ふうちゃんが逝って

4か月ちょっと

 

週2出社の会社の帰り

 

ふと思った…

 

「寂しさに慣れてきた」

 

でもあの1本道は…

夕暮れ時の1本道は

まだ歩けない

 

いろんな道を

沢山お散歩したのに

なぜ?あの1本道だけ

感じるんだろう?

例えば

9月に逝ったふうちゃんは

神様の所で只今天使見習い中

だとする。

 

で、ふうちゃんが

生前、お留守番中に

思ってたことがある

とする。

 

それは

いったい

ママや家族の皆は

 

あの道から

何処に行き

何をしていたのか?

 

その正解を

天国から見届け

人の行動を学ぶという

天使犬見習い中

 

とか?…

 

だけどその

天使見習い中も

そろそろ終わる頃

だとする。

 

だからママは少しづつ

ふうちゃんのいない寂しさに

慣れてきたんだ

寂しいのって

慣れるもんなんだ

だけどね、まだ

共に過ごした18年が愛おしく

失ったことが大き過ぎて

何かを抑えている自分がいて

フランス語初めても

映画観ても、仕事しても

本を読んでも、朗読聴いても

お出かけても、何してたって

ふうちゃんの毎日 ☆マル&シーズーのMIX犬☆

なかなかあの18年は

よかったんだなという

過去形の想いにできなくて

ただただ 18年の

ふとした光景が毎日浮かび

 

寂しいのに慣れてきた

んだな…

大きな存在だったんだね。

乙女のトキメキふうちゃんの毎日乙女のトキメキ

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