父の葬儀をするまで、お葬式がこんなに大変なものだとは知らなかった。
 喪主は弟。葬儀費用をおろしに銀行に行く、お寺を何度も往復する、葬儀社との打ち合わせ、親戚縁者の送迎、買い出し、料理屋さんの手配……と3日間ほとんど寝る暇がなかった。

 1日目は自宅で接待、2日目、通夜の場である斎場へ向かう。弟は運転しながら髭を剃り、髭剃りが終わると運転しながら挨拶のメモを見て暗記を試みる、さすがに危ないのでメモを見るのはやめさせた。よく葬式帰りの事故が報じられるが、こんなに忙しく、疲れているからに違いない。

 朝の4時半に弟から報せがきて、私が実家に着いたのは昼過ぎ。
 到着すると、香典袋の山が待ち受けていた。通夜の分、告別式の分、初七日の分とに分けて墨書せよという。
 私は見ただけでギブアップ。親戚中でいちばん文字が上手い大阪の叔父に電話、明日が通夜なので明日朝来る予定の叔父に今日来て書いてと頼み込む。80歳を超えた叔父は、それでも高速を運転して2時間かけて夕方来てくれた。

 宗派は曹洞宗で、客僧というのを4人お願いしたので、導師のお坊さんと合わせて5人分を書いてゆく。

  法号料、導師布施、茶湯料、膳部料、車駕料、香料、白米料、塔婆供養料、通夜料、逮夜料

 ここまでが、導師お一人の一日分。続いて、客僧布施、膳部料、車駕料……と続いて、それを3日分書く。

 こうして書き上がった数十枚の香典袋に、表を見ながらお金を間違いなく分けて入れる。(法号料○○万円……と料金が一覧表になったものを、お寺からもらってきてあった。)そこから本日分を抜き出して、袱紗に包み喪主を含めた数人でお寺に挨拶に行く。遺体が戻ってくると、納棺師さんがきて遺体を浄める。その後お坊さんが来て、親戚一同集まってお経を上げて貰う。

 翌日が通夜で、午後から市の中心部にある斎場に親戚縁者が行き、近親者や遠来の客が泊まり込んで死者に付きそう。翌々日が告別式で、焼き場まで往復。その更に翌々日は繰り上げて自宅で初七日の法要。喪主の弟が睡眠不足と疲労で倒れるのではないかと気を揉んだ。

 葬儀から1年半経って、これを書いている。こんな暢気そうに書いていられるのは、父が94歳と高齢だったこと、それほど苦しまないで死んだらしいこと等で何とか家族に諦めがついていたからだ。もし、若い事故死などだったら、葬儀が忙しいどころの苦しみではすまない。こんなに過酷な葬儀を、突然の悲しみの中で行わねばならない遺族たちのことを思うといたたまれない気持ちだ。