こんばんは。

南相馬市から福島県東白川郡に避難してきてる しずぽんデス! 先日はオタスケボーイズのハリー キムくん 陽チャンをはじめ協力してくれた皆さん、本当にありがとうございました。 しかもまたまた沢山の支援物資を送って頂いて…今、第2回オタスケマーケット開催の準備を進めております。

今日は、避難所になってるルネサンス棚倉の敷地内にある『倉美館』にて、中西圭三さんのチャリティーliveがありまして、参加してきましたのでレポートです。 被災者はご招待!

11時15分から被災者だけまず集められて、live前に6曲位 マイク無しでギターの伴奏だけで歌ってくれました。 目の前で凄い声量で。 なんだか本当に、あぁ人間って楽器なんだなぁ~って感じました。 声ってすごい!腹の底から出てる声は、こんなに響くのかと思いました。


そのミニlive後、午後14時半から本番開始です。

そもそもなぜ中西さんが 棚倉町に来てくれたかという話。

中西さんのお兄さんは予備校で古文を教えてて、昔から日本の唱歌の研究をしてたそうです。 『蛍の光』って曲ありますよね?
小学校の卒業式でうたう曲。 あれは明治の始めに日本に入ってきた曲で、もともとは西洋の曲に日本語の歌詞をつけたそうです。でもその日本語で作詞したひとがずっと解らなかった。諸説あったそうですが、ある時文献で、イナガキ チカエという名前を見つけて、よくよく調べていったところ どうやらこの人が作詞したことで間違いないとはっきりしたようです。

そしたらその人が、棚倉町の生まれだったそうで、それが縁で中西さんのお兄さんは2年ほど前 初めて棚倉町に来たそうでした。

明治時代、日本で初めて 西洋の曲に日本語の歌詞をつけた人。

で、今回の震災が起きてから 何か行動起こせないかと思っていた中西さんに、お兄さんが 『歌を生み出した町だから 歌で復興させたい』という思いで今回のliveをお願いしたとのことでした。

日本語の歌を歌う中西さんにとって これはルーツだと思ったそうです。

聞いてびっくりしました。

live自体はアンコールも含めて2時間ぐらい。 NHKおかあさんといっしょ で流れてる曲とかも作詞作曲してるらしく、その2曲歌った時はチビッコ大はしゃぎ!! チューチュートレインの時はEXILE世代の子供達もフリ付きで歌う!


やはり音楽はいいですね。
生きるか死ぬかの時期を乗り越えたら、やっぱり日常が恋しくなるものです。普通に部屋で好きな音楽聞きながら雑誌みたり 好きなお香たいたり、そういう瞬間があるだけで すごく楽になれます。

だから今日は楽しかった!
みんな笑顔でした♪


shizuka