日本語で、当時あまり聞き慣れないこの言葉を初めて聞いた時、なんとも言えない違和感を感じたことを覚えている。
今回はいつもとちょっと話を変えて、イスラムの文化の話をしたい。
イスラムの世界では断食(ラマダン)月のあとに、つまり今年2016年であれば、この数日前まで広く各国で行われている大きな祭りではあるのだが、この祭の意味を知ったのは、初めてこの名前を聞いてから数年後のことであった。
イメージとしては、動物などをいけにえにし、それでなにかを祈るような感じかと思っていたし、まあ実際ただ町中の様子などを見ていればそんなに間違ったことではないのだが、意味を知ってからこれを見ることとそうでないこととは大きく違う。
国によっても動物も開催期間も若干ことなるが、今回は我々Future Codeになじみのあるバングラデシュの例を是非紹介したい。
まずどんな状況かというと、犠牲祭が近くなると、街の中や周辺のあちこちに、簡易の動物売り場が作られる。
結果、犠牲祭の当日には、この動物たちはイスラムの方式に則り、さばかれる。
今年は先月にこの犠牲祭という祭りはバングラデシュでも行われ、Future Codeも支援先の孤児院で昼食会として子供たちに肉料理をふるまった。
イスラムの世界では断食(ラマダン)月のあとに、つまり今年2016年であれば、この数日前まで広く各国で行われている大きな祭りではあるのだが、この祭の意味を知ったのは、初めてこの名前を聞いてから数年後のことであった。
イメージとしては、動物などをいけにえにし、それでなにかを祈るような感じかと思っていたし、まあ実際ただ町中の様子などを見ていればそんなに間違ったことではないのだが、意味を知ってからこれを見ることとそうでないこととは大きく違う。
国によっても動物も開催期間も若干ことなるが、今回は我々Future Codeになじみのあるバングラデシュの例を是非紹介したい。
まずどんな状況かというと、犠牲祭が近くなると、街の中や周辺のあちこちに、簡易の動物売り場が作られる。
結果、犠牲祭の当日には、この動物たちはイスラムの方式に則り、さばかれる。
街じゅうで一斉に行われるため、血で街が染まるような感覚さえも受ける。
これだけを聞けばかなり残酷なイメージしかわかないだろう。
しかしながら、この犠牲祭の目的と意味は、動物たちに犠牲を強いることにはない。
我々人間は、他の命をいただいて生きているのだと言う事を、消えていく命を前に感じる。
そして動物たちの肉はさらに3つに分けられ、配られる。
1つは自分たちに。もう1つは自分たちの周りの近い人たちに。最後の1つは、貧しい人たちに。
"人が人に、何かを与え、助け合う。つまり神が行うに似た行動でもあり、この行為は神と人、人と人の結びつきを強めるものだ"
昔に私が共に被災地で働いたクルド人が、そう教えてくれた事を思い出す。
"今年は、是非私たちが支援している孤児院で子供達と一緒に祝いたいんだ"
そうFuture Codeバングラデシュ支部のメンバーは話をしていた。