これは昨日の晩御飯の献立です。
今日は、無水鍋で作ったカレーでしたのと、写真は撮り忘れw
左上から、
トマト
やきとり3本
黒豆
ベーコンポテト
キャベツのかきたま汁
白米
半熟卵
卵がダブってしまいました。
それでも、次男は懸命に食べておりました。
次男の「食」は細くて、朝はほとんど食べない生活です。
お昼も、長男の持っていくお弁当は、それなりに分量もありますが、
次男は、おにぎり1個と、りんごを持たせたり・・・
野菜とかも持たせたいけれど、本人が「おにぎりとりんごでちょうどいい」というので、
そういうパターンが多いです。
あまり食べすぎると、胃もたれするというか、キツイのだそう。
胃下垂気味傾向のようです。
夏の間、50㎏を切ってしまい、えらく心配したのですが、
先日量ったら、ようやく50㎏をすこ~~し超えたとかで、喜んでおりました。
本当に体質は、人それぞれですよね。
それなりにお菓子とかも少しは食べているようですし、
私が、少しでもお菓子とか甘い物を食べれば、すぐに体重に反映してしまうのに、
次男は、ち~~っとも増えません。
中学・高校の時から、ず~っと、今のような体型のままで、ジーンズのサイズも変わらず。
それでも、どうにか元気でいるので、良しとしています。
もう先週のことになるのかな・・・
「サンドウィッチマンと芦田愛菜の博士ちゃん」という番組をたまたま観ていて、
時計修理を得意とする博士ちゃんが出ておりました。
すごいなぁ・・・好きこそものの上手なれ・・・とは、昔から聞きますが、
もう、時計修理に関して、全て頭の中に入っていて、
どんな修理もこなしてしまいそうな感じの「はかせちゃん」でした。
と・・・ここまではよかったのですが、
映像の中で、修理を依頼した人の持ち物の振り子時計が、ボーン、ボーンと鳴りました。
その「ボーン、ボーン」という音を聞いた瞬間に、
昔の記憶が瞬時に思い出されて、瞬時に苦しくなりました。
能登の田舎にあった、母の生まれた家ですが・・・
祖父母が暮らしていて、そこへ、婿養子の父が、病を患った母を連れて行き、
一緒に暮らすことに。
祖母は、ごくごく普通のおばあちゃんでしたけど、
祖父がね・・・昼と夜の人格が180度変わってしまうほどの酒乱でした。
そして、片づけるのが大嫌いなのと、
家から歩いてすぐの場所に、集落の班の人が捨てる事の出来るゴミステーションがありました。
祖父は、壊れた電気製品や、まだ使えそうなのに捨ててある品物・・・
いわば、一般的に「ガラクタ」と言われるものを、そこから拾ってきては、
これまた、器用だったためか、ほとんど直してしまい、
その「直して使えるようになった」元・ガラクタ品が、ところ狭しと部屋に並べられていきました。
ラジオが5~6台
テレビが3台
冷蔵庫が勝手口の外に1台
細々とした日用品等も、綺麗に磨いて、新品のようにしては、自分の周りに並べてありました。
使う訳でもないのに・・です。
家族が、少しでも、それらの位置をずらしたりしたもんなら、もう、それは大騒ぎ。
自分の手の届く場所に置いておかないと、どこにあるのか探せないので、触るなという事です。
それらの「元・ガラクタ」が、どんどん増えていくことに、私は我慢がならず、
一度、使わないのなら、本当は元々他人のゴミだったんだから、
燃えないゴミの日に出したら?と言ったら、お昼にも関わらず、こっぴどく怒られました。
その時を最後に、心では、足の踏み場もない部屋を歩かなければ、
自分の部屋にたどり着けないのですが、ず~っと我慢をしつつ、生活していました。
古い家を解体した時に出た瓦等も、家の縁側の前に、お店屋さんのようにうず高く積んでいたり、
自転車に良く乗っていた祖父ですが、
他人が捨てた自転車も、これまた器用にピカピカに修理をして、
