飯室地区の狛犬をウォーキングマップを参考に巡り終えて

今日は、勝手な独り言。

(あさきたウォーキングマップ飯室地区版の上部2/3使用)

 

「布地区が、なぜマップに入らないのか」など、書きました。

理由は分かっているのです。(マップの下に隠れた地区です)

 

公民館を起点に布へ歩くには、国道191号線を通るしかなく、

狭い国道に歩道は分離されてなく白線だけ、大型が通ると危

険で、とてもウォーキングの道ではありません。(私も車移動)

 

ただ、布地区は廃線三段峡線が数百m、舗装工事が済んでいて

公民館の方向へ1キロ強の安芸飯室駅(旧駅舎が活用された地域

の集いの場。ランチもここで食べました。曜日限定。地域の方々

の手料理です。)と結べば、太田川を眺める良いウォーキングや

サイクリングの道になると思うからです。

広島市が廃線の活用計画を検討推進してます。期待しましょう。

(書きながら、ブログに慣れた人なら、ここの文章は写真数枚

で、もっと伝わるように表現できるんだろうな。と。初心者は

身が細る…。目的のものしか写真撮らないからなぁ。)

 

「マップに入れるといいのでは」と、思うもの一つ。

土井泉神社への参道に建つ、自然石を使った大きな常夜灯と

道標。天保12年(1841)、当時の宮司さんが建立されたもの

のだと、裏面に新しく彫り入れられている。

 

マップの中央部分にピンクのラインを入れ、「常夜灯」とペン

で入れた位置にある。(常夜灯の位置は交差する灰色道路の

公民館寄り地図の下側で、記入ミス。清和中学校から鈴張川

へ下る道で、橋の向こう前方に、大きく目につく。)

 

写真右の、双耳状の小山の窪んだところに、土井泉神社の

本殿屋根が、現地で見るとはっきり望める。(拡大できると

写真でも、うっすらわかるけれど)

献燈の文字もダイナミックで、神社に向かう道だと参詣者に

はっきりと示している。この道を辿ると、家屋の間の道には

七福神の小さな像がならんでいたり、雰囲気がある。

 

飯室散策コース(ウォーキングでなく、ぶらぶら歩き)に

もってこいだと思う。

 

なんだか、とりとめなく、現地の狛犬も出尽くして、

話がうまくまとまらないけれど。飯室地区でした。

今回の狛犬巡りは、安佐公民館で今も配布中の「あさきた

ウォーキングマップ 飯室地区版」を手に回った。

(布神社は、安佐南区からの道中で立寄り。地図エリア外。)

 

マップは、公民館をスタート・ゴールとし、6ルートを設定。

神社は、図中に3社。南から長澤神社、土井泉神社、龍王神社。

 

残るは、 広島市安佐北区安佐町飯室 龍王神社

飯室交番前から、交差点の向こうに社叢が望め、数分で到着。

社殿は

典型的な鎮守様。神殿前の境内はゆったりとして広い。

 

狛犬は、阿形

吽形は

 

向かい合う狛犬の印象が、少し違っているように見える。

顔つき、彫りの深さ、足の太さなど、どことなく異なる。

光の加減か撮った角度か、雰囲気が、阿形は快活、吽形は

ちょっと癖のあるような…(ゴメン、狛犬)。

 

依頼先の石屋で、石工が阿形、吽形、異なるのかも知れない。

コンピュータ制御で彫ることもできる、今とは違うから、左右

違うのも個性。(大正15年奉納)

 

龍王神社は、昔からの呼び名で、明治4年に現在の社名「水神社

(スイジンシャ)」に変えられた。

 

これも、明治初年の神仏判然令の影響で名称が変えられたもの。

龍王とは八大龍王の略で、水を司る龍神、農業の神として祀られたが

元々は、法華経に出る仏法守護の神で、日本古来の神(国つ神)では

ないとされ、太政官の布告では神社として認めない方向だったので、

祭神や社名を変更した神社が多くある。

 

安佐南区の八面(ヤツオモテ)神社は、八大龍王を祀っていたが、社名は

変えずに、祭神を日本の記紀に出る神に変えて、現在に続いている。

 

少し長くなったので、安佐北区飯室地区の狛犬巡り、今日はここまで。

明日、シリーズ最終日。

布神社を続けます。

拝殿の後ろ、石垣の上に、二つ本殿が並びます。

あまり見かけない姿です。

由緒など、書かれたものが周辺に見当たりません。

人口の減少する地域でもあるので、氏子さんの減ったお宮を

こちらに一社合祀されたのか?

