バングラデシュ イスラム世界の「犠牲祭」 | 国際支援団体•認定NPO法人 Future Code

国際支援団体•認定NPO法人 Future Code

国際医療支援団体であり、医療の届かない場所に医療を届ける活動を基本として教育、貧困、公衆衛生など様々な途上国の問題に対し、日本人として何ができるのかを考え、行動を続けています。支援事業は農業/食糧支援、ソーシャルビジネスによる雇用創出等、多岐にわたります。

「犠牲祭」

日本語で、当時あまり聞き慣れないこの言葉を初めて聞いた時、なんとも言えない違和感を感じたことを覚えている。

今回はいつもとちょっと話を変えて、イスラムの文化の話をしたい。

今年は先月にこの犠牲祭という祭りはバングラデシュでも行われ、Future Codeも支援先の孤児院で昼食会として子供たちに肉料理をふるまった。


{A70FD2FC-EC41-484D-973B-6E403387ACDF}

{94955111-455B-4FA6-93E4-0AA042AC24AA}


イスラムの世界では断食(ラマダン)月のあとに、つまり今年2016年であれば、この数日前まで広く各国で行われている大きな祭りではあるのだが、この祭の意味を知ったのは、初めてこの名前を聞いてから数年後のことであった。

イメージとしては、動物などをいけにえにし、それでなにかを祈るような感じかと思っていたし、まあ実際ただ町中の様子などを見ていればそんなに間違ったことではないのだが、意味を知ってからこれを見ることとそうでないこととは大きく違う。

国によっても動物も開催期間も若干ことなるが、今回は我々Future Codeになじみのあるバングラデシュの例を是非紹介したい。

まずどんな状況かというと、犠牲祭が近くなると、街の中や周辺のあちこちに、簡易の動物売り場が作られる。

{A0C12556-362E-4AC4-BB4A-D271E2477DF3}

そこに各地から次々と牛やヤギやいろいろな動物がトラックに乗せられて運ばれてくる。

そこを人々が品定め、というか動物定め、というかを見ながら、今年の牛なんかを決めるわけだ。

{A54043F9-DB87-4BE2-B6CD-9D93A5FD9021}


結果、犠牲祭の当日には、この動物たちはイスラムの方式に則り、さばかれる。
街じゅうで一斉に行われるため、血で街が染まるような感覚さえも受ける。
これだけを聞けばかなり残酷なイメージしかわかないだろう。

しかしながら、この犠牲祭の目的と意味は、動物たちに犠牲を強いることにはない。

我々人間は、他の命をいただいて生きているのだと言う事を、消えていく命を前に感じる。


そして動物たちの肉はさらに3つに分けられ、配られる。
1つは自分たちに。もう1つは自分たちの周りの近い人たちに。最後の1つは、貧しい人たちに。

"人が人に、何かを与え、助け合う。つまり神が行うに似た行動でもあり、この行為は神と人、人と人の結びつきを強めるものだ"

昔に私が共に被災地で働いたクルド人が、そう教えてくれた事を思い出す。

"今年は、是非私たちが支援している孤児院で子供達と一緒に祝いたいんだ"

そうFuture Codeバングラデシュ支部のメンバーは話をしていた。

{7B722D6B-4576-46AA-8F9B-CB2A290708DD}

犠牲祭。
それは我々人間が助け合い、命の中で生きていく事を体で感じる日。

そう理解した時に、私には彼らの笑顔は、なんとも人間らしくみえた。