とっかえひっかえしながら乗っていたようです。
瓦屋さんでもあり、自転車屋さんでもありましたw
自転車も、10台ほどもあったような・・・
そして・・・究極の「我慢の限界が来ていた」物は・・・柱時計や振り子時計等の数でした。
壁という壁に、時計屋さんかと見間違うほどの数の時計をご丁寧に飾っていて、
ひとつひとつの時計を、更にご丁寧に「カチカチ・・・カチカチ・・・」と、動かしていました。
なので、振り子時計の「ボーン、ボーン」という時刻を告げる音の数が、
とんでもない数になって、家中に広まって鳴り響くのでした。
深夜の12時なんて、いったい今は何時なのか全部の時計が鳴り終わるまでは、
果てしない振り子の音で、気が狂いそうになるのです。
全部の時計が、微妙に少しずつずれているため、12回×時計の数だけ鳴り響きます。
それを止めさせたかったのですが、それを言うと、また怒られるだろうと思い、
そこから自分の「ヘッドフォン生活」が始まりました。
ヘッドフォンは、夜になると酒浸りになる祖父のうめき声や怒鳴り声や、
瀬戸物を投げつける音等から逃避したいがための必須アイテムでした。
レコードを大音量にして、その音をヘッドフォンで聴いていれば、
なんとか、おどろおどろしいわめき声や怒鳴り声を聞かなくて済むので、
もう、手放せませんでした。
なので、今の自分は、ヘッドフォンで音楽を聴くのは、とっても苦手です。
はかせちゃんの時計を直す作業の映像は、とても素晴らしいものでしたけど、
どうも、その時計の振り子の音色が、
あの時の祖父が管理していたたくさんの振り子時計の音色と被ってしまって、
とても、観ていられなくなりました。
胸が苦しいのです。
時計の話は、うちの息子達も知っていて、
孫を見せに連れていった時に、何度か遭遇しているので、
はかせちゃんの番組を一緒に観ていた長男も、すかさず、「あ!じいちゃんちの時計の音だ!」と、
やっぱりそっくりだったのが甦ったようでした。
嫁いだ家の義母は、私が実家に帰るのを許してはくれない人でした。
おやすみが出来た日に連れて行こうとすると、
わざわざ「うちの方が楽しいよね~」と言い、引き留める人でした。
孫には、何もくれなかった人でしたけど、
私が実家に連れて行こうとするのが許せなかったようです。
そういう時だけ、孫可愛がりを強調した人でした。
なので、息子達を連れて行っても、ほんの1時間ほど滞在して、すぐにとんぼ帰りです。
一度も泊ったことはありませんでした。
そういう、一連の「振り子時計」の音から派生した、あの頃の色々な後ろ向きの思い出が、
強烈に甦ってきたためか・・・心がどよ~んとしておりました。
でもね・・・
ちょうど今から50年前・・・都会から、一緒に暮らすために戻ってきた私に、
最初は、祖父も、色々教えてくれましたしね・・・
漁師だった祖父は、私を自分の舟に乗せて、釣りを教えてくれたり、
魚の捌き方も教えてくれました。
蛸のぬめりを取るために、古い二層式の洗濯機が並んでいるところに連れていってくれて、
その様子を見せてくれたり・・・
どんな小さな魚でも、1匹たりとも無駄にすることはせずに、お刺身にしてくれました。
過去記事ですww
今の自分が、魚好きになったのも、祖父のおかげなんですよね。
都会で生活していた頃は、魚はあまり好きじゃなかったのですが、
あまりのおいしさに、好みが逆転してしまったほどです。
もう、すっかり「過去の事」なので、大丈夫かなぁと思っていたのですが、
なかなかね・・・こういう暗黒の思い出って、忘れる事って難しいものなんですね。
あの頃の祖父の、いい思い出と嫌な思い出の両方がありますが、
それらの思い出は、全部、どちらかというと、強烈な磯臭さと一緒に甦ります。
あ、数日経ったので、ようやく大丈夫になりました。