さて本題です。今回のタイトルは何やら、売れない三文小説か歌のフレーズのようですが、すいません、そういう内容です。
当ブログを始めて10カ月経ちましたが、まさか色恋の話を書くことになろうとは思いもしませんでした。が、この国のタブー信者のひとり、meiさんとのコメントのやり取りの中で、自分の青春時代の苦くてしょっぱい経験を思い出してしまい、つい記事にしてしまいました。
参考:並々ならぬ、おおなみこなみ(2013-09-30)「愛されたい」
もっとも、おっさんの恋愛昔話など需要ほぼゼロでしょうから、ご興味ある方だけ読んで下さい。一応、以下のシリーズの続編ではありますが、時系列ではもっと過去に遡ります。
→統合失調症と生きていく(1)~(2)
【明るい不良生活】
母親が統合失調症障害を抱えていれば、まぁ息子としてはグレてしまこともある訳で、私の中学から高校時代にかけての生活は、毎晩が「15の夜」みたいなものでした。家に寄り付かない日が続いたり、時には警察のご厄介になったりしたことも1度や2度はあります。
また、こういう生活をしていると、悪い交友関係もどんどん広がります。珍走族やロックバンドからの誘いなども数知れず、高校の頃には893屋さんから幹部候補生としてスカウトされてたくらいです。
当時はまた、酒も沢山飲みました。初めて飲んだのは小6の秋ですが、その時点で大瓶6本。中2で初めて入った赤提灯は20歳まで常連でしたし、高2の頃は第1次地酒ブームに乗って、「越乃寒梅」や「久保田」を一晩で空けてました。バブル崩壊で価格が下落したから、アルバイトの給料でもそういうことができたんですね。
ただ、アルバイトは楽しかったので一生懸命やりました。家電量販店で売り子をやっていたのですが、時には1日で200万円くらい売りました。社員と一緒にサービス残業しては、深夜の街へ毎晩のように繰り出しましたし、時給もどんどん上がって最後は1,300円くらい頂いてました。そしてみんな飲んじゃいました・・・。
ってほら、時々こういう不良の武勇伝を語る輩、大人になっても飲み屋に行くとしばしば見かけますよね。そう、どうしようもない人。
私も全く同類でした。もうチンピラを通り越してキンピラです。ゴボウに申し訳ないくらい、ガキだったんです。先を見ない。計算できない。計画しない。刹那を生きるだけで精一杯の頭しかありませんでした。
でもそんな私にも一度だけ、部活動に熱中した時期があります。副担任の紹介で入部したバドミントン部です。そして、そこで出会ったマネージャーに、なんと初恋してしまったんですね。イエス!フォーリン・ラブ!(おい)
ついでに:フォーリンラブ公式「愛のささやきブログ」
【恋に恋する17歳】
あ。恋愛話なんて何年もしていませんので、つい照れ隠しにボケてしまいました。
少しムードを戻しましょう。
彼女は他学科の1年先輩で、たしか知り合って間もなく交際が始まりました。本当に明るくて純真な性格で、ちょっと大人しい側面もありましたが、そういう所もひっくるめて大好きでした。あちこちにデートへ出かけては門限を破り、時には彼女の両親に内緒で泊まりに出かけたり。
今思えば、ご両親にも迷惑を掛けました。何と言っても大切な娘ですからね。その娘が不良に連れ回されるっていうんですから、さぞ心配されたことと思います。
しかし、そこは恋に恋する17歳のもどかしさ。互いにお年頃でしたから、もう周りなんて何も見えていなかっただろうと思います。体は大人でも心は幼かったんですね。熱に浮かされたように、純愛街道を猛進していました。
しかしある時、不意に統合失調症障害を抱えた母の症状が、極めて悪化します。家の中で暴れたり、真夜中でも罵声を上げるので、全く眠れない日々が続きました。
私は急に現実に引き戻されました。毎日が憂鬱でイライラする。遊びにも行かず、バドミントンにも集中できないし、彼女のことなど考える余裕もありません。何を話かけられても、そっけなく冷たい態度を繰り返すばかりでした。
好きな人にやさしくなれない自分。これが何より嫌でした。
【本当の私】
恋に恋する17歳ですから、交際を始めて数カ月が経つ頃には、互いにいずれは結婚したいと真剣に思い込んでいました。それだけに、私は自分自身を徐々に追いつめていきます。
大好き。けれど結婚はできない。
幸せになりたい。けれど幸せにはなれない。
幸せにしたい。けれど自分は幸せにはできない。
本当に毎日、全身が引き裂かれていく心境です。苦しくて苦しくて、でも誰にも吐き出すこともできない。誰も知らない本当の私の真実。ふと気づけば、クラスの席に座って眺める同級生の姿と、自分の置かれている現実との断絶。
そこには決定的な境界線がありました。それは、私が普通の高校生ではないということ。住んでいる世界が、比べ物にならないくらい違って見えるのです。まるで、満月を見てしまった人狼のような、深い深い孤独の中へ引きずり込まれていくかのようでした。
【真実の告白】
しかし本音ではこの苦しみを、わずか一部でも良いから、彼女にわかって欲しかった。毎日、辛くて辛くてと泣き叫びたかったし、甘えたかったんです。と同時に、この苦しみを彼女には絶対に味あわせたくないという、強い思いもまたありました。こんな苦しい病気のことなど、彼女に知ってもらいたくないし、理解なんて絶対にして欲しくありませんでした。
