大学の真実(1)
前回、大学組織を中心に、大学の内側のタブーを掘ってみました。しかし大学はあくまで、研究機関であり高等教育機関なのですから、主体は教授個人と講義です。今回はその辺りを掘っていきます。
【講義の崩壊】
前回、大学教授の自治について触れました。彼らは自治という隠れ蓑の中で、劣化した講義水準をひた隠し続けてきました。ただ、考えてみれば大学教授は研究職なので、他人に物を教えるのが下手な人だって居ます。塾の先生とは仕事が違うんですから、まぁ当然と言えば当然かも知れません。
でも、米国では学生への教授法訓練を徹底して行います。というか、教授法訓練をパスしていない者は、教壇には立てない仕組みになっています。やっぱりおかしいですね、この違い。
例えば、日本の典型的な文系教授は、40年前の教授法を講師時代から使い続けています。好き勝手しゃべるだけ。あとは自署を読ませてレポートを出させる。成績評価基準も文科省が是正する以前は全員にA評価をする人も居たくらいで、勝手気ままにオマケもします。出席重視の文科省示達があったから、出欠だけは最近取るようになりましたけどね。ってこんなものは教育でも何でもありません。林修先生が聞いたら怒り狂いそうですね。
昔の大学講義は、出欠なんてほとんど取りませんでした。が、決して悪い事とは言えません。出席は義務ではなく権利であって、大学をサボる自由も必要だったのです。
ただし、大学をサボるからと言って勉強をサボって良いと言う事ではありませんでした。つまらない講師の話よりも、図書館で面白い本を見つければそれで良い。実験に没頭するのも良いでしょう。或いは、サークルやアルバイトに時間を費やすのも、それが社会性や協調性を養うというなら問題はありません。極端な話、たとえ悪事に手を染めようとも、そこから社会学を学び取れば良いのです。だから大いに飲んで暴れれば良い。日本の大学には、良くも悪くもそういう風潮がずっとありました。
しかし現代は、サボる→すぐ落第→退学→引きこもり→ニートというレールをそのまま踏襲するので、仕方なく文科省も引き締めせざるを得ませんでした。3分の2以上出席がルール化されたのです。つまりこれは、講義に出席させるという最も基本的なマネジメントさえ、できていないという証でしょう。
参考:過去記事「注:大学は教育機関ではありません」
【新しい学びとは】
あ。出席しなくて良いのか、出席させるべきなのか、話がこんがらがってきました。が、その矛盾を解くヒントは次にあります。
近年、「主体的な学び」や「深い学び」などの具体的な教育方針が中教審から出されたことで、ようやく日本の大学もこうした課題から脱しつつあるようです。ただしそれは、先進的な教授法で有名な産業能率大学であっても、米国からの輸入した教授法に過ぎませんけどね。以下の「ラーニング・ピラミッド」という考え方は、NTL(National Training Laboratory,全米教育訓練研究所)の基礎理論です。拝借しました。
参考:産能大学「一つの正解ではなく、最適な解を求めるアクティブラーニング」
この図によれば、最も深い学び=教育効果の高い学習は、一番下の「他人に教える」ことです。次いで「実践する」ことです。つまり、学んだことを実際に社会で実践しなければ、学問は身に付かないのです。だから単調な講義は時にサボって、実践したり教える場へ出ていく必要があるのです。少なくとも日本の教授はこういうことが不得手なので、学生側が積極的に行動する必要があると私は思っています。
かく言う私も大学時代、隣のゼミが「2~3年生には4年生が教える」というスタイルだと聞いて、憤慨した覚えがあります。当時の私は天狗で、同級生どころか先輩すら馬鹿にしているところがありましたので、教授が教えないなんて馬鹿の集まりくらいにしか思っていませんでした。しかし今になって考えれば、あれは教える側への教育効果を狙ってた訳ですから、決して教授の怠慢では無かったんですね。確かに私自身、先生の指示で同級生にPCを教える講座を開催していた当時は、自分も大きく成長したように思います。今更ですが。
さて、こうした新たな潮流は、もう数年すれば大学教育の現場を改革するやも知れません。ただ、それはどちらかと言えば若手の有能な学者であって、年配の権威には難しいかも知れませんけど。こういう情報にご興味ある方は、次の動画も参考頂ければと思います。帝京大学教育学の権威による講演です。
参考:土持ゲーリー法一基調講演動画(2013年5月16日)「中教審答申と主体的学びがどう授業改革につながるか」(約48分)
