昨夜は急に寒くなって、今まで半ズボンで寝ていたのを長いズボンに履き替えた。

そして、人恋しい気分になった。

 

そして、どういうわけか、おしゃべり好きだった祖母のことを思い出した。

夏は着物を肌脱ぎにしてダチュラのような垂れた乳房のまま家の中を移動していたが、

もちろん人が来れば肌脱ぎはやめて対処する。

 

訪ねてきた近所のおばさんと玄関でしゃべっているのだが、相手は多分早く帰りたいのだろう、

玄関から庭へ、庭から道路の方へ少しずつ退いてゆく。

玄関から道路までは40歩くらいはあるので、

祖母はどんどんどんどん追っかけて話し、

道路も5メートルほど進んでやっと諦める。

 

この祖母は男4人、おんな2人を産んだが、

⑥歳になった女の子一人を夕立が元で肺炎で死なせている。

ただ一人戦争に行った父は大陸から舞鶴港に復員したが、

(吾が実家は京都の田舎で舞鶴には近いのだが)

途中親戚の家に寄ったら祖父が亡くなったことを聞かされ、

その場に泣き崩れて動けなくなったそうだ。

20年か21年か、しっかり聞かなかったのだが。

 

その後、結婚した母は、隣の町から文金高島田で峠を歩いて越えてきたそうだ。

 

私の下にすぐ弟が生まれたので、

夫を亡くした祖母から私は溺愛されて育ったおばあちゃんっ子だった。

 

20歳で結婚した私は、池袋のアパートに住んでいたのだが、

祖母が上京してきて、狭い部屋いっぱいに布団を広げて綿を入れてくれた光景を

時々思い出す。

祖母は60代後半、秋の陽が狭い部屋に差し込んでいた。