そんな相反する2つの気持ちと葛藤が、自分自身を更に追い込んでいきました。
しかし、そういう私を見続けた彼女もまた、やはり苦しんでいました。彼女は、私が何か大いなる悩みを抱え込んでいることに、早くから気付いていましたから。本当の気持ちを打ち明けて欲しいと、何度も何度も懇願され続けました。
そうして私はとうとう、母が統合失調症障害を抱えていることを告白してしまったのです。
もちろん、彼女にはこの病気を理解などできませんでしたから、ひとつひとつ教えるところから始まりました。沢山の話をし、何度も何度も時間をかけて打ち明けました。そして互いの理解は深まっていくのですが、もう一方では抱える悩みも増えていきました。それは、将来に対する漠然とした不安でした。
このまま一緒に居られるのか、将来結婚できるのか、果たして幸せになれるのか、と。
2人とも、「幸せ」の意味すら知らないのに。
【地球より重い真実】
彼女は自ら母親にも、私の母の病気を明かし相談していました。
「お母さんは、『本当はそんな人のところにお嫁にはやりたくない』って。」
とても悲しかった。
私が「そんな人」と言われたからではありません。そう言われた時の彼女の心境がわかるから、悲しいのです。
この言葉で私は、彼女に真実を告げたことを恥じ、心から後悔しました。「穴があったら入りたい」なんてレベルの話ではありません。穴があったら、自分自身をズタズタに切り刻んで埋めてしまいたかった。
私はやっぱり、普通の高校生ではありませんでした。でも、彼女は普通の女子高生だったんです。まだ、その自覚が足りませんでした。本当に無責任だったんです。
彼女に背負わせるにはあまりに重すぎました。地球より重かった。
これは今でも強く後悔しています。
【すれ違いと決別】
やがて1年先輩の彼女は卒業し、看護学校へ通いながら病院勤務となります。彼女の母親が看護師をしていたからと言っていましたが、ひょっとして私の母のことを思っての決断だったのかは、今となっては知る手だてもありません。
しかしそんな仕事ですから、勤務シフトも複雑でデートもままならない日々が続きました。
一方の私は、高校3年生のまだまだ遊び盛り。当時の私は宴会部長で、また女性にも多少はモテましたので、飲み会や合コンには引っ切りなしで呼ばれました。「丸山が来ないと盛り上がんねえだろ!」、「お前が来ないと○○ちゃん達が来ねえんだよ!」なんて具合です。
たった1歳しか違わないのに、お互いの世界はどんどん離れていきました。
そしてまた一方で、私は葛藤の中から自分なりの答えを出そうとしていました。
・今の自分に、好きな人を守る力は無いということ。
・行動が大人ぶっていても、人間としては全然成長が足らないということ。
・つまり自分自身を変えなければならないということ。
・それは、普通に同級生と同じように歳を重ねるだけでは達成できないということ。
・それは、恋愛に浮かれていては達成できないということ。
「ごめん、好きな人ができたんだ。」
嘘をつきました。
【愛し方がわからないから】
彼女との写真や思い出の品は何ひとつ残っていません。私の中では当時、本当に悲しい出来事でしたので、残す勇気がありませんでした。今頃はきっと、太平洋の底で朽ち果ててますw
これはいつも書くことですが、私は、自分の人生の失敗や挫折が母の病気のせいだとは思っていません。全ては自分の責任です。ただこの時は、恋に恋して、統合失調症という病気を受け止める度量も無くて、愛し方がわからなかっただけです。そういう母親を抱えた息子として、彼女をどう愛せば良いのかがわかりませんでした。
自分なりの、等身大の愛し方。結局、彼女と一緒にいる間にそれを、私は見つけることができなかったんだと思います。勝手ですね。
過去記事で、結婚や恋愛をずっと長い間諦めてきたという話を書きましたが、その切っ掛けが彼女との日々でした。別れて以降もやっぱり馬鹿なことは沢山やりましたが、それでも少しずつ成長できたような気はします。とっても傷つけてしまったと思いますが、お詫びしようもないのでずっと心の奥底にしまいこんでました。妻にも親友にもこれを話したことはありません。
しかし久しぶりに思い出してみて、書きながら不覚にもちょっと泣いてしまいました。いや、本当を言うと結構泣いてしまいましたw
男って意外とそういうところが、女以上に女々しいもんです。
あ、てことは、結局は弱いまんまだな・・・。。。
さて、おっさんの恋愛昔話はこれで終わりです。お気に召して頂けたとすれば幸いです。
当時、彼女とカラオケへ行くとT-BOLANの「離したくはない」をいつも歌い聴かせたものですが、今や伝説となった彼らもめでたく復活した事ですし、最後にこんな歌をプレゼント。当時の私の心境そのものです。森友サイコー!織田哲サイコー!
参考:Youtube動画「【すれ違いの純情】 T-BOLAN 」
今回も、最後までお付き合い下さりありがとうございました。
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