この国のタブー

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素人がタブーに挑戦します。
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「どうしてネット投票にしないのか本当に疑問です」

 

ある平日、クルマで移動中に部下がつぶやいた一言です。

そこで私が返した一言。

 

「民主主義は民主集中制だからね」

 

 

  

【民主主義の誤用】

 

大学時代の話。

 

ゼミ運営における私のやり方について、女性メンバー達を中心に総スカンを食らったことがあります。

 

全ての作業を平等に割り振り、男女差も学力差も無視。実力の足らないメンバーには重過ぎる課題でも、無感情に作業を割り振る。しゃべりの下手なメンバーにも、共同研究発表のプレゼンターを強いる。合宿(と称する慰安旅行)の行先は、ゼミへの貢献度の低いメンバーも含めて多数決。親睦会(と称するコンパ)では、セクハラ発言多数の先生の隣席に誰が座るのかをくじ引き。

特に最後のやつは、要するに脂っこい中年オジサンの接待ですので、そういうことすらセクハラ!と叫ばれる昨今の流行の夜明け前だったのかも知れませんが、女性メンバーからすこぶる不評を買いましたが、無視無視。

 

学力が足らなければ、課題は終わりません。誰かに相談すれば良いとも思いますが、まぁそういうことをしないから学力が上がらなかったりする訳です。となれば、課題は期日に出てきません。いるのかいないのかもわからないようなメンバーが決めた旅行先など、欠席者多数が当たり前。「なんでセクハラオヤジの隣に女を座らせんのよ!」という怒りが飛んでくるまでには、そう時間はかかりませんでした。

 

あー、これこそダメ上司の典型だなぁ。。。と今となっては冷静に思えるものの、当時の私は真剣そのもの。

 

「政治学を志すゼミらしく、民主主義に徹したゼミ運営をしただけです」

 

という頭でっかちな反論一辺倒に、更なる猛反発を招くというベタな展開。見兼ねた、当時セクハラ大魔王と呼ばれた我が師が仰ったのが、先のセリフです。

 

「民主主義は民主集中制である」

 

 

 

【民主主義の本質とは】

 


今から1200年くらい前。古代ギリシアのポリス、アテネから歴史上最初の民主主義が始まりました。ここでは有権者自身が集まって議論し、採決には直接投票をする仕組みが執られていました。つまり直接民主主義です。

  

 参考:世界史の窓「アテネ民主政(デモクラシー)」

 

時を経て現代の民主主義では、代議員が意思決定の代理権を持ち、私たち有権者は彼らを選ぶ権限を持っています。代議員そのものも、私たち有権者の中から選任されます。つまり間接民主主義ですね。

  

しかしここでいう有権者とは誰のことでしょうか。

  

古代アテネの有権者は、成年男子、つまり戦士に限られていました。命を懸けて戦い、自ら国家や家族のために血を流すからこそ、その権限が特権的に与えられていたのです。一方、現代の有権者とは、18歳以上なら誰でも、というのは制度上の建前に過ぎません。なぜならば、国政選挙の投票率は半分くらいです。要するに、制度上の半数が権限を行使ししておらず、政治は残る半数によって決定されています。

 
 参考:総務省「選挙権と被選挙権」

  

つまり有史以来、人類は民主主義を限定して運用してきました。かつては「選挙民に相応しい者」という基準があり、それが廃止された現代では、「政治に参加意欲のある者」だけが特権的に政治を行うのです。誰もが平等に政治参加できるというのは、あくまでそのチャンスを制度上に残すことに意義があり、それ以上でもそれ以下でもありません。単に法学者の屁理屈という側面が否めません。

 

 

 


【民主集中制とは何か】

  

隣近所のロケットメーンの国を見れば明らかなように、暴君による独裁は人類進化、社会進化において淘汰されるべきものです。しかし民主主義とて、決して万全の制度でもありません。

 

民主主義の制度維持にはまず、市民への教育が不可欠ですし、政治参加の義務感も期待されます。あるいは、自己の利益ばかりを追求せず、社会全体の福祉や公益を追求するモラルも求められます。自由だ平等だと言って、誰もが自分の好き勝手に政治を動かせば、まとめるべき事がまとまりません。

  

そこで、これらをまとめて一括統治しようとした社会主義が提唱したのが、「民主集中制」という考え方です。少数の優れた者が集中統治する制度で、現在はこれまたお隣の中国共産党がこの制度です。

  

 参考:Wikipedia記事「民主集中制」

  

いやいや、そんな中国とかロケットメーンとかダメでしょ!と言いたくなる方も多いでしょうが、今から100年くらい前のドイツ社会学者ロベルト・ミヘルスは、民主主義だって同じようなものだと指摘しています。

  

