大学の真実(1) | この国のタブー

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私事ですが、家庭内でちょっとした冷戦が勃発中です。まぁ良くある事なのでツッコミ無用ですが、お陰で帰宅を焦る必要もないため、久々に超大作記事を書くことにしました。ネタ元は8月20日~23日に掛けて日経新聞に掲載された「大学は変われるか「決める組織」へ」というコラムですが、あとは経験談です。

皆さんは大学の真実をご存知ですか。いや、大学へ4年間、あるいはもっと通った人でさえ、ほとんどご存知ないというのが現実でしょう。しかし紐解いていくと、大学がいかに崩壊しつつあるかよくわかります。



【意思決定できない大学組織】

大学を語る時、まずその組織構造を知る必要があります。
大学組織の形態は色々ありますが、一般的な私立大学には、その上位に大学の設置者である学校法人が存在しますよね。ここに「理事会」や「大学評議会」というものがあり、本来はここが重要意思決定の場となります。

理事会を組織する理事長職は、大学創立者やその一族だったり外部から呼ばれた著名人だったり、その実態は様々です。経営実態も同様で、創立者のワンマン経営という大学もあれば、理事はお飾りの名誉職に過ぎないという場合も有ります。
これは大学評議会についても同様で、評議員は理事や外部委員、大学教授や大学職員によって構成されますが、そこが強力な権限を発揮している場合も有れば、形だけの組織である場合も少なくありません。

一方の大学には、組織のトップである学長がいて、その下に教授会が存在します。教授会は大学の教育や研究を遂行するための意思決定機関ですから、こちらも絶大な権限を有しています。一般的に理事会や評議会が形骸化している場合、実際的なマネジメントを行うのがこの組織です。

両者の関係を民間企業に例えるならば、理事会や評議会は株主で、教授会は取締役会です。理事長は筆頭株主、学長は社長です。もちろんオーナー社長の会社もあって、慶應や早稲田では学長(塾長・総長)が理事長を兼務します。

って、長々と書いていますが、訳わかりませんよね?
そうです。大学は訳わからない組織なんです。この中に登場する誰がどんな責任を負っているのか、とてもわかり辛い構造です。わかり易い組織図をググっても、ひとつも無いんです。それが日本の大学です。



【機能不全の教授会】

また日本の大学には、「民主主義幻想」があります。これは欧米と大きく異なる体質です。

例えば、大学教授は大学評議会が人事選定を行い登用します。もちろん研究業績に優れた人材から登用するのが理想でしょうが、そうしたケースは極めて稀です。実際には、講師→准教授→教授と順当に昇進する、古き良き?年功序列組織です。
また、一旦任命された教授職は任期制です。4年など定められた期間の研究成果と教育成果によって、再任されるかどうかを決めるルールです。ただし実際は、基本的には不祥事でも起こさない限り再任されますので、年寄りの巣窟になります。
つまり、大学教授が「今の若者はチャレンジしない」とか言うのは、妄言にも等しいんですね。まずは鏡を見ようぜって。


さて、その一方、学長や学部長はどうかと言うと、外部登用が慣例の立教大学等は別として、一般的には選挙によって教授の中から任命します。しかしこうなると当然、派閥が形成されることになりますし、かつては票の買収スキャンダルも度々報じられましたが、最近でも不祥事は後を絶ちません。
 参考:全国国公私立大学の事件情報「学長選挙」
 

(以下、日経(2013/8/22)「理事長の役割とは 丸投げ脱しビジョン示せ」より引用)
日本の大学にはびこる「民主主義幻想」。その最たる例が学長選挙だ。「学問の自由」を旗印に学長も学部長も教員の選挙で決めてきた。理事会が学長を任命し、強い権限と責任を与えられた学長が学部長を指名する米国とは対照的だ。
(引用ここまで)

