京都市役所
現在、京都市役所が建っている辺りが源氏物語の紅梅右大臣、つまり柏木(光源氏の若い妻、女三の宮と密通し、源氏に睨まれて死んだ)の弟の邸宅跡と紹介したが、歴史上はここは「山井殿」の跡である。
「山井殿」とは関白藤原道隆の長男の道頼で、定子や伊周の腹違いの兄である。後に祖父の兼家が養子にしているが、「山井殿」は道頼が舅の藤原永頼の屋敷を貰い受けたものだそうだ。「枕草子」で、清少納言は伊周を褒めそやしているが、道頼の方が教養も高くイケメンだったらしい。官職は弟の伊周より常に下で、995年20代半ばで没した。
地図で分かるように妹の中宮定子の三条宮が通りを2つ隔てた所にある。
この「山井殿」の東側の通り(地図では右)は東京極大路、西側は富小路通りである。
そして、山井殿の富小路通りを隔てた西側が、源氏物語では「髭黒・玉鬘邸」 、史実では中西殿(定方)とある。これは藤原定方( 873~932)の邸宅で、定方はこの邸宅にちなんで「三条右大臣 」と称された。道頼
より半世紀以上前の人だが、和歌をよくし、百人一首の次の歌で知られている。
名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな
案内板の「通り」の名前が切れてしまったが、中西殿の西側を南北に通るのが当時の「万里小路通り」
現在の「柳馬場通り」である。