個人は政治的自己実現のために組織化される。

 →組織は一定規模を超えると少数によって支配される。

 →支配者は地位を保持するために批判者を排除する。

 →支配者は自らが選挙で選ばれたことを根拠に、自らを民主的な存在と主張する。

 →批判者を反民主的だと糾弾する。

 →内部から批判されれば、辞意や組織崩壊を匂わせねじ伏せる。

 →最後に辞任に追い込まれても、結局支配者が変わるだけ。

  

 

こうした考え方は「寡頭制の鉄則」と呼ばれ、民主主義においてもこれは例外なく生じると考えられています。

 

 参考:Wikipedia記事「寡頭制の鉄則」

 参考:現代民主主義における政党の社会学/木鐸社

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【民主主義の暴走】

 
我が師はつまり、参加意欲が高く適性の高い者にこそ、適した仕事を与えるべきであって、無用な議論はせず、自分自身が意思決定せよ、それが真の民主主義であると教示くださった訳です。って、ただのセクハラ大魔王ではなかったんですね。今や出世されて某有名大学の政治学教授に収まりましたし、やはり只者ではなかったようです。あーよかった。(おい)

  

この出来事から私は、大切な教訓を学びました。


民主主義とは、とても脆く危うい制度であること。加えて、とても誤用されやすく、悪用すら可能であること。特に私みたいな頭でっかちが、往々にして誤用し悪用すること。

 
そんな例は実際に今も起こっています。

例えば、劇場型政治。


 マスコミ受けを良くするために、「抵抗勢力」や「忖度」、「しがらみ」などのキャッチーなフレーズを作る、コピーライター的な人。仮想敵を作り、敵を退治することこそ正義だと言うRPG的な人。消費税を上げない、教育を無償化する、12兆の財源くらいすぐ出る、消費税ポイントを利子付けて還元する、などなど計算のできないお花畑な人。これ全部、大衆受けだけを狙った民主主義。大衆迎合=ポピュリズムという悪名で呼ばれる政治手法です。

 
総理大臣になりたくて仕方がない人が、総理大臣になるために考えた論法です。国家国民は後回し。


以前の記事でも書きましたが、中でも増税の先送りは非常に危険な諸刃の剣です。

財政健全化がどの程度の緊急性を要するかは議論がありますが、その必要性に今のところ議論はありません。しかし増税しないと赤字になって国の借金が増えます。国の借金とは、将来の国民が払ってくれることを前提にした制度ですので、今の年寄りは使うだけで、払いません。払うのは子供ですので、私たちは子供から金を搾取している。今日読んだ週刊誌でとある社会学者が、「国家的な子供虐待だ」とまで書いていましたね。耳に激痛です。

 参考:過去記事「若者に捧ぐ魂の叫び(1)」
 参考:過去記事「若者に捧ぐ魂の叫び(2)」

 

 

 


 

【どうしてネット投票にしないのか】


 さて遠回りしましたが、ネット投票しない理由の結論。

 
表向きの建前としては、ハッキングや改ざんのリスクが高くセキュリティの確保が難しいから。さらにもうひとつ問題なのは、年寄りがアクセスできないから。でもその裏側には、年寄りの票が欲しい年寄り政治家が、ネットなんてけしからん!って叫ぶ本音も見え隠れ。

 
「年寄りの年寄りによる年寄りのための政治」


 いやー末期的です。


 でも超裏側にある本音は、普段投票に来ない人が投票に来ると困るからです。若者に世を変えて欲しい私としては大歓迎(※先の過去記事リンク参照)なのですが、政治学的に言えば、それは民主主義に未曾有の危機到来とも言うべきことなのです。

 

 参考:NTTコムサーチ「インターネット投票に関するアンケート調査結果」(2000/04/27)


 政治に興味の無い若者が突然選挙に来て、ポピュリズムよろしく有名人に騙されて投票。50年、100年先を見据えた国家戦略なぞぶっ飛ばし、衆議院と参議院の違いもわからないまま、とにかく投票。

お笑い芸人に投票。アイドルに投票。減税には特に投票。公務員と公務員給与削減に投票。議員給与と定数削減にも投票。核武装に投票。新興宗教は隔離、テロリストは即死刑。飲酒暴走と強制わいせつは身辺晒して死刑。おっと忘れてた、煽り運転は土下座謝罪か市中引き回しの上、打ち首獄門でしょうか。ってどこかの隣国みたい。

 
っていうトンデモ民主主義が向こう側に透けて見えるから、若者を排除。教育水準の低い人も低所得者も排除。それが民主集中性。それが民主主義の本質です。

 

しかし、その結果が政治を硬化させるので、出口がありません。代わり映えしないな〜って思って投票に行かないから、なお変わらない。ならばいっそ、普段投票しない人こそ選挙に行けばいい。訪れるトンデモ政治なんて所詮、老衰で死ぬか、死を覚悟して飛び込むかの違いしかない。

だから皆さん、投票しましょう。ただし選挙終わっても、自分が投票したヤツが何してるかくらいは時々気にしてくださいな。

 

今回も最後までお付き合い、ありがとうございました。