 

神社の狛犬以外にも、ここには好きなものがあります。

本殿木鼻の獅子 阿形

吽形

技巧とか洗練というより、心のこもったとか暖かなと感じる獅子。

左右の獅子の顔つき、眼(まなこ)に、彫った人の性格が出ている。

 

この地域であれば、林業に係わる人も多く、腕自慢もいたでしょう。

その中から選ばれて、鎮守さんの彫り物をやるんだ。と頑張った。

そんな姿が心に浮かびます。

少し漫画的で、優しい姿。

 

それにプラス蟇股

獅子より少し時代が前のようですが、こちらも、当時の腕自慢が

工夫した意匠でしょうね。

今年の新井カープはどうなるでしょう?

頭を隠したり…、ならないように!

 

ここからはローカルなメモ

布地区は、安佐南区や佐伯区から見ると、山縣郡や戸河内方面への

結節点として需要な位置にありました。明治から昭和の時代です。

 

明治43年4月、西国街道(江戸時代、山陽道をこう呼びました)の

古江の海辺、四軒茶屋あたりを起点にして、古田村・石内村・伴村

・久地村などが協力し、布までの道路を、荷馬車が通行できるよう

に、拡幅・改修工事(幅2間、伴から布は1間半)が、約10年をかけ

完成します。

「石内・伴・久地などから古江経由で、 広島へ物資を運ぶ道を馬車が

通れるように広く改修した。」と、古江の道路改修碑に記されています。

 

また、戦後直ぐの昭和21年には可部線の延長で、布まで開通。久地や

戸河内方面からの鉄道乗車駅として広島行きで、賑わいます。(布が

終点だったのは昭和29年まで、その後、加計、三段峡と延伸される)

 

その布が、高速道路の発達で役目を終えて、今は静かな地区。

安佐公民館の散策地図に、布の案内がなぜ入らないのだろう?

 

「安佐町の魅力再発見「ふるさとまち歩き」に、布を出して欲しい!」

と、神社のみんなが揃って言ってますよ、公民館さん。

 

「犬も歩けば棒に当たる」とは言うけれど、

そうそう昨日のような「話題にできる狛犬」に、巡り合える

ものでもない。

でも、それぞれが、様々な思いの込められた、歴史を持った

狛犬達なので、少しでも、それを感じ取って伝えられるとい

いと思う。

 

安佐北区に戻ろう。

広島市安佐北区安佐町飯室 布神社

 

ここも明治に八幡宮の社名が消えたお宮さん。

最近取り換えられた(しまった年月を記録し忘れた…)鳥居には、今の

呼び名(地名を冠した)「布神社」の額が掛かる。

見上げた目を右にずらすと、昔の鳥居に掛かっていた社名額が、地べた

にポツンと置かれ、雨にうたれホコリにまみれて寂しげ。  

復古神道のお勉強で頭の凝り固まった、明治政府神祇官の人達のせいで、

全国的に猛威を振るった、神社受難時代の一幕です。可哀想。

普通は、廃棄されて無くなっているのですが…、地域の人達の想いが、

残したんでしょうね。

 

狛犬には、あまり他では見られない特徴が一つあります。

阿形はこれ

吽形は

玉乗りの狛犬ですが、その特徴が分かりますか?

