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この国のタブー

素人がタブーに挑戦します。
素人だけに、それみんな知ってるよ?ってこともあるかもしれませんが。
コメント、質問、大歓迎です。お手やわらかにお願いします。

 続編記事ですので、過去記事はこちらをご覧ください。
 →大学の真実(1)
 →大学の真実(2)


大学批判なんて書いていて、「おれ本当に大丈夫なのかな?」と一瞬不安が過りますが、無視しましょう。若者たちの未来を憂う以上、大学批判はいつの時代も避けて通れませんからね。


前回、教育も研究も中途半端でいい加減な大学の実態について書きました。もちろん本当に素晴らしい大学教授もいるのですが、そうでない人もいます。先生だって所詮は人ですから。
そして、人がやることには間違い、つまりヒューマンエラーが付き物です。しかし大学は自らを聖域化してきたので、不祥事が起こると基本的には隠ぺいします。そんなもんです。



【不祥事隠蔽当たり前】

2011年、京都大学入試でYahoo!知恵袋を使ったカンニングが大々的に報じられました。京都大学はさも問題だ問題だと騒いだのですが、普段は自分たちが不祥事を起こす側だからなのか、あたかも鬼の首を取ったかのような対応には、正直疑問を感じました。
 参考:Wikipedia記事「大学入試問題ネット投稿事件」

私が在学中にも、入試合格者発表で不備があり、後に不正入試疑惑が持ち上がったことがあります。に実際には隠ぺいされた内部情報なので、全く根拠は出せませんが。でも、昨年9月にも中央大学理事長が知人の孫を付属校に不正合格させたりと、未だ不正入試は後を絶ちません。バブルの頃は先生方も、裏金でさぞや儲けたことでしょう。


ところで、かつて大学不祥事の典型と言えば、リンチとレイプでした。天理大学などもその部類ですね。もちろん学生だけじゃなく、教授のセクハラなんてのも珍しくありません。可愛い女子大生と一緒に酒を飲めば、やっぱり過ちも起こってしまうんでしょうね。これも私が在学当時に一度ありました。当事者の教授は海外留学の名目で飛ばされて、私が卒業後に復帰してましたけど。
 参考:日刊スポーツ(2013年9月27日)「天理大柔道部活動停止は「半年が妥当」」

また最近では、熱血教授が厳しい指導を続けた結果、学生が鬱になってしまうなどの事件も問題視されるようになりました。いわゆるアカハラです。これは一昨年、知っている教授が起こしてしまいました。詳しくは言えませんのでWikiで勘弁して下さい。
 参考:Wikipedia記事「アカデミックハラスメント」

つまり不祥事は日常的に起こっている訳ですが、隠ぺい体質は続いています。自動車はリコールが日常茶飯事になった結果、逆に安心できる気がするのですが、大学はそうもいかないようですね。



【教師の不純な志望動機】

さて、教師の不祥事という話が出たら、この話題を掘らずにはいられません。ちょっと脱線しますが、個人的な暴論です。

何を隠そう、私は教師という仕事に対してちょっと偏見を持っている人間です。小中高の教員も、大学教授も、幼稚園の先生に対してもです。個人はともかく、先生としては全く尊敬していません。もちろん、だからと言って、娘の担任に食って掛かったりはしませんよ。自分と同じ仕事をする人間として、ビジネスで接するのと同じように接します。

これには2つ理由があるのですが、うちひとつは記しておきたいと思います。
ひとつは大学時代、教職課程を履修していた同級生に対する印象が最悪だからです。彼らはとにかく真面目なんですが、勉強はあまりできません。ただ、単位成績だけは良くて、要領だけは良いんですね。ノートをよく借りに来ました。
しかし、それより何よりも彼らを尊敬できないのは、彼らの志望動機です。誰に聞いても、「日本を良くしたい」とか「子供の未来を作りたい」とかいう話はほとんど出てきません。押し並べて「子供が好きだから」と言うのです。

要するに、自己満足なんですよ。また本質的にはちょっと危ないセリフでもあります。せめて嘘でも「教育学を究めたい」とか言ってもらいたいのですが、そうじゃありません。こんな真面目人間には、家庭崩壊ですさんだ子供の気持ちはわからないだろうなといつも思ってます。

もうひとつの理由は長くなりそうなので別の機会に譲りますが、実は博士課程に進む学生にも、こうした動機を抱く学生が最近増えています。学生に教えたいと言うのです。私は少し不安です。その理由は次に出てきます。



