風香の不思議
第十三集
第十三集回想―イッペイ兄ちゃんのこと
私にとって
一平兄ちゃんのことを思い出す時…
幼い頃の私は
自分が生きていくことだけで
精一杯だったのだと思う。
だから、兄ちゃんとの思い出も
穏やかな日々の中から順番に出てくるというより
何かの拍子に強く心に残っている
出来事が突然よみがえってくる。
「あんなこともあったな……」
そんなふうに
一つ…
また一つ…と
思い出すのである。
今になって思えば
一平兄ちゃんも
きっと大変な人生を
生きていたのかもしれない。
私の記憶に残っている兄ちゃんは
時々、私には到底考えつかない
ようなことをする人だった。
ある日など、鷹の子供を捕まえてきた。
そして、自分で大きな鷹の小屋を作った。
毎日のようにスジ肉を与えている。
幼い私には、何もかもが驚きだった。
「お兄ちゃんは
どうしてこんなことをするのだろう」
そんな思いで眺めていたように思う。
兄ちゃんは子供の私から見ても
精神的には年齢よりずっと大人びていた。
そして、そんな兄ちゃんとの別れが
あの日、突然やって来た。
私が十三歳の時のことだった。
ある大雨の日曜日に
兄ちゃんが、
「水間の観音様へお参りに行く」
と言った。
外は、雨が降り続いていた。
私は、
「もっと天気の日は、いくらでもあるのに……。
何も、こんな大雨の日に行かなくてもいいのに」
そう言った。
けれど、兄ちゃんは、
「何でも行く」
と言って、そのまま出かけて行った。
それが、私が兄ちゃんを見た最後になった。
翌日の月曜日。
私はクラブを終えて、学校から家へ帰った。
いつものように裏口から家に入ると
そこには母の姉である大阪の叔母さんと
叔父さんまで来ていた。
「今日は法事でもないし……。何の日なんだろう?」
私はそう思った。
けれど、いくら考えても思い当たることがない。
父に、
「今日はどうしたの?」
と聞いた。
すると父は、私に座敷へ行くように言った。
その時の父の様子と家の空気から
何か普通ではないことが起きているのだと感じた。
良いことではない。
そう思いながら、私は座敷へ向かった。
そして、そこで見たものに、私は言葉を失った。
布団に横たわっている兄ちゃんの姿だった。
何が起きたのか。
どうして兄ちゃんが、そこに横たわっているのか。
幼い私には、何一つ想像できなかった。
ドラマなどでは
亡くなった人のそばへ行き
泣き崩れる場面がある。
けれど、本当に突然の出来事に出会うと
人はすぐには泣けないのだと
私はその時に知った。
驚きが大きすぎると、涙も出ない。
声も出ない。
ただ
目の前にある現実を
受け止めることさえできずに
立ち尽くしてしまう。
しばらくして私は
学校を休むことを友だちに
伝えなければと思い
歩いて友だちの家へ向かった。
友だちに会い
「兄ちゃんが……急に亡くなったの」
と話した。
そのことを説明しているうちに
初めて涙が出てきた。
声も出なくなった。
ただ泣いた。
そこでようやく
兄ちゃんが本当にいなくなったのだということが
私の中に入ってきたのかもしれない。
兄ちゃんは
金屋という土地へ商品の配達に行った帰りだった。
車が崖から転落し、即死だったという。
別の車の助手席に乗っていた人が
崖からゴザのようなものが落ちていくのを見た。
不思議に思ったその人が警察へ連絡をしてくれ
そのことから兄ちゃんが発見されたのだと聞いた。
あまりにも突然の別れだった。
私は十三歳だった。
今、七十代になった私があの日を振り返ると
兄ちゃんの死だけではなく、別のことも思い出す。
私は、家の中で一番
『役に立たない者』だったのだと思う。
いや…
正確には、役に立たないようにしていた。
実家では
忙しい時にはいつも私はいなくて
仕事が終わった頃に帰って来る
とよく言われていた。
私は、家の中で役に立てない娘だった。
けれど
それは本当に何もできなかったからではない。
家のことは、子供の頃からずっと見てきた。
家族が何をしたら喜ぶのか。
何をすれば役に立つのか。
どんなことをすれば
「ありがとう」
と言ってもらえるのか。
私は、よく分かっていた。
だからこそ
役に立たないようにしていたのだと思う。
嫁に来た人よりも
自分が役に立つ娘にならないように。
子供の頃から家族みんなの
ことを知っているからこそ
どうすれば喜んで
もらえるのかも分かってしまう。
それでも私は
役に立たない娘でいた。
今になって振り返ると
そんな自分のことも含めて
あの頃の家族の姿が見えてくる。
そして
一平兄ちゃんの突然の死を思い出すたびに、
「あの人も
いろいろ大変な人生だったのかもしれないな」
と、今の私は思うのである。