角度を変えます。どうでしょう。

胸板の厚さ、がっしりとした肢体、ぴんと上げた尾、なかなかの力感。

 

そうです、玉を転がしながら、両側から「歩いている」狛犬です。

 

多くの狛犬は、静止した姿勢で、後ろ脚は揃っているのが普通です。

彫った石工さんの考えた新機軸が、上手く形に表現できていると思い

ます。いいですね。

 

もっと、もっと布神社に関係して書きたいと思うので、今日はこれにて。

また、明日。

 

余談:冒頭の「犬も歩けば棒にあたる」ですが、

   森田誠吾さんの好著書「いろはかるた噺」によると、本来は私が

   使ったような、「幸運に恵まれる」ことではなく、「用もないのに

   うろうろしていると、ひどい目にあうよ」ということだそうです。

    十八世紀末の「諺苑(ぜんえん)」(太田全斎 著)に、やっと

   少数意見として「一説には、思いがけなく幸福に遇うことにも用

   いる」と書かれて、この頃から次第に「幸運に恵まれる」の解釈

   が行われるようになって、幕末から明治初頭の「双六絵詞」では

   子供からお菓子をもらう犬の言葉として、「しめたしめた、歩けば

   果報にありつく」と書かれ、この頃にほぼ「幸運」に、変わった

   ようです。  

 

昨日は、建国記念の日で休日。

皆さんは、ゆっくりできましたか?

 

奉納された狛犬を見る時、奉納者の方がどういった思いで奉納され

デザインを依頼するとき、何を考えて決められるのか?

狛犬を製作する方は、どう注文者の依頼を形にするのか?

 

それを想像しながら、狛犬巡りをするのが一つの楽しみです。

昨日、八木方面に車で人を送ったので、帰りにちょっと寄り道。

 

広島市安佐南区八木3丁目 光廣神社

 

神社は、昔の集落を結ぶ里道が、車時代に少し広げられた町道脇

なので、車は可部線沿いのドラッグストアに停め可部線梅林駅の

踏切を山側に渡り、すぐ左折、八木用水に沿って、徒歩5分。

 

戦国時代、ここ八木の地に居城を持ち、安芸武田氏の有力武将だった

香川氏が祈願所とした神社だと伝わります。同僚の武将毛利氏が武田

を破り、国を統一した後は、毛利氏に仕え、毛利3家の吉川家に属し

毛利氏の防長2国への移住で、岩国に移り維新まで家老職を務めます。

岩国、錦帯橋の脇に、香川家屋敷が今も残ります。

 

神社は毛利氏の尊崇も篤かったと伝わり、八木地区の総氏神です。

明治5年頃に、八木八幡宮から現社名へ変更されたのだと思います。

安佐南区の主要な八幡宮が辿った、同じ道で。

 

さて、狛犬です。ここは子連れの狛犬。

阿形は

吽形は

ちょっと見、普通の玉乗りタイプの狛犬に見えますが、

 

吽形の横に回ると、おやっ!

 

後ろに回ると、あれ、まあ!

いたずらをし過ぎて、お母さんから「もう知らん!」と叱られて、

「ねえ、ねえ、お母さん許して~ェ。」と、後ろからそっと母さん

の背中にすがりながら、昇ろうとしているように見えませんか?

足の動きなど可愛い。

 

そう思ってみると、お母さんの顔も、叱ったのがちょっと効いたか

なと、少し綻(ほころ)んだ顔に見えてきます。

お父さんは向かいで、「ハハッ!」と、笑っています。

 

狛犬を依頼した人は、自分の子ども達を含めて家族仲良く暮らせて、

また、子孫の長い幸せと繁栄を祈って、子連れ狛犬を奉納されたの

でしょう。

 

作った人も、子ぼんのうな人で、小さな子供の日々の動きをよく

観察していて、依頼者の気持ちを、この獅子・狛犬に表現したよ

うに思います。

 

好きな狛犬です。

 

安佐北ウォーキングマップ飯室地区の、マーク⑩が土井泉神社。

次の神社へのルート上、すぐ近くの養専寺にマーク⑨。

逆回りで歩いていたのですが、当然、寄り道。

 

