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この国のタブー

素人がタブーに挑戦します。
素人だけに、それみんな知ってるよ?ってこともあるかもしれませんが。
コメント、質問、大歓迎です。お手やわらかにお願いします。

これは過去に「続・統合失調症障害者の家族として」というタイトルで一旦投稿し、直後にお蔵入りした記事のリメイク版の後篇です。前回記事はこちらをご覧ください。
 →統合失調症と生きていく(1)



【父の自殺】

それは本当に、何の前触れもありませんでした。

平成10年元旦。夜。

母は入院中。両兄は出かけて留守。私は実家の2階にある自室で、遊びに来た近所の幼馴染と酒を飲んでいました。すると階下から祖母の叫び声。急いで階段を下りると、嘔吐して苦しみ悶える父の姿がありました。急いで救急車を呼んで緊急搬送、そのまま入院です。

ここから先は、あまりよく覚えていません。酒のせいか、ショックのせいか、記憶がありません。覚えているのは翌2日からで、ベッドに拘束されて幻覚に苦しみ暴れる父の姿です。私は泣きながら声を掛けましたが、恐らくその声は届いていなかったように思います。

元旦の夜、父は農薬を飲んでいました。自身が納屋から持ち出したものです。加えて持病の肝硬変により、体から毒素を排出する力はもうありませんでした。
さらに明けた1月3日の夕方、父は息を引き取りました。



【父の孤独と酒】

父はアルコール中毒症でした。めっぽう酒に強い体で、どれだけ飲んでも顔色ひとつ変えず、暴れることも陽気になることも無く、車をまっすぐに走らせるので誰も気づきませんが、車のトランクに酒の空き缶がコロコロと転がっているような人でした。

そんなことは、家族はずっと前に気付いていました。でも、誰も言えませんでした。母を抱える父の心境を思うと、酒を止めろなどと誰が言えるでしょう。どれだけ父を想っていても、想うが故に言えませんでした。

しかしその結果、肝硬変を患いました。肝臓自体は痛みも苦しみも無いのですが、進行すると色々な合併症を併発し、全身が痛むのだそうですね。また死の前年頃は特に、持病のぎっくり腰も悪化していて辛そうでした。そうした肉体的苦しみも、父を死に向かわせたのかも知れません。

父の死後から3月程して、猛烈に悲しみが襲ってきた夜の事を今でも忘れられません。夜中に包丁を持ち出してベッドの上に置き、その前に正座して2~3時間、粘ったことがあります。何を粘ったのか良く分かりません。死にたくなったのか、父の心境を感じたかったのか。
しかしここで気が付きました。

「人間は死のうと思っても簡単に死ねない。」

この日、私の中で、何かが明らかに変わりました。



【私の変化】

その日以降、私は何か決意をしたのだと思います。父を超えられなかった息子として、今できることをやろうという気持ちが芽生えました。そしていつか父を超え、父よりも幸せになろうという思いが生まれましたのかも知れません。

そこから私は大学進学を決意するのですが、以降の4年間は必死で勉強しました。勉強し過ぎてちょっと異常だったかもしれません。不良ぶっていた中高時代を取り戻すかのようでもあったと思います。
しかしその裏では、母の病気も相変わらず続いています。勉強、農業、病気、そして実家のこと全般。下宿先と実家を往復する日々が続きました。さらに、卒業してからはそれに自分の仕事が加わりましたから、これらをこなすのに物理的にも精神的にもギリギリの10年だったように思います。この間は恋人も作りませんでした。

やがて入社4年目。超大物案件を受注し浮かれていた頃、出会ったのが現在の妻です。
統合失調症の母を持つ男。一度は恋愛も結婚も諦め、将来を描くこともなかったのですが、歳のせいですね。段々と淋しくなったのだと思います。



【母への思い】

一昨年の4月、入院先の病院で母が息を引き取りました。心不全でした。今年、3回忌法要が終わりましたので、これで一息ついたところです。これまで、「べてるの家」のことを学んだり、アメブロで出会った色々な人と話たりしながら、皆さんのおかげで段々と心の整理ができてきたように思っています。

