昨夜、実家の母から電話がありました。
わたしは、仕事先の方と食事をしていて、母とは少し前に電話で話していたので、何かあったのか、、、と思い席をたち電話に出ました。
一昨年、父がなくなってからは、実家の近くに住む長兄が頻繁にいてくれているのですが、
基本的には母は一人暮らしです。
電話の向こうの母は鼻声で、わたしは ”ん?” と思いながら母が話すのを聴きました。
母は、家にある昔の荷物を片付けていたところ、以前わたしが母に送った手紙と詩がでてきたそうです。
その詩は谷川俊太郎さんの「朝」という詩です。
谷川さんの朝と言えば、「朝のリレー」とか別の「朝」というタイトルの詩を思い出す方が多いかもしれませんが、この「朝」という詩はそこまで有名な詩ではありません。
母はその「朝」という詩に感動して、わたしはどうしているかなあ?と思い電話をしてきたと。そのことを話しながらまた涙がでてきた母の声はいっそうグズグズと鼻声でした。
わたしは、いろいろなことを思いながら電話先の母の声を聴いていました。
実はわたしは、母に手紙と一緒に詩を送ったことを覚えていませんでした。送ったのは、おそらく20年ほど前になると思います。20年ほどたって、いろいろと状況がかわった今の母にその詩が届き、心をなぐさめることになったことに、嬉しいような、切ないような、不思議な感覚になりました。そして20年たったわたしにも、母を通じて届いたことにも思いを巡らせました。
谷川俊太郎さん
「朝」
また朝が来てぼくは生きていた
夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た
柿の木の裸の枝が風にゆれ
首輪のない犬が日だまりに寝そべっているのを
百年前ぼくはここにいなかった
百年後ぼくはここにいないだろう
あたり前なところのようでいて
地上はきっと思いがけない場所なんだ
いつだったか子宮の中で
ぼくは小さな小さな卵だった
それから小さな小さな魚になって
それから小さな小さな鳥になって
それからやっとぼくは人間になった
十ヶ月を何千億年もかかって生きて
そんなこともぼくら復習しなきゃ
今まで予習ばっかりしすぎたから
今朝一滴の水のすきとおった冷たさが
ぼくに人間とは何かを教える
魚たちと鳥たちとそして
ぼくを殺すかもしれぬけものとすら
その水をわかちあいたい