今すぐ勝手に幸せで在る
ことに、連日なんら変わりはないけれど
火曜日から、オットが長い休暇に入っており
いくら今すぐ勝手に幸せで在るといっても
イライラしまーす。
腹立ちまーす。
ウザいでーす。
めんどくさいでーす。
シネと思いまーす。
離婚だー!と思いまーす。
(夫婦ケンカしたわけではないよ)
いわゆる、ネガネが感情がひょっこり顔を出すたびに
「あ〜、幸せ度低いな〜」
と、その度に感じていて
わたしの場合は、それがオットに対して頻繁だったりするので
今朝ようやく久しぶりに出勤したことで
「あ〜、今すぐ勝手に幸せで在るって最高や!」
と、しみじみ幸せ感を噛みしめる自分がいる…
なんかここ、おかしない?!
結局のところ、わたしの幸せって、思考と感情しだいなんだな…
思考と感情に任せて、良い気分なら幸せだし、悪い気分なら不幸せ。
わたしの幸せ、気分しだい!
確かに幸せって「感じる」ものだし、気分しだいであることは事実です。
だけれども、わたしの場合はというと
気分がいい=幸せ
気分が悪い=不幸せ
これだと、思考と感情が揺れて気分が悪くなるたびに
すぐに、とたんに、不幸せな自分に陥る…
自分の機嫌は自分でとる、は当然のこと。
それとは別に
幸せで在るために、気分が良い状態を保つために、常に備えておかなきゃならないというタスク。
備え有れば憂い無しといわれますが
気分が良い状態を保つために、1割の世界でできる行動を常に探してるって
なんか変…。しんどいなー…。
なんで、感情の波をただ眺めておけない?
なんで、変化して当然の感情をそのまま受け入れられない?
感情しだいで、幸不幸を行き来するの、それって今すぐ勝手に幸せで在るを決めれてなくない?
いろんな自問が浮かびますが。
1つ、最も大きな気づきは
「なんで、気分の良し悪しと幸せ度が比例するの?」
比例するってことは、そもそもわたしの中で
「幸せ度数、幸せ度合い」を存在させてるってこと。
幸せを数値化して、高い/低いで認識してしまう思考癖。
幸せすら、ジャッジしてるー!
比較の2極は苦しいことを知ってるし、それヤメたことも記憶に新しいのに
まさか、幸せそのものをジャッジしてたなんて〜(泣)
(ex.オットが仕事で留守→幸せ度100とか、オットが在宅→幸せ度10とかw)
今すぐ勝手に幸せで在る
んだから、幸せで在るだけでいいんだ。
そこに数字もいらない。
傾向と対策もいらない。
女が感情の生き物なら、感情の波すらぜんぶまるっと受け入れる。
女は感情の生き物だから、それすら価値ある自分として存在するだけでいい。