【研究なんてしてません】
ところで、講義の下手な大学教授ですが、彼らの本分は研究ですよね。大学教授には大抵、学会論文年3件以上などの在職条件のようなものがあります。つまりこれが達成できなければ再任されませんので、教授も必死です。
ただ、ここから先の実態は教授個人によって千差万別です。学生指導を放棄して自身の研究に没頭する人もあれば、学生の卒論を自身の共同執筆とするべく懸命の指導をする人もいます。後者の方が圧倒的に大変ですが、その分だけ教育効果が得られます。ただそこに目を付けて、学生の研究成果を自著に無断掲載してしまうような人もいますから、いわゆる盗用問題が起こったりもします。
大学教授の副業と言えばこうした著作ですが、大抵はあまり金になりません。一番金になるのはテレビ出演でしょうね。テレビに出れば本も売れますから。
他方、大学教授の出生街道の王道と言えば、学会活動です。学会の事務局を担当し、教え子にも協力させて学会運営に関わり続けると、コネができます。大学教授の任命はほとんどコネですから、より好条件の有名大学に収まるためにこの活動は欠かせません。学会誘致に成功すれば学内評価もグンと高まります。しかも学会活動ですから、学生を使う名目も立つという訳です。
それからもうひとつ、忘れてはならないのが、科研費獲得です。文科省や経産省、または外郭団体などから研究費を獲得できる人は、大学収入を増やすので出世コースに乗ります。学生にプレゼンばっかり教えたがる教授は大抵、大学教授なのにこういう金儲けが好きだったりします。
要するに、大学教授の中で真剣に研究をしている人はひと握りです。多くは出世のために仕事をしています。って、つまり仕事してないってことなんですけどね。
【捏造当たり前】
するとこんなことも起こるのは自明の理なんですよ。
2012年10月、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を臨床応用したと虚偽発表した森口尚史氏ですが、東大は後の調査により、森口氏の関わった論文や投稿など68本のうち、14本で不正を結論付けました。うち1本は図の盗用で、13本は森口氏自身が最後まで実権データを提出しなかったそうです。
参考:msn産経ニュース(2013.9.20「iPS虚偽発表の森口氏、論文14本に不正 東大調査発表」
2013年3月、ノーベル賞候補者の1人とされる東北大学の井上明久前総長の研究に新たな不正疑惑が持ち上がりました。何でも、「金属ガラス」という新しい合金の研究に約18億円の研究費が投じられたそうですが、彼の書いた15本の論文に、実験データのねつ造や改ざんの疑いがあるとして、同大教授グループが告発。学内調査も適切に行われていないなど、以前から不正を指摘する声が後を絶ちませんでした。後に民事訴訟で争っていますが、判決は兎も角、論文が杜撰で不正確であることは確かなようです。
参考:井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム)
2013年7月、東大の調査委員会は1月からの調査の結果、分子細胞生物学研究所の加藤茂明元教授の論文について、165本のうち43本は、改ざんや捏造、もしくはその疑いがあると認定。彼の研究には20億円以上の公費が投じられていたこともわかっています。
参考:朝日新聞デジタル(2013年7月25日)「東大43論文に改ざん・捏造疑い 元教授グループ」
いい加減に仕事していれば、こんな不祥事も日常茶飯事なわけです。直近だけでもこれだけあるんですからね。
さて、過去記事でも書きましたが、大学は教育機関ではありません。そして研究機関かどうかと聞かれれば、私はわかりませんと答えます。厳密に言えば、大学によるんでしょうけれど、優秀な大学だから研究しているとも断言できません。何しろ、東大が不正連発ですからね。
参考:過去記事「注:大学は教育機関ではありません」
しかし、大学教授を相手にこんな暴論を書いていると、いずれどこかに通報されるか訴えられてしまいそうですね。論文が正しいかどうかなんて、そんなこと訴えられても裁判所だって困るでしょうに、それでも「訴えてやる!」がトレンドらしいので。
私への提訴をご検討の方、訴える前に是非ともコメントくださいね。土下座しますので。(おい)
今回も最後まで読んで下さりありがとうございました。ただし次回も続きます。
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