ちょっと気になることがある。というのは、どうも以前の記憶が今と異なっているのだ。

 

<異なる記憶①>

 例えば、「辻」と言う字はしんにょうの点が2つあるけど、小学校時代に習った記憶では「昔は点が2つだったけど、今は1つ」と教わった記憶があるのだが、今は2つ点があるよね💦。

 

<異なる記憶②>

 もう1つは20代後半で大阪出張した時、仕事が早めに終わったので、大阪城~天王寺付近を観光したことがある。その際、初めに大阪城を見てから徒歩で大通り沿いを南下してきて、左に曲がって四天王寺中之門から寺院に入った。たぶん、初めての大阪だから、有名な「四天王寺」に入った筈なんだけど💦。

 いわゆる「四天王寺」らしい回廊で囲われた5重の塔や金堂は見た記憶がないから、その付近(赤い➡の辺り)にある四天王寺周辺に散在する関係の寺社施設のどれかを見て回った筈。実際に見たのは、2階建てか3階建ての小振りの塔で、中に入ると信者さんが供えた赤いお供え物がズラーっとならんでいて、異様な妖気が漂っていてその雰囲気にむせて退散。近くの講堂では何やらお坊さんがお経を唱えているのがあった。今、Googleマップで見返しても、それらしき塔は見当たらない💦。

 

【追記】太子引導鐘堂(南鐘堂)か?

 30年くらい前のことなのでハッキリとした記憶ではないのだが、大通り沿いから門を潜って四天王寺に入った。「仕事が早めに終わった」とはいえ大阪城見学の後なので、四天王寺到着は夕方からやや暗くなっている感じなので恐らく16時を過ぎて四天王寺の回廊内の拝観時間は過ぎていた筈。だから、ちょっと覗いただけで、付近を回って南鐘堂にのぼったと思う。その中には永代供養の位牌やお地蔵さんなどがずらっと並んでおり、暗闇の中に浮かぶその光景に圧倒されてしまったのだろう💦。

※太子引導鐘堂(南鐘堂)「永代位牌奉安」

  「太子引導鐘堂(南鐘堂)」の鐘の音は北鐘堂と同様に遥か極楽浄土に通じるといわれ、昔から参拝者が絶えません。
ご本尊阿弥陀如来をお祀りする堂内にて、四天王寺特製の
お位牌を安置して永代奉安いたします。

 

 それから、阿倍野駅を過ぎて通天閣でビリケンさんを見て、西成あたりの食堂に入ったのだが、スーツ姿が場違いだったのか?ジロジロと見られた記憶がある。だから、四天王寺に行ったのは間違いない筈だと思うんだけどね💦。

 

<幼稚園を訪問する動機>

 なので、どうやら「今のおいらは別の世界線に移動してしまったのか?」という可能性もあるかな?と思ったので、それを確かめるために、半世紀ほど前に通っていた幼稚園を訪ね、現在は理事長をしている当時の園長先生に会うことにした。

 もう88歳と高齢である理事長は、たまにしか幼稚園に来ないという。

 何度か電話して「今月初めて幼稚園に来た」と言うので、車で約2時間かけて会いに行った。

幼稚園は土地も拡張され建て替えられており、もうすっかり当時の面影は全くない。それでも、当時の記憶が正しいのか?を理事長と確認するのが今回の目的だった。

・東隣は竹藪だった

・西隣は空き地で、雑草が生えていた

・当時の建物は南北に2列になっていた

・タイヤの遊具があった

・孔雀を飼っていた

など理事長以外の先生は誰も知らないことが正しいと確認でき、当時の記憶は間違いないことが確認できた。

 

 ではなぜ異なる記憶①②が存在するのか?が不思議だ。

 

信じるも信じないもアナタ次第です。