話を聞けない人々が創る社会の悲惨さ | 非二元|縁起的現象としての「私」

非二元|縁起的現象としての「私」

宇宙的自己に目覚める記事を配信。
「迷悟」「苦楽」「生死」の相対を超えた「身体・宇宙」一如の絶対的あり様とは?
迷い、悩み、苦しみのない、日々、生き活きとした生活の実践。

あなたは、誰かと会話している最中、いつのまにか、自分が今、気にかかっていることを話し始めていて、そうこうするうちに、相手から「こういうふうに捉えたら解決できるんじゃない」とか「そう思うなら、やっちゃえばいいじゃない」みたいなアドバイスが返ってきて、興醒めしたことはないだろうか?


自分は別に相手からアドバイスをもらいたくて、話し出したわけでもないのに、話の方向性は相手によって、すかさず問題解決の方向に向けられ、「もうこれ以上、何を話しても、この人の頭の中にある結論(解決策)を聞かされるだけだ」と感じ、会話がそれ以上深まらず、話が切り上げられた経験はないだろうか?


私たちが日々の生活の中で出会っている夫婦の関係、親子の関係、近隣の人々との関係、職場の上司や同僚、部下、お客さんとの関係において、つまり、自分の身の回りのあらゆる人々との関係において、「聞く力」の重要性をみんな語る言うけれど、この国の首相だって「特技は人の話をよく聞くことだ」と言いながら、実際には自らが出した結論(解決策)を強引に実行しようとしているだけで、私たち国民が抱えている悩み、問題は何も聞き入れてもらっているとは感じられない。


「相手の話に耳を傾ける重要性」を語りながら、実際には、自分が出した結論(解決策)通りに物事を押し進めたいだけ。


これが現に起き続けている事実です。


語られている理想と、現に行われている事実との不一致、矛盾、分裂。


人間の内面(心理面)において、矛盾、分裂があるなら、私たちが暮らす社会のあり方に、それは反映されます。


なぜなら、人間の思い(考え)によってつくり出されたのが、社会だからです。


人間の内面性と、私たちが暮らす社会(外面)は、異ならず、分離していません。


それゆえ、私たちの精神に矛盾、混乱があるなら、それは、政治的混乱、経済的混乱、宗教的混乱となってそのまま外面化されます。


そして、ほとんどの人は、これに気づけず、内面の矛盾、分裂を維持したまま、外面(社会)の混乱を正そうと試みますが、社会の混乱は、内面的無秩序の持続により、さらなる混乱をきたすことになります。


矛盾、混乱した精神を用いて、外の世界(社会)を整えようと試みても、問題はますます複雑化し、増え続けるだけ。

これが現に起きている事実です。


内が乱れているなら、それは外に現れる。



内の動きが原因で、その結果が外。


決して、その逆はあり得ません。


では、なぜ、内的な矛盾、葛藤は終わらないまま、起こり続けているのでしょう?


それは、問題に対して、決まった答えを出すよう、学校教育を通じて私たちの脳が訓練されてきたからです。


試験に出される問題には、固定された答え(解答)があります。


そして、教育によって身につけた、解答を求めるこの思考パターンを用いて、私たちは、人生(社会)で出くわす問題に対しても対処しようと試みます。


しかし、私たちが社会で直面するさまざまな問題には、数学や歴史のような固定された解答はありません。


問題の終結は、その問題がつくり出されるプロセスを深く理解する洞察(インサイト)からもたらされ、教育に訓練されパターン化された思考の働きを用いて問題の終結を求めても、問題が終わるどころか、さらなる社会的、政治的、経済的混乱を引き起こすだけとなります。


そして、洞察を得たなら、「聞くこと」と「お決まりの思考パターンを用いて問題の解決を求めること」との違いが明確になり(聞くことの重要性がわかり)、相手の話を聞くことに全エネルギーを注げるようになります。


問題の解決を求めるお決まりの思考パターンを完全に終わらせるこのエネルギー(パッション)を慈悲(コンパッション)といい、慈悲がある時、問題は、内、外の隔てなく焼き尽くされます。


そこで、新年1月開催の講話会では、問題の解決を求める思考を働かせず、相手の話に全エネルギーを注ぎ、聞き届けることの重要性について、洞察が起こるよう、参加された皆さんと一緒に会話を深めていきたいと考えています。

1月の講話会


【年末年始のプライベートセッション】

12月30日(土)から1月3日(水)の間、対面、オンラインとも、お休みします。

また、12月26日(火)から12月29日(金)の間、対面セッションは京都ではなく、大阪・梅田で行います。