広島市安佐北区飯室 養専寺

浄土真宗本願寺派の寺院。安芸門徒と呼ばれる広島地域では信者の

一番多い宗派。山門は、鐘楼を兼ねた藩政期のもの。古風で美しい。

 

門前は、昔の鈴張街道の分かれ道で、常夜灯と道標が置かれている。

常夜灯

「破暗」は、親鸞聖人の教え教行信証の冒頭文からきている。

   ー無碍の光明は無明の闇を破する恵日なりー 

  「阿弥陀仏の光明は、人の心の闇・迷いを打ち破る光」

  阿弥陀仏の救いを、破暗の言葉に象徴させたものです。

 

道標(みちしるべ)

左は、可部町、三川村?古市、祇園村、広島市 を示して、

右は、読みづらいけれど、山縣郡方面の新庄の名等がみえる。

 

今回、狛犬は出ません。

前回の初めてと同じものですが、このお寺の大棟にもありました。

驚いたのは、その図柄です。

 

養専寺の大棟

 

右半分を拡大

左半分

 

阿弥陀仏を中心にして、右には戦場の銃や銃剣での殺戮が描かれ

左には、髑髏の描かれた火炎地獄らしきものに苦しむ人々が…。

両側の三つ巴が、苦界と浄界の境になっているように思います。

 

中央の阿弥陀如来の右は天女や菩薩、左は浄土真宗「下り藤紋」

、説法する親鸞聖人と教えに歓喜する人達。

三つ巴は、雅楽などに用いられる大きな鼉太鼓(だだいこ)を象

徴的に表現し、太鼓を含む内側全体で阿弥陀如来の来迎図を意識

し、衆生の苦界からの救いを示しているものではないかと思います。

 

家に戻って、ふと思ったのは、第二次大戦中に戦場で亡くなった方、

広島ですから、左は原子爆弾で亡くなった方などを、阿弥陀如来が

お浄土へ迎えられて慰霊する。そんな図柄なのかと。

 

伺った日は、お寺は音もせず閉まった状態で、お聞きすることも

かなわず、勝手なこちらの想像ですが…、

 

しかし、近接する神社と寺院に、珍しい大棟の装飾が施されている。

このような製作はどこで、誰によって行われたのか?

特に、養専寺のものは、どなたがどのように考えられて、この図柄に

されたのか?また、どのような方法で加工されたのか?

銅板を打ち出して塗料で色を塗ったのか?

等など、知りたいことばかり出てきます。

 

狛犬や神社だけでなく、寄り道の余得のありがたさを、この日も

しっかり感じられました。

 

昨日のブログ、「2月6日、安佐北区狛犬巡り」を続けます。

印象に強く残ったものを、忘れないうちに、回った順序とは別に。

 

広島市安佐北区安佐町飯室  土井泉神社

 

写真になると感じられませんが、半端でない急傾斜の石段がずっと

続きます。手すりが付けられたものの、初詣や秋祭りなど、大勢が

参拝に訪れる時、心配。

(石段の幅も狭いし、中途で振り向くと怖い)

 

阿形の狛犬は

吽形は

 

きちんと彫られた腕や、鬣(たてがみってこんな字か!)から尾まで

やはり、飯室の総氏神社に置かれたものだけある。

 

一休みする中段の小広場に、摂社or末社(祭神分からず)。

ここへ、裏からの石段でない参道が入っているが、結構きつい坂。

話が、長くなりそうになってきた。

 

神社の全景はパスして神様のおられるご本殿

これは地域の代表といえる、とても立派な造り。

 

社額を見ると「八幡宮」(達筆です。崩し字の勉強「宮」)

明治の神社名変更以前が、「飯室の八幡宮」だったことが分かります。

 

鳥居のある場所に、神社の由緒を書いた碑があり、往古は「飯室八幡宮」

で、昭和27年に宗教法人になる際に、土井泉神社で登記したと書かれて

います。

明治の5年前後に、安佐南区などと同様に「神仏判然令」にそって社名を

「土井泉神社」と変更し、その名で登記したと考えられます。

 

初めて見たもの

 

本殿の屋根の一番上、大棟の「水板」と呼ぶ(多分…)位置に

銅板葺きに雲に龍の文様が描かれ(腐食させて描いたものか?)

