貞八
縁者が奉納。(これが現在の狛犬さん)
劣化の著しい初代の狛犬は拝殿左右に移された。
今回、多家神社への参拝は、新しい狛犬さんと古い狛犬さんの両方を見る為
でした。
ところが拝殿の横に行くと…。台座しか残っていない、![]()
(拝殿右側)
(拝殿左側)![]()
私の狛犬さん巡りの指南書でもあるブログ「狛犬さん あっ うん」さんの
多家神社三の狛犬には、崩れかけた出雲砂岩で造られていた初代狛犬さんが
写真に残されているのに…。
(写真:あっ うん さんのブログからお借
りしてます)
拝殿右側に移されていた初代の阿形。
(明治38年の補修で台座は御影石に交換されたようです

拝殿左に置かれていた初代吽形
(こちらはオリジナルのようです。阿吽どちらも傷みが進んでいますね。)

(2008年6月のブログに掲載されています。)
拝殿を中に、狛犬さんは背を向け合っている形に置かれていました。
崩れかけていて厳しい状態ですが、勝手に今もあるだろうと思っていたのが
行ってみると、上のように台座だけになっていて残念残念。![]()
神社の方にお聞きすると、「もう何年も前に傷みが激しいと除かれた。」との
話でした。
写真を見ると、今の一の鳥居脇の狛犬さんは、出雲の工房で初代の狛犬さんを
再現する意図で作られたようで、面影が偲ばれて良かったと思いました。
文政8年は西暦1825年、砂岩だと作られて200年は厳しいんですね。
昭和49年(1974)奉納の2代目も、200年後には、三代目出雲狛犬さ
んが必要になるってことかな、まあ先の話だけど。
いつもの長話の癖が出てしまった。だらだらとすみません。
今日は狛犬さんで終わります。
長い話にお付き合いさせてしまいました。
最後まで読んでいただき、有難うございました。<(_ _)>
次回も多家神社が続きます。












































































