【キャリア教育の欺瞞】

2度の就職氷河期、そして定員割れの時代を経て、大学は現在、就職指導に熱を入れています。早ければ1年次から取り組む職業教育を、「キャリア教育」と呼びます。最初はリクルートやベネッセなどの外部業者に委託していたのですが、最近では教授がこれを実施するケースも増えてきました。

大学教育が就職、つまり将来の仕事に直結しない問題は早期から指摘されていて、特に私が共感したのは東大教育学の先生が書いた本です。この本は、大学教授がひとつひとつの講義に目的意識を持たせないことが大問題だと、指摘しています。具体的には、今学んでいる学問が将来のどんな仕事で活用されるものかという、動機づけが不十分だと言うのです。

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)/筑摩書房

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指摘は極めて正しいです。職業との関連性が高い専門学校の方が就職率が良いという事実も、この指摘は裏付けていますからね。しかしいかんせん、大学教授は就活経験が無いんです。だって研究しかしてこなかったんですからね。だから先の大学院生に、学生にとって最適な教育ができるとは思えません。私は、民間出身の研究者の方が学生指導には適している気がします。



【自己言及問題】

そろそろこれも言わねばなりませんが、就職活動を困難にした戦犯は間違いなくリクルートです。彼らは、「就職」という市場を生み出した創造者であり、犯罪者だと私は思っています。人的資源の効率配分を謳ったリクナビは、企業には大ウケでしたが、学生には迷いと苦労を生みました。そして今度は、その業界からやってきた専門家が、学生達にこう言うのです。

「自己分析をしてください」

自分の過去を振り返り、あるいは性格適性検査から導き出された結果を基に、志望先企業をピックアップして、自分の強みを自己PRしろと言うんです。
でもね、ここは大学なんですよ。科学は自分を研究対象にすることはできません。自分を研究材料にすることは「自己言及問題」と言って、科学では犯してはならない失敗なのです。だからこれを教える先生自身にも、矛盾を内在させることになるのです。学生自身も、この矛盾したロジックを受け入れられない者が少なくなく、彼らは就活を始める以前に挫折していくのです。
 参考:Wikipedia記事「自己言及のパラドックス」

全大学教授のうち、キャリア教育に矛盾を感じている人は間違いなく多数派です。文科省や中教審が求めるから、本音で言わないだけです。しかし私はもう、大学自身が声を上げるしか方法は残されていないと思います。「大学は就職指導はやりません」と。

しかし、就職率と入試志願者は比例するという重い現実は、これからも突き刺さり続けるでしょう。だから各大学がweb上で発表する80%とか90%という「就職率」は、分母が「全卒業者」ではなくて「就職希望者」なんです。文科省が発表した学校基本調査の速報では、全大学生の就職率は63.9%です。一時的な仕事に就いた者及び進学も就職もしていない者の率は、19.0%ですよ。これはもう、受験を控えた高校生に対する印象操作そのものでしょう。
 参考:文部科学省「平成24年度学校基本調査の速報について」(PDF:578KB)



私は、こうした大学の真実は、親も学生自身も知って然るべきだと思います。いつまでもお客さんのフリをして大学にサービスや教育指導の質を求めても、意味はありません。大学では、自分を成長させるのは、最終的には自分だからです。
私自身は幸い、師と仰げる教授に出会う事が出来ましたので、いつも傍にくっついては、勉強も人生も、社会の裏事情も沢山教えてもらいましたから、大学に過度な期待をすることもありませんでしたし、自律的な学生生活を送る事が出来ました。


卒業式の謝恩会で、先生は私にこう言いました。

「丸山、残らないか?」

いや先生、私、内定を1年以上前に取ってるんですよ?w

「うん。でも仕事はいつでもできるだろ。だから院に来い。博士課程まで面倒見てやるし、今から推薦ねじ込んでやるから。」

いやいや、もうこれ以上親のスネかじりは・・・www

「そうか。じゃあ職員で残れよ。今、事務局長呼んでくるから待ってろ。」

いや、勘弁して下さい!!(汗)


事務局長とは事務職員のトップなんですが、本当に呼んできちゃったので後が大変でした。数年後に聞いたところ、やっぱりこれだけ組織がドロドロしてると、自分の味方となる部下や職員が欲しかったんだそうです。そして未だに大学院へ来いと言われます。有り難い事に。

うーむ。でもちょっと失敗。あの話、引き受けてれば今頃は、某超有名大学で研究職か大学職員にありつけたかも。ドロドロドローでしょうけれど、名刺だけでモテそうだ。(おい)


さて、これでシリーズ3部作は終わりです。教師が尊敬できない話はひとつペンディングになってしまいましたが、それはまたいずれの機会にアップします。
久々の長編でしたが、最後までお付き合い下さりありがとうざいました。



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