高校時代奈良女(国立奈良女子大学)新卒の先生が二人いらっしゃり、ピシッとした紺色のスーツを着こなされていた。どちらも憧れの的だった。
一人は数学、一人は古文だったが、数学を習ったのはちょっとしょぼくれた中年男性だった。
さて、私が18歳で就職したとき、当時は誂えが一般的だったので、テイラーカラーでスカートはタイト紺紺サージのスーツを親が誂えてくれた。値段は聞いたのかも知れないが覚えていない。
その紺のスーツで務め始めてしばらくすると、職場のすぐ側に10の付く日ごとに昼店が出ることを知った。場所は春日東京大京大病院の南側の通りで、東大路から川端通りまでの)道路沿いだった。突き当たりの川端通りには鴨川を背にしてジメジメした市場があった。
もう少し上流の鴨川
田舎からポット出の私には、その昼店が珍しく面白く、昼休みになると見て回っていた。
そこで買ったのが、着替え用のスーツ二着。一つはピンクのシャネル風で、あと一つはブルーだったと思うがデザインはよく覚えていない。一着3500円だった。高いとは思わなかった。
その頃のお給料は2万円、5000円を下宿代、5000円を食費、5000円を貯金、5000円をお小遣いにしていたので、その月は超過したことになる。
その後、デパートで水色のトレンチ型のダスターコートを買ったが、6800円、琵琶湖に合宿の行くために買った水着が3800円だった。
ちなみに、その頃走っていた市電の値段はどこまで行っても15円だったような。