尾張名古屋には、尾張藩士のみ習得出来た御留め流と云う武術があった。

それが、貫流と云う槍の術でした!

貫流とは、普通の槍ではなく早槍とも言われる管槍を使う流派です。

元々片手が不自由な武士が、使う為に管を付けたのが、始まりですが、管を付けたことにより摩擦が減り突き引きが速くなり、また殴りつけた時に管が緩衝して手が痺れないと云う利点があり貫流の喧嘩槍とも言い特徴になっております

そしてその秘伝書がこれです。
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円相図と呼ばれ他流との違いを表しているようですが、習ったことがないと何のこっちゃ?ですね(笑)鴨が葱背負ってやっております-CA3C07260001.jpg

紙は、金銀箔をふんだんに使い草花を描いた料紙を使って軸は水晶と豪華ですが、所持者を見て納得!大道寺家の若様
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戦国好きなら有名ですね。小田原北条氏の重臣大道寺政繁!(花の慶次にも出てましたね)

その末孫です。

小田原陣で政繁は、八王子城で討ち死にしますが、子供達は徳川に匿われ後に尾張藩主となる義直の養育係になります。

そして子孫は、客将でありながら尾張藩で代々家老格と言う成瀬、竹腰、石河、渡辺に次ぐ破格な待遇でした。

と言う訳でつい買ってしまった。

これも売りに~ヘ(。。ヘ)☆\バキ