ちなみに、ちょっとオカルティックな記述もあれば、かなりグロいリンクもあるので、そういうのがちょっと苦手という方は、スルー頂くのが無難です。
(以下、Wikipedia記事「お盆」より引用)
お盆(おぼん)は、太陰太陽暦である和暦(天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行なわれる、祖先の霊を祀る一連の行事。
一般に仏教の行事と認識されているが、仏教の教義で説明できない部分も多い。古神道における先祖供養の儀式や神事を、江戸幕府が庶民に強いた檀家制度により仏教式で行う事も強制し、仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形が出来たとされる。
(引用ここまで)
仏事だとばかり認識して言いましたが、古神道に由来する部分も含まれているとは意外な発見です。ちなみに、由来となっている「盂蘭盆」は池波正太郎の時代小説にしばしば登場しますが、亀や白魚を放流して日頃の殺生を供養したり、午前中に皆で食事をした後は断食をするというような、面白い風習が数々登場します。
【我が家流お盆】
「お盆」は、その地域や宗派により時期も方法も様々です。神奈川県西部に位置し、鶴見曹洞宗に属する私の実家では、8月13~15日の3日間のお盆に、伝統的な行事を行います。昔は、住職が各檀家を回ってお経を上げたものですが、最近の住職は色々と理由を付けては出不精なので、今では近所の檀家で本堂に集まりお経をあげてもらっています。
住職が来ようと来まいと、実家では着々と準備を進めます。
最初に、仏壇から仏像や位牌などの一切を取り出し、別に祭壇を作って並べます。祭壇の背中側の壁には「十三仏」という掛け軸を掛け、祭壇上にはキュウリとナスで例の飾り物を作って供え、一緒に食膳や農作物なども供えます。この間、留守になった仏壇は閉じておき、神棚がある家ではその間、神棚に半紙を被せておいたりします。その様子は以下のブログ記事がとても参考になりました。
参考:ゆずといっしょ!!( 2009-08-17)「無事お盆も終わりました。。」
そして次に、庭の玄関先に「迎え火」を準備します。
まず、近所の河原から砂を20リットルくらい取ってきて(本当は違法ですが土着風習として黙認)、砂山を作ります。形は家によって様々ですが、我が家では伝統的にピラミッドの頂点を平らにしたような、四角錐のような形状をしています。さらに、ピラミッドの斜面には階段を作って、なんだか古代マヤ・アステカのそれにも似た形をしています。そしてこれを作るのは往々にして子供たちの仕事です。
参考:平塚市「農家の四季 お盆の砂盛り」
この「迎え火」と、例の馬と牛にはそれぞれ関係があります。
お盆は先祖霊が自宅へ戻るという言い伝えがあり、彼らは夕暮になると実家へやってきて一晩を過ごし、日の出とともに墓へと戻っていきます。だから家族は、先祖霊が自宅をすぐに見つけられるようにと、朝夕それぞれ砂山の上で迎え火を焚くのです。ここで燃やすものは「おがら」と言って、麻の茎を乾燥させたもので、キュウリとナスに刺して馬と牛の足にも使います。
先祖霊は、自宅へ帰るのが待ち遠しくて名残惜しいはず。だから、馬に乗って急いで帰ってきて、墓へと戻る時は牛に乗ってゆっくり戻るんです。なんだか心温まる風習ですね。
ただ、大人になって考えてみるとひとつ不思議な点はあります。死んだ魂は輪廻転生するのに、なぜお盆の時には帰って来れるのでしょうか。もし人に転生していれば、魂だけが帰ってくるのは矛盾しますよね。もちろん、故人をしのび先祖を供養するための風習ですから、そんな難癖をつけてもと思うのですが、ずっと不思議です。
【お葬式の色々な不思議】
ところで、文化風習や年中行事の多くは宗教・宗派によって様々ですが、その最たるものはやっぱりお葬式でしょう。「死のタブー」で触れている通り、少なくとも多くの日本人にとって、「死」は禁忌されています。そのため、自身の家族でも亡くさない限りは、その風習についてはあまり詳しく知る機会がありません。幸か不幸か、私自身は近しい人を4度も亡くした経験があるので、実は35歳にしてお葬式に詳しい方です。
一般に、通夜や葬式の手順や段取りはよく知られていますが、それ以外の場面はほとんど知る機会が無いように思われます。そこで、ちょっと実家周辺の風習について簡単にご紹介してみましょう。
まず、現代では多くの方が病院のベッドで最後の時を迎えます。明らかに持病による死であれば問題ありませんが、事故死や急病死などの場合は警察による検視が行われます。不審な点あると、詳しい検視のため最寄りの警察署へ移送されることもあります。
そこで問題となるのが、遺体をどう運ぶかです。家族自身がそれを行うのは難しいですよね。私の実家周辺の場合、なぜか直ぐに葬儀屋が病院へ駆けつけてくれます。こちらからは一切連絡していないのに、葬儀屋はいつも完璧なタイミングでどこからか現れます。いやぁ、不思議です。
さて、故人が自宅へ帰ると、まずは家族の手で布団へ寝かせ、体を拭いてあげて清めてから、死装束に着替えます。気が動転している場合や、どうしても自分達でできない場合には、葬儀屋さんが代行してくれます。それが終わったら、まずは簡易な祭壇を設けて線香を上げ、通夜・告別式の段取りへという流れに至ります。一番難しいのは火葬場の手配、住職のスケジュール、参列者の都合の調整ですが、当日や翌日に通夜というのは実際には難しいですから、それまで故人にはドライアイスを枕に待ってもらうことになります。