そのため、実際に学長になったとしても、敵対派閥勢力は学長方針にも理事長方針にも従いません。「定年引き下げ」とか「報酬カット」とか「改革だ」などと言い出せば、その学長は大勢の教授から総スカンを食らい、再選は絶対にあり得ません。不倫だとか収賄だとかの怪文書まで飛び交います。
これが彼らの主張するところの「民主主義」だって言うのですから、もう最悪です。もちろん、政治学者も経営学者も同じようなことをやるんですから、もはやマネジメント能力はゼロ。自浄能力と自己成長能力はマイナスでしょうね。



【大学自治神話】

問題は、教授の権限がなぜこれ程に強いのかです。それは教育の独立性を保つという神話があるためです。
大学という高等教育の場は、イデオロギーや時の流行に左右されてはならないからです。だからこそ、教授は年齢や業績に関わらず、また学部長や学長といった肩書にも寄らず、全員が平等です。だから他の教授の授業に口を出したりできませんし、他学部の教育内容にケチをつけるなどもっての外です。

10年程前、各講義を学生による授業評価アンケートで査定しようという機運が、全国の大学で高まりました。しかし、すんなり導入した大学は僅かで、多くの大学教授達は必至で抵抗し後塵を拝しました。
「学生に評価などできるはずない」、「それでは叱れなくなる」というのが、反対派教授達の主張だったのですが、結果は全く逆です。学生から評価されない教授の講義は、他の教授から見てもつまらなく、学力向上が到底期待できる内容ではありませんでした。学生のアンケートはそれを見事に指摘しました。また、学生を叱る教授の人気は低いどころか、実際には高かったそうです。
 
要するに、大学教授は自分の縄張りをすぐ主張するのですが、そんなものは単なる言い訳だったことが明らかです。安保闘争なんて終わった現代、彼らの言うところの自治など、単なる既得権益でしかありません。



【縦割り役所構造】

理事会も教授会もダメ。教授個人もダメ。じゃあ誰が大学運営をしているかと言えば、それは事務職員組織です。大学には教務課、学生課、就職課、入試広報課などの窓口部署がありますが、これらは全て職員組織によって運営されています。大学教授は大学間を渡り歩いたりしますが、職員は基本的に終身雇用の正社員です。正確には学校法人が設置する大学の団体職員です。

また、彼らは先生ではありませんから教壇には立ちません。しかし、入試も入学式も履修も彼らが実質的に管理します。赴任したばかりの先生ではこうした運営は困難ですから、あらゆる取りまとめと実施は、職員組織がなければ達成されません。
しかし彼らは役所化します。人事異動が少ないのでプロフェッショナル化できる反面、セクショナリズムも全力で発動します。つまり縦割りなんです。皆さんも大学時代、窓口をたらい回された経験を、一度はご記憶でしょう。

こう考えていただければわかり易いです。
任期のある教授会は、言わば国会です。政治家ですから議会は形骸化し、党議拘束も守りません。一方、彼らの手足となって活躍する職員組織は、各省庁です。しかし官僚はいつも狡猾ですから、教授会の方針が気に入らなかったり、組織の利権を守るためには大反発します。資料を求められても出さないし、期限も守らない。予算を握っているだけに強気ですし、時には労働組合を結成してデモも発動します。大学によっては左翼活動家の巣窟とも言われます。
 参考:不条理日記(2007年03月28日)「今度は中央大学で弾圧」

なんだか、田中真紀子と外務省みたいです。



民間企業で働く皆さん、いかがですか。「ふざけんなよ」と言う方もいれば、「うちと全く一緒」という方もいるでしょう。そうです。民間と大差なく、どうしようもないのが大学です。教育機関とか謳ってますが、要するに中小企業ですからね。古いとか、創業者が有名だとか、業界にコネがあるとか、そんなものです。

大学に素晴らしさを抱くのは幻想です。とってもドロドロした世界で、役所そのものです。だから大学改革を叫ぶ方にはこう言いたい。まず霞が関を変えないと無理だよと。
でも、大学に通う学生諸君も、子弟を送り出しているご父兄諸氏も、幻滅しないでくださいね。大学で勉強する主体はあくまで学生自身です。組織がどうだ、制度がどうだという話は、自分自身には関係のない事ですから。

今回も最後まで読んで下さりありがとうございました。
次回は大学教育そのものの崩壊についてから再開します。



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