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楽らくビジネスコンサルタント
まっちーです。
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今日は子供と2人の晩御飯で、
先ほど、
「友達と晩御飯食べてきても良い!?」
って電話がかかってきた。
(サイゼリヤっぽい)
子供(小6)にとっては、
友達とご飯を食べるという経験が
すごく楽しくて大事だろうから、
「いいよー」
って言った。
以前の私だったら、
「せっかく御飯作ったのに。
その労力が無駄になった。」
とか思って、
「帰ってきなさい。」
って言ってたかもしれない。
仕事帰りに
クタクタで作った離乳食を
全部ひっくり返されて、
怒りと悲しみが混ざりあって、
泣き怒り、みたいなこともあった。
「私がこんなに我慢しているのに
頑張っているのに、
なんで報われないの?」
って思っていた。
我慢(労力)の対価で
何か(この場合は感謝)
を獲得しようとしていた。
ーーー
「〇〇して当たり前。」
とは、自分の意志を尊重せずに、
外側の正当性を盲目的に受け入れて、
自分の考えを放棄したときに
出てくる言葉だ。
「〇〇して当たり前。」
とは、自分が我慢しすぎて、
その我慢を見たくないがために、
思考停止状態に陥って、
何かに操縦席を明け渡してしまうときに
出てくる言葉だ。
本当は、
当たり前なんて、
この世の中に一つもないし、
様々な当たり前が、
そこら中に転がっている。
以前は、
「自分が(これだけ)労力をかけた
料理を食べない。」
事に対し、
ネチネチ言ってたかもしれない 笑。
でも、労力の対価を
コントロールできないものに
求めること自体が
本来は的外れであり、
労力の対価
という言葉から抜け出して、
「対価が無かったとしても、
やりたいことは何なのか?」
という問いを投げ入れると、
対価とは関係のない、
全然別の自分の願いが見えてくる。
P.S.
今回の場合だと、
「子供が美味しそうにご飯を食べる、
食事を楽しめれば良い。」
が本当の願いです。