病気のタブーの過去記事にある「統合失調症障害者の家族として」シリーズは、今は亡き私の母についてをテーマにした実際の体験談と、そこから派生して私が学んだこの病気についてを書いたものです。
実は、このシリーズにはまだ先がありましたが、私の中では書く気持ちになれませんでした。ひとつは、家族とはいえ自分以外の人のプライバシーを晒すことに抵抗があること。もうひとつは、一般の方には読み辛いような過激な内容を含むために、記事を公開する社会的効用が期待できないことです。要するに、誰にも参考にならないし、得することはない。と、封印してきたつもりです。
しかしアメブロを始めてみて、そこから生まれた色々な方との出会いや交流は、私の中に少し変化をもたらしてくれました。特に、いつも当ブログを訪問して下さるmeiさんには、プラスの刺激をいつも頂き、この記事を書こうと思い至った切っ掛けも頂きました。
参考:並々ならぬ、おおなみこなみ
また色々と勉強していく中で、統合失調症と母に対してまだまだ理解不足があったことや、自分自身に誤解があったことにも気づきました。そうして思い悩んだ末、今回、プライバシーに関わる部分だけを除外し、リメイクして再掲載しようと思うに至りました。
なお、記事内容は全て事実です。私の主観にのみ基づいて赤裸々な本心を書いたつもりです。それだけに、病気を持つ当事者の方にとっては、非常に不愉快だったり落ち込んだり、恐らく大きな負の刺激があります。その点を十分にご理解いただき、慎重にお読みいただくことが私の何よりの願いです。
では本編です。
【父と母】
父の生家は、地元では有力な農家です。父の兄弟達、長兄の叔父は大東亜戦争で南方へ行って殉死し、次兄の叔父は保守系政党の大物市議会議員でした。田舎ですから、その人の名前を取って「○○さんの道」と呼ばれる道路が有ったりします。そんな関係もあって、父を含めた兄弟の多くが公務員でした。父はそこから、母の家へとお見合い結婚で婿養子に来ました。
一方の母方の実家、つまり現在の私の実家ですが、こちらは伝統的な小作人農家ですが一応丸山家の本家ですので中くらいの規模の農家です。母方の祖父はずっと昔に亡くなったので、母の母、つまり私の祖母と3人暮らしが始まりました。父は以来、公務員と稲作の兼業農家をずっと続けて生計を立ててきました。
【統合失調症の始まり】
さて、私には上に兄が2人います。祖母の記憶によれば、母は2番目の兄を生む前後から調子が悪くなり、後の統合失調症の予兆が始まったそうです。最初に母の病気に気付いたのは、実の母である祖母でした。
ある日、父が役所から帰宅すると、そこに母が居ませんでした。昼間、祖母が母を精神科へ勝手に入院させてしまったのです。父はそれを怒って、母を病院から無理やり連れ戻したそうです。その時、父にはまだ母の病気が理解できなかったようです。
ここまでは、主に祖母からの伝聞です。
やがて私が生まれ、物心がついた頃には、母は入退院を繰り返していました。私自身の記憶はこの辺りから始まります。
鮮明に覚えているのは、私を保育園を休ませては、電車で片道2時間をかけて母に面会に行く道程です。夏の暑い坂道を延々と歩く風景や、足腰の弱い祖母が道端に休んでは、また立ち上がって歩く姿。母に会えた嬉しさのあまり泣き出したり、病院のベッドでゴロゴロして遊ぶ私。帰る頃、母が冗談で「まるちゃんも泊まってく?」と聞くと、泣きながら嫌がる私。そんな光景が今でも脳裏に焼き付いています。
【居るけど居ない父子家庭】
私達息子は、母の病気をノイローゼだと聞かされていましたが、実際には「精神分裂病(当時)」でした。しかし、あとで聞いたところでは、診断名は二転三転していたようですね。いずれにせよ、この事実は他言無用でした。まさにタブーです。母が病気である事実は、学校でも近所でも言ってはいけない。だから、母は居るけど居ないのです。
もちろん、付き合いの長いご近所さんの中には、それを理解してくれる方もいました。「お母さんは最近どう?」と心配の声を掛けてくれる相手には、真実を話しても良い。そんなダブルスタンダードが、子供の頃から普通に身に付いていくのです。
ところで、これは後に学んだことですが、家庭内にこうした秘密を抱えて育つ子供は、俗に言う「アダルト・チルドレン」などのトラウマを抱えるそうです。欧米ではアルコール依存症の家族を持つ家庭で多くみられることから、正式には「Adult Children of Alcoholics」と言います。
参考:Wikipedia記事「アダルト・チルドレン」
さて、私が小学校へ上がっても、母は相変わらず入退院を繰り返していました。というか、入院している時の方が多いくらいです。退院していても、子供の食事や弁当を作ったり、洗濯やアイロン掛けなどはできません。だから、家庭内でも母親の存在は薄れていきます。
こうしてどんどん、家庭内環境は父子家庭に近づいて行きました。子供達は成長と共に、いわゆる母親の愛情を諦めるしかありません。私の長兄も次兄も、徐々に思春期が近づくにつれて、むしろ母親の事を避けるようにもなっていきました。もちろんん、やがて私も同様でした。
いや、思春期の息子が母親に反抗するのは普通なのかも知れません。でも、それが普通かどうかの価値観を持ち合わせていないので、やっぱりよくわかりません。
【祖母と父】
父と母は、家柄で言えば父の方が上です。だから祖母は、婿養子である父に対して負い目を感じていたようです。加えて母は病気ですから、代わりに祖母が家事をこなし、私達孫の面倒を見ました。兼業農家ですから、やさしく温かく構ってもらえるような環境ではありませんでしたが、祖母が母親代わりになったわけです。祖母は毎日の家事と農作業に必死で、とにかくいつも口をへの字にして働いていました。
一方の父はと言えば、家庭ではとても寡黙でした。人生に絶望していたのでしょうか。誰かを恨んでいたのでしょうか。
父の数少ない趣味は、盆栽と鈴虫でした。毎朝夕に水をやり、夏は畑から胡瓜と茄子を取ってきて、鈴虫に与えること。また時には、犬を貰ってきてベニヤで小屋を組み立てたり、鉄骨を溶接した鉄棒を庭に建てたり、10mはあろうかという柱を立てて鯉のぼりを上げたり。そういう優しさは強く記憶に残っています。
父は、本当に何も語らない人でしたし、父の本当の気持ちなどは、今となってはもうわかりません。父は私が成人式を迎える正月に自殺しました。
さて、続きは明日また投稿します。
先の展開が暗すぎて、読者の皆さんには気が滅入るだろうと想像しますが、もしもご興味あればまたお付き合い下さい。
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統合失調症と生きていく(2)に続く