今日は歌友、佐々木実之さんの七回目の命日だと妹さんからお知らせをいただいた。ああ、桜の咲く前だったなと、まだ寒かった葬儀のことを思い出した。
 
 私の小さな歌会に、実之さんが生きていたらちょうど同じ年齢の古歌好きの男性がいらっしゃって、古今集が好きだった実之さんのことをしきりに思い出していたところだった。
 
 以前「かりん」誌に書いた佐々木実之歌集『日想』評の冒頭の部分と、実之さんのご自慢だった妹さんを歌った歌を挙げて、実之さんを偲びたい。
 
 
      駅弁のゆかしきかなや安積山花かつみ弁当といふを食ひたれ             
      「少し春ある心地こそすれ」暖かきうちに一次が終はりてしまひぬ     
 一首めは二〇〇五年作。安積山は佐々木の父の故郷会津に近く、万葉集〈安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心にわが思はなくに〉(采女)以来の歌枕である。「みちのくの歌枕見て参れ」と左遷された藤原実方に同道した源重之は、佐々木がペンネームに一文字を頂いたゆかりの人である。芭蕉も古歌のゆかりの花に執し「かつみ、かつみと探しありきて…」と『奥の細道』に記している。そんな思いの幾重もの重なりを「かなや」と詠嘆の助詞を重ねて、たっぷりとした情を滲ませている。結句が已然形止めで強いのは、和歌の伝統に繋がる自負であろう。二首めは受験時代の初々しい歌。共通一次試験終了の気分を枕草子を引用して柔らかな抒情味を出している。こんなふうに古歌・故事を援用して情を述べる文体は初心の頃から佐々木の特徴の一つであった。
 
         ★★★
 
 
  妹よ酒をあふりて火照りたる我を笑はば静かに嘲へ
   妹に慰めらるることはあり三月の雪降り止まざるに  
                        ( いずれも1988年、20歳の作)
 
              
 
磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君がありと言はなくに
                                              大伯皇女