統合失調症に対して今思うことは、この病気を恨んだり、無かったら良かったとは思っていません。病気が無くても同じように苦労したかも知れないし、或いはもっと翻弄される人生を歩んだかもしれません。若い苦労は勝手でもしろ。と言いますが、そのお陰あって今の私があります。
自分の境遇を病気のせいにするには同じ病気の方に失礼です。そう思えるくらい、あまりに私は無力でした。家族のお互いの努力が足りませんでした。つまり、ある意味では運命として諦め、受け止めているところもあります。

ただ、私はずっと、心のどこかで確実に母の死を望んでいました。愛する気持ちと重荷を背負う気持ちが両方有るんです。でも恨んではいません。自分の母を、どうしても恨む気持ちにはなれないのです。不思議です。むしろ、生前にもっとやれることがあったのではないかという、悔やむ気持ちの方が強いです。



【父を超えたい】

息子というものは、「父親を超えたい」という気持ちと共に育つ側面が、どこかに必ずあるのだと思います。しかし、自分が大人になる頃には父が年老いてしまうので、全盛期の父の幻影を追うことになります。でも、そんな比較は実際には成立しないので、永遠に超えられないものです。

私の場合、それをやる前に父が死んでしまったので、それが唯一の心残りです。
「どうだ親父、おれ凄いだろ?」
と父に見せてやりたかった。超一流企業の契約を何度も取ったこと、母校で講義したこと、本を書いたこと。私と父と、父方の祖母にそっくりな可愛い娘の顔。でも、もう叶いません。

それから、父が自殺した事実は、今でも私の心の深奥に刺さった小さな棘です。残された家族は皆、自らを責めてしまったり、自殺を肯定的に捉えたりしてしまうからです。父は悪くない→自殺は仕方ない→自殺は悪い死に方ではない・・・と、頭の中で負のループが始まります。
自殺がもたらす負のエネルギーは本当に強いので、それがこの記事の公開を躊躇した一番の動機でもあります。

以前、自殺の連鎖(ウェルテル効果)という話を記事に書きましたが、1997年公開のマイケル・ダグラス主演映画『ゲーム』(原題:The Game)に、こんな話が出てきます。投資家のダグラスは、自殺した父の妄想に取りつかれ、自分も父と同じ年齢に達したら自殺するのではないかと苦悩するという話です。
 参考:過去記事「死とは忌むべきものか(3)」

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【病気と一緒に生きていく】

私は妄想という程ではありませんが、同じようなことを想像してしまうことが時々あります。娘のために、そんなことを思ってはいけないと自分を叱咤するのですが、落ち込んで酒を飲んでいたりすると、ふと思い出すのです。

これはいずれ、どこかで解決しなければならないかも知れません。ひょっとすると、私が死ぬまで戦わなければいけないかなとも思っています。
でもね、勝ちますよ絶対に。可愛い娘のために、統合失調症にも、父の死にも負けるつもりはありません。これからも苦労するでしょうが、苦労と見事につきあって見せるつもりです。父は孫の顔を見ずに逝きましたが、私は娘の子供を絶対に拝んでやるつもりです。


私は当事者ではありません。だから当事者の苦労を知ることはできません。でも、病気のことを学ぶことはできます。父と母が死んでも、父も母も私の一部です。統合失調症障害も私の人生の一部です。だからこれからも学びます。

アメブロで知り合った方の中に、しほさんという躁うつ病(双極性障害)を抱えた当事者の女性がいます。世の中には、病気の家族を抱える健常者の著作は数あれど、当事者の方の著作は希少です。まぁそりゃそうだろって話ですが、しほさんはそれに挑戦しています。「病人がエッセイ書いて何が悪いんだ」と。
いつも当ブログにコメントやメッセージを頂きますが、ついでに勇気も頂いています。「病人がやるって言ってんだから元当事者家族が負けてたまるか」と。
 参考:野性児しほ 精神科の病気(躁うつ病)の私の日常。

だからこれからも頑張ります。タブーの穴を掘り続けます。


さて、今回は自分のことばかりで少々くどい記事になってしまいましたが、最後まで読んで下さりありがとうございました。
次回、本線復帰します。



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愛し方がわからないからに続く