参考:過去記事「誰のための生と死か」
今回の記事は、あるテレビ番組を見たことも動機のひとつです。それは、東日本大震災の被災地における、僧侶達の葛藤の描いたドキュメンタリー番組でした。偶然にも放送予定を知り録画したのですが、思いもかけず強く胸を打たれました。
ETV特集「仏教に何ができるか~奈良・薬師寺 被災地を巡る僧侶たち~」
(以下、引用)
「なぜ自分だけが生き残ったのか。」「なぜ原発事故に翻弄されなければならないのか。」東日本大震災によって生じた、数々の言い知れぬ苦しみ。その苦しみを少しでも和らげたいと、奈良・薬師寺は去年3月から寺をあげて被災地を巡ることにした。
(引用ここまで)
【薬師寺の震災対応】
天武天皇によって創立された奈良・薬師寺は、法相宗の本山でもあります。震災から1年後、薬師寺は「今こそ仏教が人々に貢献する時だ」と考え、現地被災地へ僧侶を送り込むことを決定します。
参考:奈良「薬師寺」webサイト
しかし、実際に送り込まれた若い僧侶達は、石巻の丘の上からの景色を見て愕然とします。番組が密着した「大谷徹奘」という僧侶は、その時を振り返って「自分はここに生まれていなくて良かった」と本能的に思ってしまったと言います。
震災の映像を見て私達の誰もが拭えなかったあの思いは、数々の修行を積んだ僧侶にとっても同じでした。どうしても抱いてしまう利己的な感情と、その気持ちに対する罪悪感。大谷僧侶は自分のそのズルさに気付いた時、仏教と自らの限界を感じて、一時は僧侶を廃業しようかとまで思い詰めたそうです。
【色即是空という教え】
彼ら僧侶達が普段、人々に教え説いてきたのが「般若心経」です。その一説に「色即是空(しきそくぜくう)」という言葉があります。
「色」とは形あるものの事を指し、狭義では物質的な存在を指し、広義では私達を取り巻くこの世の全ての事柄です。「空」とは何も無い状態の事ですが、「無」とは少し違い、いわば空気や水で満たされているようなイメージです。そこは透き通っていて実体は無いが、透明な何かが満たしている状態。ビッグバンの前の状態を「空」と表現する人もいます。
「色即是空」とは、「色これ即ち空である」という意味です。現代の言葉に直せば、「形あるものに実体など無い」ということ。すなわち、本質的に実体が無いからこそ、「形あるものはいつか無くなるのが必然」であるという真理です。
その真理を唱える般若心経の教えとは、「失うことを恐れてはいけない」、「失っても嘆いてはいけない」という戒めです。さらに転じて、「あなたは何も失ってなどいないのですよ」という励ましの教えでもあります。
【世は全て空である】
私達を取り巻く世界はこの「色」で満たされた世界です。家族、恋人、財産、仕事、家庭、これらは皆「色」です。しかし「色は空である」訳ですから、これらはいずれ無くなってしまう。もっと言えば、「色」に見えていたそれは、最初から「空」だったということであり、何も変わっていないのです。
もしそう悟ることができれば、人は何かを失うことを恐れたり、失ったことを嘆かずに済むでしょう。それは自分や家族の死であっても同様です。だから、被災地の人々にとってもこの教えは大変意味があるのです。
しかし今回は、失ったものの数が、規模が違います。
僧侶達は苦悩します。修行を重ねた僧侶自身が、生き残って良かったとさえ思ってしまうような現実。そんな僧侶に何が教え説けるというのか。家族や財産、地域を丸ごと失った人々に対して、「色即是空」という言葉を投げかけられるのか、と。
【般若心経とは】
般若心経とは大乗仏教の経典のひとつで、600年代に玄奘三蔵という僧侶がインドから持ち帰り漢訳したものです。この玄奘三蔵という人物は実在の人で、『西遊記』では「三蔵法師」として登場します。
参考:Wikipedia記事「玄奘三蔵」
被災地の人々と向き合いながら、大谷僧侶は次のように考えるようになったそうです。
当時は今と違って、簡単に人が亡くなる時代だった。三蔵はその世の中を少しでも良くしようと旅に出て、ついに般若心経を手にすることができた。しかしインドへ渡るには、険しいチベット山脈を越えなければならない。お供の人々もそこできっと大勢亡くなったことだろう。それでも三蔵は、その悲しみを乗り越えて「色即是空」と唱えた。だからこの思いはきっと、被災地の人々にも通じるのではないか。
そんな思いに至って、少しずつこの教えを再び説いていく。般若心経の写経を人々に勧め、気持ちを落ち着けて色即是空の教えを学びましょうと訴え続ける。そんなことを被災地で続けていくにつれ、ひとり、またひとりと賛同してくれる人が増えていく。番組を見ていて、まさに宗教の神髄を見た思いがしました。
【般若心経現代語訳】
般若心経は非常に短い経典ですが、その意味は現代語訳されていて面白いです。ネット上に、この著者である花山勝友の訳全文が載っていましたので、ご興味のある方は参考にしてください。
参考:心のノート「般若心経」
ただし解説書を読んだことはありませんので、Amazonのカートに一冊放り込んでおきました。
般若心経入門/PHP研究所

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【諸行無常】
ただ、宗派によっては般若心経を唱えてはならないケースもあります。般若心経に馴染み辛い方は、「色即是空」に似た言葉で、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という言葉をご参考頂けると良いです。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」という『平家物語』の冒頭文はあまりに有名ですが、この言葉は大乗仏教の経典のひとつである『涅槃経(ねはんぎょう)』から引用されたものです。
詳しい出典先が不明なのですが、Wikipediaには以下のような解釈が記載されています。
(Wikipedia記事「諸行無常」より引用)
生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じるのである。この点を忘れてはならないとするのが仏教の基本的立場である。
(引用ここまで)
【2ちゃんねる版の何か】
それからこっちは、2ちゃんねるに誰かが投稿した訳文です。いや、私でも解るレベルで誤訳だらけなので、現代人にわかりやすい解釈と呼んだ方が適切です。しかし、詞のようでとても面白い内容ですので、長いですが全文掲載します。
(ザ・ロード・トゥ・リアリティ(・Д・;)より引用)
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。
この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。
この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。
揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。
先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。
菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。
勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。
生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。
この般若を覚えとけ。短い言葉だ。
意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。
嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。
気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。
いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』
心配すんな。大丈夫だ。
(引用ここまで)※行間は微妙に調整しています
今日、「日本人は無宗教だ」と軽々に発言する人が多いですが、その言葉を聞く度、坊さんでも敬謙な信徒でもない私ですが、なぜか物悲しさを覚えます。仏教も「葬式仏教」と揶揄されてしまうほどですから、その意義が見失われつつあるのでしょう。
東日本大震災は、そんな現状に大きな疑問を投げかけています。坊さんも、自己と仏教そのものの存在意義を問い直すほどの苦悩をしています。私自身、日本人にとっての宗教の価値とは何だろうと考えさせられた番組でした。
今回も最後まで読んで下さりありがとうございました。
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