今年初めての更新です。

 去年の11月半ばに、夫が「上腸間膜動脈症候群」という十二指腸閉塞の一種を発症して以降、日々慌ただしく過ごしていました。

 「上腸間膜動脈症候群」というのは、痩せすぎで上腸間膜動脈と背骨との間にある十二指腸水平脚部分が圧迫されて一時的な閉塞状態になってしまうというものです。

 閉塞が解けるまで、胃拡張の痛みや嘔吐が続くという見ている側も非常に辛い状態になります。

 一応、年末に検査入院をして胃や大腸内視鏡と膵臓を含むお腹のCT検査も受けましたが、大きな疾患はありませんでした。治るには、痩せすぎから上腸間膜動脈周辺に脂肪層が出来るまで太るしかありません。

 夫は去年の猛暑過ぎたころから少しづつ体重が減少。

 11月に38㌔から39㌔くらいにまで痩せてしまって、なかなか体重が戻らなくなってました。

 食べる量もいっぺんには増やせず、太るのも、なかなか難しいのですよね。そこで、かかりつけのドクターに相談して↓吸収率の高い経腸栄養剤を出してもらうことにしました。

 

 この栄養剤のおかげで、やっと40㌔にまで体重がもどってきましたが、まだまだ痩せすぎですから安心は出来ません。

 検査入院の退院から4日ほどで大晦日。

 年末がどたばただった分、元旦はのんびりと過ごしておりました。今年の初日の出は雲が多かった↓

 

 お昼を食べてから年末に郷里の「金沢」から取り寄せておいた、「蛇玉」という最中を食べました。

 郷里の金沢では、梅の形をした「福梅」という最中を正月に食べるのが習わしなのですが、今年は辰年であったので「龍のつかんでいる宝珠」を表した「蛇玉」を取り寄せていたのです。

 そのまま年賀状などを見ておりましたら、4時を回ってから地震がありました。私の住居11階なのですが、結構な揺れで、震源地どこや?と、テレビをつけましたところ。

 まじか! 震源地石川県やんけ。

 正月ということはこの時点で吹っ飛びました。

 すぐに金沢の実家の母親の携帯にかけてみました。

 電話に出たのは母親と同居している弟の妻。

 「今車の中にみんなで避難してる途中。全員無事」

 ということだけを聞き取り、すぐに電話を切りました。

 テレビでは大津波警報と非難を呼びかけるアナウンスが流れっぱなし。

 能登にも友人もいますし、早くに亡くなった父親の眠るお墓もあります。だけど、大混乱しているであろう現地。すぐには安否確認しませんでした。案じていた全員の安否確認が取れたのは1週間後でした。

 金沢市内の被害はそれほどではありませんでしたが、実家も古いですから。緊急地震速報で避難はじめた時には既に身動き取れないほどの揺れだったそうです。全員で外の車に避難しようとしたら、車が道路とともにピョンピョンとバウンドしてたと弟が言ってました。

 母親は認知症が進んでいますので、怖い目に遭っても、すぐに忘れてしまっていて、ある意味良かったなと思いました。

 父親のお墓については過疎地でもあり、現在確認する術がなく、現地が落ち着いてから確認しようということになりましたが、おそらく壊れてるだろうと思います。

 地震から10日後。

 大阪梅田阪急で、毎年恒例の「加賀・能登展」が始まりました。

 

 中止になるだろうと思っていたのに、開催ということで、私も2日目に行ってみました。売り上げの3%を今回の地震の寄付金にするということでしたので、「行かねば」と思ったのです。

 写真も撮れないほどの大盛況というか、売り上げの一部を寄付と聞いて「力になってあげようじゃないか」と思った京阪神の人たちが梅田阪急に押し寄せてきてくださったため、これまで見たことのないほどの長蛇と混雑状態でした。

 ありがたいことです。本当に本当に郷里のためにありがとうございます。と心の中で頭を下げつつ、私も微力ながら、「小出」の「ふくさ」というお菓子などを購入。

 

 その足で、同じ梅田の地下街ディアモールで石川県大阪事務所が開催していた物産展へ。こちらも長蛇の大盛況。もう買うものが残ってませんでした。

 手渡していただいた「ひゃくまんさん」のシール↓

 

 後になって、能登方面の一部の友人のところへは郵便配達が再開されたので直接見舞金を送りました。

 もう少し落ち着いたら、一回金沢へ帰りたいと思っています。大規模な地殻変動をともなう地震なんて、何千年に一度とかしか起こらないようなレベルの大地震だったのだと思います。今はただ、郷里の一日も早い復興を、大阪から祈ってます。