献金とか神に祈りとか感謝を込めてとか綺麗事を付け加えて結局、金を人にせびる商売。
某キリスト教会は礼拝の最後に綺麗事を並べて献金を迫る。するかしないかは自由だけど、周りにいるのは信者ばかりなので自然と金が集まるようになっている。周りがやっているから自分も寄付しなければと日本人が弱い同調圧力に毛仕掛けてやってくるので悪質さを感じた。
金額もそれなりの額をやらなければ、と周りの顔色を伺ってたら財布が寂しくなる。
自分の財布を守るためにはそんなくだらないことに振り回されないのが大事だと感じた今日、久しぶりに教会へ行った感想だった。
相変わらず、つまらない説教と歌を歌わされ(歌ってないけど)やることは変わっていない。
なんとなく、今朝の朝散歩している時に教会へ行こう!と駆り立てられるものがあって、行ってみたけどただの日曜日にやることがなくて暇を持て余して時間を潰しただけだった。実際はそれが目的なんだけど(笑)あと、少しでも人と関わってコミュニケーションしてコミュ力をあげようと思ったのもある。
来週は12月19日で少し早いけどクリスマスを祝う会らしい。洗礼も受けてないし行っても無駄だと思うので、近所にあるキリスト教会の方へ顔出しつまらない説教の後に昼飯をごちそうになろうかと考えている。クリスマスということもあるし、多少は豪華な昼飯が食べられるんじゃないかと期待している。キリスト教といえはクリスマスだし、盛大に祝うはず、昼飯の出ない橋本キリスト教会より家族ぐるみで面倒くさい人間関係だけど昼飯が食べられる近所の教科会に久しぶりに顔だしてみるかと思えた。
ただ雰囲気は好きじゃない。ババアが大声で聖書を音読して民家ということもあり家庭的、家族的な距離の近い人間関係がどうもね‥‥。話しを適当に合わす練習として考えてみるか。会話の面倒くさがあるけど昼飯のためにここは1つ適当な練習相手としてかまってみるか。コミュ力を鍛えるにはいいことだと前向きに考えてみよう。
とは、いえ教会へ行くメリットもある。割と親切な人が多い宗教上なのか利他的というのか昼飯に誘ってくれたり、聖書のどこを今、牧師がいっているのかなど資料を渡してくれたりと一種のコミュニケーション場になっているのが教会だ。