わたしのカラダとココロが、楽しくて嬉しいと感じることは



文章というツールでもって



表現、創造、アートすること。



この目の前の現実という、たった1割の世界は



わたしがそやって文章で表現するための



キッカケであり、トリガーであり、ヒントであり、呼び水。






なんで?



誰の役にもたたず、たいしたアクセスもなく、一銭にもならない自己満ブログをw



足掛け7年も書き続けてるのか?



ココが、自分でもほんとに意味が分からなかった。



あえて言葉にするなら



自分の思ったことを口で言うのははばかられるし、顔出しする勇気は毛頭ない。



だからといって黙っていられる性格でもないから、文章でならギリいけるかな、と。



てっきり、それくらいの逃げ腰、かつ、消去法で続いてるんだとばかり…







だけれども、書けないくらい忙しくて時間がない日はモヤモヤ。



これといって書けるネタが浮かばないと、1人で焦る。



書くことから逃げた時期は、てんで抜け殻だった。








ブログとはお役立ち記事でないと意味がないと言われたとき、



誰の役にも立たない自分のブログに意気消沈…



ならばお役に立とう!と、高額払ってプロの門を叩いたはいいが



まったくもって先生と認識も相性も合わず。(泣)



じゃ、自由に書けばいいのに、その自由がなんなのか分からない。






なんのために?



ここまでの時間とエネルギーを費やしてるの?



どれだけでも何度でも、自分に問うてきたことだ。






出る答えは「書きたいから」、もはやこれ一択!








昨年7月より設定変更のお稽古を始めて「自分に潜る」という概念を教わった。




それまでは「深掘りする」という言葉を使っていたけど、正直よくわからずにいて。




「自分に潜る」を知り、ついでにノート生活を習慣にできた甲斐もあって




潜れば潜るほど、今まで知らなかった自分に出会えたんだ。




出会うのは、脳ミソで知ってそうな上澄みの自分じゃなく、




もっともっと深いトコロの自分。



たぶんこれを魂とか潜在意識というのか?知らんけど。





ネーミングはさておき、とにかく知らなかった自分がそこにいたのは事実で。




その自分との出会いこそ、わたしの大きな喜びで、



その自分と上澄みの自分とのギャップとか気づきに対する衝撃と絶望こそが




わたしの表現のネタになる。






だから「感じることはすべて魂の喜び」なんだな。



だから、ただ理由もなく書くという表現を7年続けてきたんだな。



だから、書けないとモヤモヤして焦って抜け殻なんだな。






これで全てが繋がった〜




わたしはこの1割の世界で、自分の奥深くに在る、本来なら知ってるはずの自分がいることを、思いだしながら気づきとして表現していたい。



そのために潜る必要がある。



そのために感じる必要がある。



そのために目の前の現実がある。



そして「今」がある。






もう、起こるコトはなんだっていい。



潜って気づいて表現できさえすれば♡



だからこそ、好みの世界を生きようじゃないか。



だからこそ、自由で在ろうじゃないか。






私にとって表現できない、それはイコールで「死」。



死ぬのが怖いわけじゃぜんぜんない。



表現できなくなることのほうが、ずっとずっと怖いから。。





この地球に命ある限り、愛と情熱をもって、魂との繋がりを表現していよう♡






ブログを更新しない日は、めっちゃ忙しいか、モヤモヤしてるんだなとご理解ください。www