前回の悲しい動物園の歴史1からの続き更新です。あひる

国民の「士気高揚」の「道具」として「軍部」に利用された「リタ」さんについては↑リンクにある前回記したとおりです。本日の更新は「空襲」が激しくなって以降の「悲しいお話」を…。

昭和18年空襲が激しくなり、動物園も爆撃の対象となりました。そして「檻が破壊され猛獣が外に出て人に危害を加える心配」があり「もしもの時の人命尊重のため猛獣を処分」するという事になり八月まずは「上野動物園」で猛獣の処分が始まりました。翌「九月」大阪「天王寺動物園」でもついに「猛獣」の処分が始まったのです。泣

それぞれの飼育担当者が「エサ」である牛肉などを手に近づくと、なんの疑いもない「飼育動物である猛獣」は全身で喜びを現わして「早くくれ」というように「毒の入ったエサ」をねだったそうです。担当者は「家族同然」に「猛獣」たちと接してきただけに、「こんなひどい裏切りがあるだろうか」と「たまらない気持ち」になられたそうです…ううっ...

それではご覧ください。犠牲になった動物たちを…。

$がーこの世界観-戦争動物展
ライオン「薬殺」
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「毒エサ」を食べた後、前足から崩れ落ちるように倒れ息を引き取ったそうです。

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ピューマ。同じく「薬殺」

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トラ。同じく「薬殺」

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ホッキョクグマ。同じく「薬殺」

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実はこの「ホッキョクグマ」結構体毛が緑がかっているのですが、これまで何度も「天王寺動物園」を訪れたことのある「がーこ」何かの時にこの「企画展」が行われていたのと同じ「建物内」で「ひっそり」と立ち入り禁止の札の向こうに「置かれて」いたのを「目撃」したことがあったのです。その時は「戦争の犠牲となった薬殺動物」のはく製とは知らずに…「あまり出来の良くないはく製やなぁ…素人がつくったみたいや」と思ってしまっていたのです。

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ヒョウ。絞殺。

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このヒョウは、毒エサを三回食べさせたのですが、賢く「異変」を察知して吐き出し、「絞殺」されたのだそうです。
天王寺動物園では処分前に処分動物の供養と活用について取り決めていたことがあるそうです。それは、一種一頭は「はく製」とし保存。その他は「晒し皮」として保存するというものです。しかし「作成に特殊技術を要する」「はく製」や「晒し皮」ですが現実には「技術者が戦地へ出征して不在」「素人の作品」ができあがったそうです。「がーこ」が以前偶然目にした事のある「ホッキョクグマ」のはく製を見た時の感想は「現実」のものだったというわけです。
しかし、この「毒殺された動物たちのはく製は約七十年近く経過した現在でも、戦争の愚かさと不戦への誓い」を現代の私たちに「訴え続けている」のです。ご覧になっておわかりだと思いますが、どの動物の表情も、「恨めし気」ですよね。「がーこ」も二度と再び、このような「歴史」が繰り返されることのないよう祈り続けていきたいと思います。