落語噺「猫の皿」 | 風光舎 -kyoto-

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骨董・古物商が出てくるおはなしで、古典落語「猫の皿」という演目がございます。



筋はこう。


古物行商(はた師)が地方回りの間に旅茶屋で休んでいたところ、縁台のしたで猫がごはんを食べている。


なんとその猫のご飯皿が「絵高麗の梅鉢」という高価な高価な一品。
目の色を変えたハタ師は、一考・目など利かないだろう茶屋のおやじを出し抜いて、安く買い取ろうと思案します。


皿がほしいことをおくびにも出さず、猫好きと偽って、茶屋のおやじに「猫がほしい」と切り出すのです。


茶屋のおやじも、可愛がっていたからと3円でどうかと。

しめたハタ師は、もらう約束をして、その猫のご飯をのせていた、くだんの梅鉢をセットにしてくれというと、、、



茶屋のおやじ、それは家宝の「絵高麗の梅鉢」だからと別の欠けた茶碗を渡してくるのです。


茶屋のおやじはそれが、良いものだと知っていたのです。
なぜ家宝なんかで、猫に飯をやるんだと問うハタ師。


「この鉢で猫にまんまをやりますと、猫が3円でうれますんで・・・。」



出し抜いたつもりが、すっかりだしぬかれたハタ師。


ちゃんちゃん



プロも欲に負けると出し抜かれるというお話し。
そして、爪を隠すものが実力者だということにも触れているのだと思います。




駆け引きと、そのどちらにも関係なくきょとんとする猫が思い浮かぶ、好きな噺です。
「絵高麗の梅鉢」が「柿右衛門」に代わることもあるそうです。





近近、笑点の歌丸師匠が司会を引退、代がわりとのこと。流麗でいなせな歌丸師匠の人情ものの話は、情景の浮かぶ素晴らしい語りです。



円楽さんからのキャストも、いまでは名前もかわって大師匠ばかりになりましたね。
笑点、日曜日の夕方は、ちびまる子ちゃんへと続いてみていた小学生のころを思い出します (笑)

サザエ・まる子・笑点・・・・・



噺家さんも「家」の字がつくお仕事。



男女を演じ分け、老若を演じ分け、ときには擬音に技を凝らし、多役を演じ分ける技術は、日本人の「真似て覚える、見て盗む」という特性を伸ばしきった芸能の最たるものとおもいます。

師匠から事細かに教わらず、師匠の高座を拝見すること、弟子の間に見れるものは全て見尽くせと、覚えた噺を何度も反復してお稽古するそうです。


舞台で一人座り、大勢の観客を前に物語を語って見せる。なおかつ、笑いも取らなければならない。


人前に立つお仕事とはいえ、わたしならぶるぶる震えてしまいそうです。




そうそう、板前さんの世界では、「師匠と同じで半人前、師匠とちがう味が作れて一人前」といわれるそうです。

どちらも、修行中は徹底的に下働きから始めて「滅私」されるそうです。

つらい~!

完全なコピーを達成した後、もう一皮むけないと達者となれないという、ひとつの基準の持ち方は、芸能、文化の世襲のなかではよく行われているように思います。


「生まれ持った個性重視」は戦後のアメリカの教育が反映されているところもあるそうです。

確かに、産まれたことに感謝して、うまれもった個性を喜ばしく思い大切にすることはとても大事なこと。


日本という国は、わざわざ「個性」なんて言わずに、すでに人に優しく愛していたのであって、なにがしかの「名前を頂く」ために、「芸」の「技」を伝えていくために「滅私」するというイニシエーションが必要なのかもしれません。






料理でも、格闘技でも、芸能文化が象る日本の「プロ」というか「玄人」の世界は、個性だけではない、心・技・体の三位一体。



継承とはその一つも欠けていてはならない厳かなもの。



スタッフK、骨董という日本で育まれた文化の中にいて、玄人たりうるプロ意識は各分野共通し、文化文脈の各分野を広々みて見識をひろげなくては、なんてかんがえておるのですが、

もっぱら、ごろ寝・お米・テレビの三位一体でございます。



ちゃんちゃん