スピリチュアルな世界において
感覚を最優先としてしまうと、そこに罠があると感じる。
足元ぐらついているなって人をよく見かけるんです。
安定感のある人はバランス感覚がいい。
そして知識に貪欲で、探究心がある。
最終的には
左脳よりは右脳、
思考よりは直感だけど
スピリチュアルな世界だって
まずは情報として
知識を学ぶものだと思う。
感情と身体に相互性があるならば
身体についての知識もいる。
身体についての知識であれば
食事法や栄養などの知識もいる。
身体のケアと精神のケアは通づる。
知識とは
暇つぶしにでもいいから集めておくに越したことはない。
知識という情報の備蓄が
インスピレーションの材料になる。
そして何より
何かを判断するには多角的に物事を捉えることで
よりバランスの取れた決断ができ、
知識そのものが栄養となり
自信となっていく。
グラウンディングが弱い=多角的な判断ができないと
スピリチュアルのような哲学的な目に見えない世界を捉えていくことは難しい。
自分で考えて行動できない限り、
誰かの言うことに頼らざるを得なくなってしまう。
自分自身をどう捉え、理解していくのかという問題において
言語や知識なしではたどり着けないものだと思う。
男性性と女性性とで支え合うためには
感性と知性の両方を相互に育てていくのが理想的。
非現実が現実で
現実が非現実である世界なので

