藤本さきこさんを筆頭とする設定変更界隈に足を踏みいれ、もうかれこれ半年がたとうとしています。
もう半年?まだ半年?どっちとも言える。
時間感覚がバグってるのか、始めた頃の夏の記憶が、いつにもまして遠ざかってしまいました。
年をとるとヒトは時の速さについていけなくなりますが、近頃のわたしは、とくにその傾向が大きい〜
きっとそれは設定変更をキッカケに「感じる」ことを大切にしているからかも。
夏の頃は、ノートを書くことと、それを習慣化することに一生懸命で、うまい設定変更のしかたを考えるほうが興味がありました。
ノートを書けば悩みが解決するんだとタカをくくっていたので、頭でノートを書いては頭で答えをひねりだす…
まるで、テストの答案用紙みたいなノート。
そんなことしてるとノートがつまらなくなった。当たり前やな。
正解とか答え探しだったら、これまでにもたくさんたくさんやってきたのに、こんなんじゃ同じことの繰り返し。
違うのは、それを頭でやるかノートに書くか、そんだけの話やん。
気がつけばすっかりノートから離れていました。
いくら書いたってモヤモヤしか残らないノートなんぞ、書き続けられるワケがない。
ある日、モヤモヤしか残らないノートのことを疑問に感じたことがありました。
ノートはそこらへんに転がってる答え探しをするわけに書くんじゃなくて、自分の内側を言語化する場所なんだと、教えてもらった。
それからです、ようやくノートに感じることを書けるようになれたのは。
同じ頃、さきこさんの設定変更継続講座がスタートされました。
さきこさんのブログはもとより、その界隈の方たちのブログを拝読したり、あゆみさんのラボでも設定変更の学びをさらに深めていきました。
で、わたしなりの現時点での設定変更は、とにかくまずは「今に在る、集中する」ことと「感じること、潜ること」。
どのようにノートするか、どんな設定変更をするか、はとりあえず二の次でいいかなとしています。
もちろん、都度都度、設定変更はしていくのが最適解ではありますが、今に在ることもできず、感じきれていない段階での設定変更は、結局上っ面だったり、なんかちょっとズレてたりする。
もちろん、それはそれで、気づけはまた設定変更し続けていけばいいけど、私は不器用で、1度にあれもこれもできなくて…
なので、前もって「全てのことは簡単である」という設定変更にしておきます。
例えば
簡単にお金ザクザク
簡単に幸せで在る
簡単に安心できる
簡単にゆるゆるできる
簡単に笑顔溢れる
簡単に仕事ができる
簡単に、簡単に。。。
その上で、「今に在る、集中する」と「感じること」を最優先していくってかんじ。
ノートはもはや、感情や思いついたことをただ並べていまして、さきこさんのノートのような矢印はあまりありませんが、そこはまた追々やっていこう〜
それでもね、だいぶ違いますよ。
ただ雲の切れ間から青空を覗いただけで、
ただ夕日が眩しいだけで、
ただ息子が笑っただけで
ただ赤ちゃんがお母さんに抱かれているだけで
ただ車を割り込ませてもらっただけで
ただあったかいお風呂があるだけで
ただ今日も1日家族が元気だっただけで
ただ冬がきて風が頬を冷やすだけで
ただスマホでブログが書けるだけで
たださきこさんのブログを読むだけで
そんだけのことが、ここにある景色たちが、ここに生まれ湧いた感情が、わたしの胸をいっぱいにするんです。
おかげで、よく泣くようになりました。生理前でもないのに、感動して感極まる場面がやたらある。w
普通の暮らしが、なにも変わってない日常が、感じるだけで、こんなにわたしから見える景色を変えてしまうものなのか…
驚きはもちろんですが、不思議でしかたがありません。
そして、これまで何十年もこんな簡単なことに気づかず、感動をたくさん取りこぼしてきたことを悔いる…
だからこそ、今すぐ今から、いっぱい感じていこうと思います。
このわたしの感情という自由の領域を、隅から隅まで味わい尽くしたい。
その果てになにがあるかとか、感じたからどうなんだとか、ほんとーにどうでもいいことなんだって、ようやく分かり始めてきました。
日常をただ感じるだけでこんなに胸を熱くできるんなら、1年後のわたしとか、10年後のわたしとか、考えるだけアホらしい。
だってさ、今この瞬間ですら感じることが盛りだくさんなのに、そんな先のことをわたしの頭レベルで分かるわけがないもの。そんな壮大なことが脳みそで予想つくもんじゃないことだけはわかります。
ところで。
わたしがブログを書き始めて、6年を過ぎました。
なるだけ分かりやすく言葉と文章を綴るのは至極当然のようにやってきた。
6年もやってると、さすがにそれなりにスキルがあがるようで、読みやすいとか最後まで一気に読んでしまうとか、褒められることも増えました。
だけど…
ここへきて、そんな小手先の言語化だけじゃ、このわたしの湧いた感情や感動を表現するのは厳しい〜
だからって書くことをやめるとかではありませんが、いかんせん、次から次から感じていると書くこと追いつかず。w
そして、感情というものは、日本語にするには到底言葉の数が足りない。日本語って1つの意味でも表現が多いはずなのに、それでもおぼつかない。
どうやって湧いた感情をお伝えしたらいいのか、これも向き合っていこうと思います。
これまで書いてきた6年なんて、ほんとに薄っぺらかったんだなと絶望しておりますが、これからはわたしに潜りつつ、1番フィットする言葉を探しながら、ここで表現していきたいです。