また同時に、病院からは死亡診断書を受け取り、役所へ死亡届を出す必要があります。これが提出できて初めて、火葬許可書が発行される訳です。このあたりは、故人の家族しか行わないので、親戚だとしても知る機会が少ない部分です。
そしていよいよ通夜、告別式となる訳ですが、それまでにやることがあります。告別式までの間、故人は自宅あるいは葬儀場に安置されている訳です。うちの実家周辺の風習では、その間は線香を決して絶やしてはいけないことになっています。つまり「寝ずの番」があるわけです。
昔はドライアイスがありませんでしたので、線香で臭いを消す意味が大きかったのだと思います。また、時に香典や遺体が盗まれるという珍事もありますから、寝ずの番は欠かせません。古くは古事記・日本書紀にも描かれている、「殯(もがり)」という風習に由来します。
参考:Wikipedia記事「殯(もがり)」
私は何度もこの「寝ずの番」をしましたが、特にいつも印象的だったのは髭剃りです。亡くなったあとも故人の髭や爪は伸びるので、家族の手で整えねばなりません。皆が帰った後、故人が使っていた電気シェーバーで、普通にガリガリ~とやるだけなんですけどね。
亡くなった人の体に触れる行為は、他人から見れば恐ろしさも抱くでしょうが、家族からすれば体に触れられる最後の機会でもあります。自分以外の人の髭を剃ったことなどありませんが、今思えば厳粛で大切な、とてもやさしい行為のように思えてなりません。
で、そうした仕事が過ぎ、いよいよ通夜当日になると故人を納棺します。うちのあたりでは、棺の蓋の4隅を、金メッキした釘で打ち付けます。この時、河原から取ってきた石で打つのが仕来りです。ずっと不思議だったので由来を調べてみると、どうやら「三途の川」の石を使うことで、無事に川を渡れるようにという願いだそうですね。
参考:葬祭会館セレモニー山月社「葬儀の流れ」
そしてその先は、いわゆる通夜・告別式となります。続きにご興味がある方は、上のリンク先に詳しい流れが書かれていますのでご参考ください。タブーだけに知られざる細かい手順ですが、そこにはやっぱり古代から続く伝統と土着風習が色濃く残されているように感じます。
【世界のお葬式の現状】
ところで、同様にこうした風習を世界へと向けて探してみると、そこには私達日本人には、およそ想像もつかない世界観が広がっています。アーメン神父さんという方が作ったブログサイトに、興味深い世界事情が並べてありましたので、ちょっとご紹介します。
参考:お葬式の世界地図
例えばある記事では、都市化による墓地不足に悩む中国遼寧省で、最近「海洋葬」が増えているということです。墓が無ければ散骨するしかない。古代から続く文化風習も、近代化には勝てないんですね。或いはドイツでは、カトリックで一般に禁じられている火葬が、都市部では5割にまで増えているそうです。これはドイツ人の合理精神が、宗教慣習を乗り越えてしまった結果だと書かれていますね。
他方、古代エジプトでは、死者は全員ミイラになりました。もちろん、身分と貧富の決定的格差がありましたから、全員がファラオ(王様)のようにピラミッドを作ったりはできません。しかし、水分を抜いて防腐処理してから埋葬する形は、市民にも基本形だったようです。これも今では失われてしまいましたが。
面白いほどよくわかる古代エジプト―ピラミッドからツタンカーメンまで、知られざる古代文明のすべて.../日本文芸社

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ちなみに、墓地不足の深刻化は日本でも生じていますが、その最たる土地はイスラエル・パレスチナでしょう。狭い土地にどんどん入植しては、土地の境界線を争い続けている訳ですからね。武力衝突によって毎日大勢が亡くなる一方で、墓地の確保だけでも命がけです。
参考:47NEWS(2009/01/16)「ガザ、深刻な墓地不足 死者多数、埋葬も命がけ」
また他方、古くからの風習を今も根強く残す地域だってあります。最も象徴的なのは、見方によっては恐らく相当グロイでしょうが、チベットからヒマラヤ山脈周辺に今も伝わる鳥葬と、モンゴル伝統の風葬でしょう。この風葬もやはり、鳥や獣が遺体を食べることによって自然に帰る葬祭です。
閲覧要注意ですが、写真掲載のブログを二つほどリンクしておきます。ひとつめはインドのゾロアスター教施設で、次はチベット奥地の鳥葬です。クリック18禁でお願いします。
参考:mirojoan's Blog(2011年02月13日)「死者を鳥たちに捧げる石積みの施設、「沈黙の塔」」
参考:huixingの日記(2009-11-09)「理塘でチベットの鳥葬を見てきた」
人は裸足で生まれ、裸足で死ぬ。人も所詮は森羅万象の一部に過ぎず、体は土に帰り、魂は巡り巡って生まれ変わるもの。仏教が生まれ発展した中央アジア・東アジアには、今もこうした文化伝統が息づいています。
地域の気候や風土によって、またそこに住む人々が「死」や「魂」をどう考えるかによって、葬祭の形は全く異なります。私達は普段、そんなことを意識して暮らすことはありませんが、身近な誰かを亡くした時、或いは大切な故人をしのぶ時、私達は「死」というものに直面します。そしてその時、あるべき生とあるべき死を学ぶのだと私は思います。
ともあれ難しい話はさて置き、待ちに待ったお盆連休です。海水浴や温泉旅行も良いですが、墓参りや先祖供養も良いですね。故郷へ帰ってご先祖様に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
今回も最後まで読んで下さりありがとうございました。
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