いやはや、暑い。暑いです。
学校は暑すぎるとプールを中止にするそうで、ウチら小学生のころにそんなこと起きなかったなと、時代の変化をしみじみ感じています。
地球、大丈夫か。
変化というと、今年の実家へのお中元は現金にしようと思ってました。
結婚して親元を離れたこれまでは品物でしたが。
その旨を、母にLINEしていたのに、しばらくして「お中元いつ?」と母から。
「現金にするって連絡したよね?」
ちょっとイラつきをかもしだしてみました。
「お金なんてなんに遣ったかわからへん」と、母。
いやいや、好きにつこたらええがな!
そこに自由はないんかい!
と、言ったらややこしくなるのは目に見えているのでグッとこらえました。
「ジュースの詰め合わせちょうだい」
これ以上話すのがめんどくさくなったので、素直に応じることに。
もはや、そのお中元は「贈る」ではなく、「送る」ことになりますね。
日ごろの感謝を形にあらわすという意味では、日本の風習を枯らさず大切にしたい気持ちはあります。
が、母の場合、「感謝の押し売り」が含まれているのが伝わる、だからモヤモヤするんです。
いろいろやってあげてるんだから、お中元やお歳暮はくれるよね?的な。
これは妄想ではありません。前に1度ハッキリそう言われましたので。
でも、わたしにもそうゆう一面、実はある。
会社であめちゃんをあげたのに、お礼が一切ない女子たちに「は?」って思ったから。
1度じゃなく、何度も。
一方的に人伝いにあげたあめちゃんだし、席は離れてるし、あめちゃん1つでお礼なんて求めるのはおかしい。わかってる。
けど、その度に「社会人なのに、お礼ひとつできひんのかい」と思ってしまったのです…
そんな自分がセコすぎて、みみっちすぎて、
「あめちゃんをあげたかったからあげた、以上」とした矢先におきた、この親子のやりとり…
感謝の押し売りが売れずモヤモヤした現象が、母をとおしてまざまざと明らかになりました。
ありがとうと感じるたびに、ちゃんと伝えられる人でありたい。
社会人だから、日本の風習だから、親だからとか、そんなのわざわざ前提にしなくても
わたしがそう在ればいいだけの話なんだと思いました。
電話のさいごに放った母の言葉より。
「お金はつこたらなくなるやん」
ジュースも飲んだらなくなるやん🤣
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