中央に、安芸の国の西エリアで八幡宮の社紋としても使われる

ことの多い、「三ツ盛亀甲紋剣花菱」(宮島、厳島神社の社紋の

影響)が、金色に輝いています。(ちょっと動いて傾いている)

 

この種の装飾は、例えば日光東照宮のような大きな神社などでは

例はあると思うのですが、他に、瓦のような焼き物で作られたり

しますが、銅板で、なおかつ修飾されたものは、安佐南区、安佐

北区、佐伯区、広島旧市内には無くて(気が付かなかった?)

 

初めて見ました。

 

追記:中段の神社を調べていると、土井泉神社の鳥居写真に

   「伊勢堂神社」の幟が掲げてあるものがあり、平成11年

   9月の台風で損壊した、摂社か末社にあたるお社を修築

   した記念に、神社名で幟が作られた様です。

   土井泉神社の名前の由来も含めて、調べて、分かれば

   新しいブログでご報告します。

 

また、広島の神社の社紋に関しては、広島県神社庁が出して

おられる庁報「二葉」で、調査結果を連載されていて、HPで

見ることができます。

「三つ盛亀甲紋剣花菱」関連は、令和6年8月第154号に記載。

 

昨日、書き洩らしました。

最近、道案内で一番頼りになるのが「スマホ」。

二番目は、お宮の存在を感じ取る、臭覚というか、感覚。

 

散策マップは、「発行された時」を閉じ込めていて、「今」ではなく

様々なものが、一年で変わっていく令和を現わしていません。

 

「現在地」と「目的地」で、最短ルートを示してくれるスマホは

とても頼りになる相棒で、重宝します。   が…、

スマホは真面目で、こればかりに頼りすぎると、間違って辿って

回り道した畔道や路地で、「思いがけなく見つける、余得の楽しさ」

が減ってしまうので、そこは頭に置いておきたいですね。

 

今日は、2月6日の安佐北区でのそんな話を。

 

広島市安佐北区安佐町久地 長澤神社

 

 

狛犬阿形

吽形はこれ

社殿です

長澤地区の氏神様

広島ではよく見られる、典型的な地区の氏神様のお社です。

狛犬は、上半身の彫が丁寧で、表情豊かなのに、下半身が

雑というか、もう少し手をかけてやればいいのに。少し残念。

 

で、次のお宮に行く前に、気になったお隣の公園へ、寄り道。

「ひろしま市民の里@安佐」

(公益財団法人)広島市農林水産振興センターの施設でした。

 

以前、前を通りましたが、門が閉じていて入れませんでした。

たまたま開いているので、入ってみると、

担当の男性職員の方に声をかけると、気さくに色々説明いただきました。

農業・林業体験を通じて、農林業への理解を深め、就農の支援をするなどの

活動を行っている、全体で72haもある広大な施設です。

 

寄り道して教えてもらって驚いたこと

1,木の上に熊が寝床(座り床?)を作ったこと(今もあります)

2,昨年、ブッポウソウが5つの巣箱に営巣したこと(5月にはまた見られる)

  大きな巣箱で、入口は径8cm。これ以上大きいとカラスが使う。

3,こんな寒い2月にヤマアカガエルが産卵して、オタマジャクシ(小さいです!)

  が泳いでいて、親ガエルが、小鳥のように鳴いていること。

  (枯葉の下でゴソゴソ動きます)

などなど、

 

本当に楽しい、狛犬巡りの余得でした。

 

 

 

日曜日、雪の朝。

こっちは家ん中、狛犬は屋根もないから寒かろう。

雪に喜んで、境内を駆け回ったりもできないだろうし…。

社殿内に納まる木造狛犬、ここらで言えば長楽寺の新宮神社の狛犬は

少しは寒さをしのげるのか?

