ここのところ、心が乱れてる。

公園へ散歩に行き自然に癒されて帰ってくるんだけど、今はGW。

人様は楽しい楽しい連休中だ。BBQやテントが至る所に見える。そうだ、土日休日の昼間はこんなだったんだ。

子供らも中高生となり、もうBBQなど家族でしない年頃になってる。休日も部活あるし。

それに1番救われてる。


羨ましかったんだよね、ずっと。

ただただ、普通の家族に憧れてた。

旦那が土日も仕事だったから、家族連れを見ないで済むように土日は家で過ごした。買い物も出来るだけ平日にしてた。仕方なかった。わかってる。



そんなことをまだ引きずってる。

私はそんなことに未だ囚われているのだ。

受け入れているはずなのに、傷となって焼き付いている。


もうそろそろ解放しないとだね。

それもよき思い出なのにね。

(と娘らはいう。コロナ禍を楽しく乗り切れたのはこんな過去があったからだと)





この前、旦那と今の就職について話していると、20年前に退職したときの悔しい感情が再燃した。時代錯誤のまま何にも変わってない旦那を知り、びっくりした。

しかも、「それまでにしっかり努力してないからそんな職にしかつけない」とか言われて。

全否定してたのか。ずっと馬鹿にしてたんだ。悲しくなった。

けどそう、昔の私は楽をとっている。がむしゃらな努力はやってない。

(けど、就職してからは頑張ってたよ。けど、専業主婦してたことも含まれるんだろな。そして今の職場も否定されてるんだ。人生色々起こるんだけどな)




つい先日、ふと気になったことを旦那にぶつけてみた。

「休みの日はバイクであちこち行ってるやん。なのに、楽しかったー!とか全然聞いたことないんやけど、楽しないん?」

「ずっと同じ道やし、楽しいと思うことなんかない」


初めて知りました。

楽しいと思わずに休みの日はそそくさとツーリングに行ってるなんて。

感じ方なんだろうし言い方なんだろうけど、公園行くだけでも幸せになってる私には全く理解できない。





しかし、これらの話を長女からすると、

「いろんな人がおるし、今更どうにも出来んやろ。変えてあげようとか考えても意味ない。共感したりできんのはかわいそうやとは思うけど、そうやって今まで生きてきたんやから、それを否定するのは間違ってる」


次女も(バイクの話に)

「楽しむよりも大切なものがあるんちゃう?それは誰にもわからんお父さんだけの大切なものなんちゃう?お父さん、家に居たくないって言ってたから、家から出ることでどこに行こうがなにをしようが、全然気にならんのかも」



なんかすごいなって思いました。

さすがうちらの子。しっかりした遺伝子をお持ちで。というか、個としては理解してるけど完全に突き放してるようにも感じる。

共感力を持ち合わせてない旦那と共感力がバカ高い私の子供なんだからそうなるか。

違う意味で強いなと思いました。


色んな人がいていい。それはその通り。

旦那みたいな人は少数派だと勝手に考えてたけど、逆に私みたいな人の方が少数派なのかも。なにが正解でなにが間違いなんか関係ないんだ。


全てを受け入れることは難しいけど、存在は理解しとかないと、同時に子供達も否定することになる。肝に命じとかないとだな。



この関係性の話、何にでも使えそう。柔軟な考え方を持てばより良い未来が開かれそうだ!


(例えばIPMNを旦那だとする(かなりむちゃな設定w)。そこにあるのは当たり前で普段はいるかいないのかはわからないぐらい影響力はない。けど時々勝手にデカくなって急性膵炎を起こさせる。その時かなり主張してくるんだけど、怒りが静まったらまた平穏な生活が送れる。みたいなwあんま振り回されるなってことかな?w)



そんなことを諭してくれる娘らに感謝。

娘らのおかげで私は成長していく。

大きくなって、意外に頼もしい。





ま、とにかく『私は私』でいいってこと‼️




ラピュタに出てくるロボットっぽくない?

包んでくれてるような大きな木ニコニコ