→体罰のおかしな論争(1)
→体罰のおかしな論争(2)
このテーマはしばらく放置気味でしたが、こちらの関連書籍を何とか1冊読み終えましたので再開します。私の読解力では非常に難解な書籍だったため、途中、幾度かの挫折を経ながらの作業でしたが。
ということで、シリーズ最終回です。
体罰の社会史 新装版/新曜社

¥2,520
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現代の教育は、法によって体罰を禁ずる建前と、一部水面下では恒常的に体罰を行うという、いわばダブルスタンダードがまかり通っていますね。
本書もまた、同じ問題意識から出発して書かれたものです。本書では主に、歴史的書物における体罰に関する記述を緻密に調査し、時代背景をも考察しながら我が国の体罰史を描いています。ちなみに著者は、高校社会科教員を経て教育学者となった方で、私とは反対に体罰否定派ということです。
【日本は世界に先んじて体罰禁止】
人類文化の発展から見れば、古くは体罰が自然に存在していました。高度な社会性が確立される以前は、子供の躾けとは言わば牛馬や犬猫のそれと大差ありません。鎌倉時代、貞永元年(1232年)に武家の振る舞いを法令として定めた「御成敗式目」には、罪人処罰の方法として、耳や鼻を削ぐとか、指を切り落とすなどの方が定められていたそうです。まぁそんな時代ですからね。
参考:玉川学園 現代語訳「御成敗式目」全文
江戸期に入ると、やがて学問としての儒学が一般に広まり、この頃から徐々に体罰否定の論調が生まれます。朱子学や陽明学の広まりは、社会に博愛や平等の精神を育み、元禄9年(1696年)には、かの有名な徳川5代将軍綱吉による「生類憐みの令」が制定されています。
参考:Wikipedia記事「生類憐みの令」
つまりこの時代、犬猫や家畜・家禽類などの高等な生物に対する慈悲心が生まれたことを意味します。私が子供の頃は、江戸時代とは「士農工商穢多非人」という超えられない身分格差社会があったと教えられたものですが、最近の研究でこれはほぼ否定されました。実際には、この頃の社会は平等精神が芽生え始めていたそうですね。
やがて、こうした社会風潮は教育現場にも影響をもたらしました。藩校や寺子屋の教育者の多くが体罰を否定し、徳を以って教育を行うことこそ美徳と考えたのです。
ところで、同じ時代の西欧諸国では体罰は普通に行われていましたし、それは儒教を伝えた側であるはずの中国でも同様でした。つまり日本は、体罰を禁じた最初の国だったんですね。
【法の建前と実態の乖離】
しかし、体罰が全く無くなった訳ではありません。実際、江戸後期の田沼時代頃には、教育界の重鎮が体罰を肯定する書物も残されていて、本書文中にも取り上げらえています。さらに武士階級の教育とは別に、一般庶民の間では体罰による躾が行われていたことも、多くの書画によって残されています。
ところで、私は子供の頃、悪さをするとよく祖母にお灸をすえられました。「お線香で根性焼き」と表現すれば伝わり易いかも知れません。お灸はそもそも治療の道具ですが、それを体罰に使い始めたのもこの頃だったそうです。
参考:Wikipedia記事「灸-灸を据える」
それでも資料によれば、当時全国に300近くあった藩校の中で、体罰を容認していたのは僅か2.2%に過ぎません。「教鞭をとる」という言葉がありますが、棒や鞭は主に威嚇のために用いられるだけで、大抵はビンタでした。反対に、停学や謹慎、居残りといった罰は当時も多く行われたそうです。
つまり、要するに程度の問題ではあるものの、体罰は建前としては禁じていながらも、実際には水面下で伝統的に行われていた実態が少なくなさそうです。こうして見ると、現代まで続くダブルスタンダードは、江戸時代にはもう誕生していたように感じますね。
【近代以降の体罰禁止】
やがて幕末の動乱期に至ると、戦乱の社会風潮にともなって過酷な体罰が復活します。これを受け、明治12年(1879年)に発布された教育令は、体罰を明確に禁止しました。我が国で初めて、国家的に体罰が禁止されたのです。ちなみに当時、この明文化を主張したのは伊藤博文だったそうです。以降、大戦中の例外を除けば、日本はずっと体罰禁止を続けています。
参考:Wikipedia記事「教育令」
一方、西欧諸国は当時もまだまだ体罰全盛の時代ですが、体罰否定派の論調も少しずつ生まれ始めた時期でした。我が国はそうした新しい思想を、当時、積極的に取り入れてきたようです。著者は文中で、仏国哲学者で後の教育学に多大な影響を与えたフーコーの思想が、いかにして西欧に浸透し、また日本に影響を与えたかについても着目しています。
参考:Wikipedia記事「ミシェル・フーコー」
しかし間もなく、日本は大戦へと突入します。ご承知の通り、体罰禁止などというルールはこれでぶっ飛んでしまいました。
やがて敗戦後、軍国教育を行った教師たちは公職追放され、戻ってきた教師達は戦争に教え子を奪われた苦しみから、日教組を立ち上げます。彼らは徹底して戦前の価値観を排除し、昭和22年(1947年)の教育基本法並びに学校教育法の制定によって、体罰は再び禁止され現在へと至ります。
【体罰はなぜ禁止なのか】
こうして歴史的に見てくると、我が国が体罰を禁ずる価値観は、江戸期にかけて広まった儒学、さらにこれを進化発展させた日本人的な美徳意識こそが、その出発点だったと思います。しかしこの美徳は、とても貴重かつ誇るべきものと感じると同時に、ゲンコツされたとたんに教育委員会へ電話するような時代に果たして通用するのか、甚だ疑問です。
結論としては、歴史を振り返ってみても、現代の体罰禁止を納得し得る論拠は見つかりませんでした。
しかし、歴史からわかったこともあります。体罰はいつも、社会の動乱に多大な影響を受けてきたと言う事です。田沼意次以降の財政困窮と犯罪増加、あるいは幕末動乱期や第二次大戦中には、確かに社会全体が暴力的になりましたし、教育現場に少なからぬ影響を与えたようです。
ただし、現代は当時とあまりにかけ離れています。平和なのに道徳が失われ、豊かなのに社会性が育ちません。
これは前回記事でも述べたことですが、多くの体罰反対派は、体罰と暴力、体罰と虐待などを関連付けて論じる傾向にあります。しかし、体罰と暴力は断じて異なります。これを区別できない人に体罰を行う資格はありません。自分の感情に任せて子供を「怒る」行為は、私は容認しません。一方、今必要なのは、教え諭すために子供を「叱る」行為だと思っています。
さて、色々と調べてみましたが、結局は体罰論争に納得できる決着はつきませんでした。でもやっぱり、私は自分の子供を叱って欲しいです。先生だけじゃなく、友達の親にも近所の人にも。子供は親の所有物じゃなく、地域の、国の宝だと思っていますので。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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