 

今日は、当地の狛犬に会ってもらうために、近所の神社・仏閣巡りの

道案内を紹介します。

 

最初は、「あさみなみ散策マップ」。これは「地区」ごとの散策案内。

 

見開き裏側には地図

手元に14地区分あります。安佐南区役所 区政振興課(後に地域おこし振興課)で

平成14年に発行を開始、平成26年頃まで改訂しながら続いています。

(手元のものを見ると)

 

もう一つは、安佐南区、佐伯区が発行した「古代山陽道」の散策マップ。

 

同じく中を見ると、地図と簡単な案内

 

どちらも、発行と配布は終了しています。

現在は、広島市のHP「各区のウォーキングマップ」で見ることができます。

区によっては、最近作成して現在でも公民館などで配布されている散策

マップもありますので、公民館で尋ねられるといいです。(安佐北区など)

 

平成の時代は財政面が良かったのでしょう、立派なものが作られましたね。

 

ここのブログは、記された文章を元に、気になる点、分からないところを

調べ、記したものです。

ただ、由緒や背景など、調べれば調べるほどわからなくなることもあって、

つい、だらだらとした文章になってしまい、コンパクトに要点を伝える、

ブログの難しさに、「毎日狛犬」でなく「毎日苦闘」です。

 

追記:安佐南区は各地区とも神社の駐車場が非常に少なくて、狛犬を巡る

には、アストラムラインの新交通を使うか、車だと近隣のスーパーやコン

ビニの駐車場を利用して、徒歩で向かうのをお勧めします。

広島市安佐南区大塚2丁目 出雲神社

  下条地区の氏神様(近所の稲荷神社も氏神様とされる)

 

正面参道階段は急峻で危険な為、現在は通行不可。

裏側から鉄製の足場階段で昇り降りし、参拝する。

 

社殿は、昭和40年代の強風・豪雨で倒壊し、昭和49年コンクリート製で再建。

周りの崖の擁壁工事も合わせ、地元広島発祥の大手ゼネコンF社が施工。

吹きっさらしの高台でも、これなら頑丈で大丈夫。

 

安佐南区作成の安佐南散策マップの記載に、「地元の方々は、親しみを込めて

『ジョンシキサン』と、呼んでいます。」と、前段なしで唐突に神社の地域での

呼ばれ方が出てくる。なんだろうこれは? づ~っと不思議だった。

 

昨年5月、地元の公民館だよりで謎が解ける。「現在も出雲神社の周辺には、

「城の岸」という地名が残っている。明治期の古地図にも、それらしき祠の

場所が示されています。」とあった。

(2025年5月:大塚公民館だより「おおづか街あるき」記載)

 

なるほど、ジョーノキシがジョーンキシになり、ジョンシキになったのか。

 

ジョンシキサンの狛犬

 

吽形のアップを撮り忘れた。お尻だけで失礼。

広島でスタンダードな、玉乗りだけれど、バランスよく整った狛犬。

がっしりした足が印象的。

 

ジョンシキサン・出雲神社は、大塚で一番歴史が新しく、創建年月日を明確に

知ることができる。

 

ここでまた、白池菴木居氏が登場。

本人の俳句日記「延命録」、慶応元年(1865)3月15日(新暦4月10日)に

「雨、春休み、大塚村の郷組の者が、出雲大社の御守り札を納める場所として、

城のきしの頂上へ祠を建てた。今日、棟上げ式をして、木居宅の子どもたちが

見物に出かけた。」とあるそうだ。(同じく2025年5月:大塚公民館だより記載)

 

旧大塚村全9神社で、一番新しい神社でも、160年経ている。

残るお宮さんは、それを越える長い歴史をもち、地区の人達が、祭りに集い、

幸せや、戦での無事を祈り、感謝を捧げる、心の拠り所として祀られてきた。

神様も、狛犬も、何も言わないけれど、色々なことを見てきたんだろう。