こんにちは〜、わたあいです。
今日はママ友について。
ん?わたしは「ママ友」いないです。付き合いのある女性は「ママ」抜きにして友だちだから。←こだわり
息子がまだ0歳のころ、習い事で知り合ったママ=Aちゃん。
偶然にも同じ町内在住で、意気投合とまではいかないけど(いかんのかいw)、それなりに仲良くなって楽しく通ってました。
「それなりに」・・・って?
そう、「それなり」の理由は、わたしは彼女に嫉妬してたから。
だってね、Aちゃんってわたしに無いモノ、全部持ってるんですもんっ💦
社長夫人、お金持ち、夫婦円満、美人でスタイルいい、人懐っこい、ママ友多い、お嬢様育ち、性格いい、とかとか。
いやー、ほんと嫉妬の嵐が吹きまくってたわ・・・
なので、「それなり」にしか仲良くできなかった。
だって悔しいやん。そんな人と仲良くなんてなられへん。
神さまって残酷だな〜って思うの。
同じ町内に住んでるからってのもあるけど、彼女とはまぁー、ほんっっとよく会う!
ちょっとそこのスーパーやドラッグストアは当たり前、それだけじゃないのよ。
県内でも遠いところや、県外の子連れスポットでも何故か会う、会う、会う・・・
もうね、会いすぎて「またいたー」ってお互い呆れるくらいに ( ̄ー ̄)
で、いよいよ諦めてwライン交換したんです。
すると、もう怒りしかなかった!!
旦那さんとの馴れ初め、自分の生い立ち、過去、経歴、すべてが自慢だった。
いや、彼女にとっては自慢じゃなく、ただただ事実を語ったつもりなんだろうけど、
いかんせんわたしは嫉妬してるものだから、どれをどう聞いても「自慢かよ、うぜっ💢」ってなる。
いいかげんムカつきがおさまらないから、彼女と連絡するのをキッパリやめました。
子どもたちが保育園に行くようになって、会う機会は減ったものの、町内在住だからそれはゼロではないよね。
で、ですよ。
この連休にやっぱり会いました。www
公園で。
その時のわたしは
「またキタ」
何がキタのかというと、「彼女を見て、そのときわたしは何を感じるか」のタイミングが「キタ」のです。
そう、初めて会った7年前と、その途中と、今。。。
彼女の存在は「どれだけ自分への否定とか自己受容ができてないかがわかるバロメーター」になっていました。
当初は嫉妬しかなかった彼女への想い、、、
少しずつではありますが、時を追うごとに嫉妬心は徐々に減ってった。
それが意味するのは、自分なりに自分のことを許せているし、自分を受け入れることができているってことなんだと思う。
まだちょっと羨ましいとは思うけど、だからって彼女を敵視することはスッカリなくなりました。
でもね、公園で会った時、心の内はザワザワ・・・
「もしまた今日ここで嫉妬心がわいたら、これまで自分のために自己啓発やスピの勉強してきたのに意味ないやん」って思ったから。
いやー、やっぱ嫉妬がわきました!!!
わいたんかいw
でも、その嫉妬心があるからって彼女を嫌いにはならないし、だからって自分を否定する気もぜんぜんない。
ただただ、「いいな〜」と思う。以上!ってかんじかな^^
彼女は彼女、わたしはわたし。
この気持ち、彼女にもちゃんと伝わってるんでしょうね、ラインのやりとりは当初やりとりをやめてからは、何年間も一切ありません。
みなさんにはこんな存在の人、いますかー?
いなくてもいいけど、いたらいたで刺激的ではあるよね。w
嫉妬心って使いようで、いくらでも自分のプラスにもなるし、自分をおとしめるものでもある。
「嫉妬心を手放せ」ってよく聞く(読む)けど、そんなことすんなりできるんなら、それこそスピも精神論も自己啓発もいらん。
嫉妬したらそれはきっと、自分に必要な学びや気づきがあるってことだし、そこに実は自分の願望だって含まれてる。
やっちゃいけないのは、嫉妬した相手のことを昔のわたしみたいに「嫌いな人」にしてしまうこと。
(嫌いと思うほど引き寄せてめっちゃ会うことになるでw)
「嫉妬」と「嫌い」は繋がってしまいがちだけど、意識したいのは、嫌いな相手じゃなくて、「嫉妬」してる自分の中にあるほんとのトコ。
そこをちゃんと見つけてあげると、自分がとても楽になる!
嫉妬が活力になったりもするので、感情は自分のさじ加減でいくらでも使えるんだなー^^
Aちゃん親子とは同じ小学校になりました。
クラスは違います。
ホッとしています。←まだあかんやんwww